私は、覚え方には、習慣を利用すれば、いいと、思うのです。
私の言う習慣というのは、繰り返し続けて、覚えていくことも、必要と思いますが、繰り返して来た経験を、利用すると、言うことです。
1つで、言うならば、教師に、教わって、習ってきたことがあるので、そのような方法を、利用すると、言うことです。
太贵了(Tài guì le)という言葉を、私は、中国語講座で、習いました。
意味を調べるだけなら、(値段が)高すぎます、高いです。
教師がいれば、少なくとも、「この言葉は、高すぎます、という意味です」と、教えてくれます。
この違いで、覚え方も、変わってくるではないかと、思いますので、教師だったら、こういう教え方だろうと、自分の思いと、教師のような教え方を、自分自身で、教師のように、教えるように、思って、習うような気持ちでもって、覚えていけば、覚えやすいのではないかとも、思います。
この頃、知っているだけでは、心配に、なってくるというか、そんな感じなので、何かの、情報を見ても、何か、物足りないかったり、体験していないと、知っているだけでは、ちょっと、と思ったりします。
たとえば、ほとんど知らない、アルバイトをしようと、職場を見せてもらってから、何か、意見を求められても、体験していないので、体験したことを、含まない話とか、その理想の話に、なってしまうだろうと、思います。
この辺を、私は、少なくとも、自分の事でも、考えておくのが、いいのではないかと、思いました。
静岡市の生涯学習講座で、発音から、中国語を、習っていますが、本当に、この発音で、上手く中国語を、話せるのだろうかと思いつつも、講師に続いての、発音を、恥ずかしく、思いながら、繰り返していました。声が変なので、笑われるのではないか、などと、思ったり。しかも、最初からなので、小学校の低学年くらいから、国語を、習っているようなものではないかと、思いつつも。
しかし、その講師のような発音で、中国が、上手く聞こえるのならば、その発音を、覚えれば、日本人には、どう思われるか、知らないが、中国語が、話される場所では、中国語が、上手く話せているようになるのだろうと、信じて、講師の後に、つづいて、発音する時、できる限り、真面目に、真似して、発音してみた。すると、どうだろう、雰囲気も、少し、変わったし、中国語が、聞き取れるようになった時、この発音が、上手く聞こえるかどうかという楽しみも湧き、中国語を続けようとも、思いつつも、他の外国語も、覚えたいという気持ちにも、なった。
自分自身が、何か、新しい出来事が起った時は、ほとんど、最初の思いだと、思います。次も、同じことが、起こったら、少し、思いは、変わっていくでしょうか。
私が、思うところは、何か、いつも、同じようなことを、見るなど聞いたりして、同じことを、思ってしまっているだろうか、ということです。その思うことを、変えることが、出来れば、何か、変化があるのではないかと、思うので、あります。