こうなった、こうしている、という事などを、聞いて、まず、自分は、どう思うでしょうか。
二人で、何か、面白い話を、人前で、話すことを、漫才と、私は、思っているが、あれは、作り話のようなものではなく、嫌いなもの同士、当たり前に、真面目に、話をしていても、同意など、得られるまでもなく、手助けしない、断り文句や、相手に、良いことを言わせないようにさせる、しぐさなど、そういう相性の悪さを、周りにいる人達が見て、仲良くするようにという気遣いで、面白いとか、笑ってくれたりするため、始まったのではないか、と思いました。
私の投稿記事は、数ヵ月か数年後か、誰かが、編集などして、再び、投稿されている、ものもある気もする。
私は、その記事が、どれだけ、人に伝わり、何度か、編集されることによって、周りに広く伝わり、実現していくのか、楽しみに、思う。
社会のルールというか、誰かと、話しただけでは、文字の記憶が、残らない。それ以外の人が話を聞いたとしても、その近くで聞いていた人以外、誰が言ったか、わからないと、誰かわからない。しかし、SNSなどの投稿には、いろいろな方々が見ることもあるだろうし、記録が、残ります。先程、伝えたことのように、話し相手としか、わからないとルールが働くのか、よって、ここでの工夫は、多くは、ペンネームになると、思いますが。
実名で、投稿することが、その作用と違ったことに、なるのではないかと、思います。
世界一臭い食べ物の、記事などを読むと、非常識な文章で、頭が悪くなりそうだ。この頭の悪くなるような快感を、確かめる為に、世界一臭い食べ物も、求められるのだろうか。