世のなかで、不自由を、感じる時、ありますか?
私の場合、その不自由さとは、自分が、出来ないこともあるのに、それをやりたいと、その、やりたい事を、誰かに、伝えた時です。
私に、できない事は、私以外の方々も、出来ないことが、多いような気がします。
私は、漫画を描きたいのではないかと、思ったりもしても、絵が描けない。誰かに、今のところ、頼むにも、頼む人もいなく、物語も、はっきりしていない。
私は、できることから、始めようと、思い、漫画にしたい、言葉など、思い付くと、すぐに、ブログやSNSのコメントで、そのことを、投稿したのです。どういう結果になったとか、そのことすら、見えてきませんが、続けていこうと、思っています。
皆様!ありがとうございます!
今後とも、よろしくお願いします!
そういえば、今日、中国語の勉強をしていると、家の外から、笑い声が、聞こえました。発音していて、それを聞かれた為、笑われたのではないかと、恥ずかしく、思いましたが、どういうわけか、挫けず、中国語の勉強を、やめることは、なかったです。私は、普通の中国語の勉強練習で、知らない誰かを、笑わすことができた。この文を書いている時、そう思いました。
その場で、その応えが、見つからなくても、未来での対処が、あったのではないか、とも。
ここで、1つで、笑いの方法に、気づきました。私は、中国語を、まだ、始めてから、それほど、時間は、経っていないことだったのです。私が、日本に生まれて、日本語を、覚えて、自分の思ったことを、少しずつ、話せるようになってきたのが、27歳くらいからだったので、中国語は、どのくらいで、自分の思ったことを、少しずつ、話せるようになるか、楽しみとしても、続けていきたいです。
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