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日記、日々の想い 

FAXが⁉でも、そこには誰もいない…

 会社で、電源を入れていないパソコンの付属のプリンターだけが、突然、稼働した。入っていなかったフロッピーの収蔵データを、一枚だけプリントした。また、忽然と、プリンターの稼働は止み、電源は落ちていた。そんな、理解不能の出来事があった前後にあった、もっと不気味な話。

 自分の住む、首都圏近郊の辺境の田舎町も、まだバブルが崩壊する前で、活況を呈していた。大規模分譲を中心とした住宅造成が、盛んに行われていた。自分たち家族を含めて、多くの子育て世代の新住民たちが、流入してきて、過疎地だった町も、人口が急増している時代だった。もちろん今は、かつての新住民だった自分と同様な老齢者ばかりが取り残されて、町は、再過疎化してしまっているのだが。

 自分は、K県の二番目の政令指定都市の辺境にあった借金の塊のマンションを、バブルちょっと前に、そこそこ高く売った。それで、その田舎町に、大規模分譲の戸建てを買って、引っ越して来ていた。共稼ぎと、二人の子育てに疲れ果てていた妻には、正社員の仕事を、辞めて貰っていた。

 ただ、ちょっと、ローンが、きつい。パンフレットで、土地の広い家が、欲しくなり、予算が、オーバーしてしまっていた。そこで、妻に、家で出来る副業を、考えて貰った。妻のまた従姉妹が、最大手学習塾FCで、塾を経営していた。妻は、その入会試験を、受けた。教職資格を持っていたのが有利に働いて、採用された。

 ただ、教室の開設場所が難しい。普通は、自宅に開設する。地元の分譲住宅地は、既に、他地区住まいのベテランの方が、幼稚園の園舎を借りて開設してしまっていた。近くには、開設出来ない。過疎気味の古い街中に、開設するしかなかった。
 昔のT川水運の宿場発祥の古い街だから、他所者は、馴染むのも難しい地区だ。しかし、何とか、地元の資産家が所有していて、空き家になっていたプレハブの貸し事務所を借りることが出来た。

 しかし、この立地が、なかなかに不気味だった。事務所の前を、町最大の分譲住宅地を中心とした新市街に通じる大通りが、通ってはいた。ただ、その辺りは、街を外れているから、脇の歩道も未整備で、事務所前も、ぼうぼうの草むら。道の向かいは、町最大の神社の鎮守の杜の里山がこんもりとあり、民家は、まったくない。町の中心街方向には、町内最大の寺と墓園が遮る。事務所の裏手は、賃貸しの駐車場が広がる。大通り沿いの並びには、資産家所有の借家が数軒建つが、これが、築数十年に見えるあばらやだ。洗濯物が、干してあったりするから、一応、人は住んでいそうだが、人影は見えない。

 とても、まだ若い主婦だった妻を、塾の終わる夜まで置いておくのは、不安しか感じなかった。実際にも心配になり、塾が開設されてからも、幾度となく迎えに行ったこともあった。とにかく、まず、目の前の鎮守の杜が、重くのし掛かってくるような、高々として深い暗がりだ。その手前の大通りは、辺りには街灯もなく、幹線ではないので、クルマは通らない。遠くに、信号の点滅が見えるだけ。わき道を挟んでは、広い墓苑が闇に沈んでいて、目を凝らすと、不気味な墓石の数々が、じんわり浮かんできてしまう。街の中心の住宅地の灯は、寺を囲む雑木林に遮られてしまっている。裏手の駐車場は、見えないが、傍に連なるあばらやは、灯りも漏れていなくて、人の気配は、あまり感じられない。宵頃には、帰宅していないのだろうか。

 鎮守の杜や墓苑が近いから、心霊的な気味悪さも感じるが、それよりも、こんな寂しいところに、生徒や助手さんが帰ったあと、不審者が現れたらと、改めて、妻の仕事の環境の酷さに、不安を強めてしまった。

 しかし、現実的には、生徒集めに、何よりも苦労した。開設費用も掛かっているから、取り戻さなければならないが、何しろ子どもが、少ない。新市街は、新興分譲住宅地で、育ち盛りの子どもを抱えた家庭ばかりで、いくらでも、生徒を集められる。しかし、そこは、既に先任者に抑えられているのだから、どうにもならない。妻の地盤となった旧市街は、以前からの過疎地のままで、子どもを持つ家庭も少なかった。ただ、妻は、子どものあしらいは上手い方で、指導力もあった。だから、少し生徒がとれ始めると、口コミで増えて行き、塾の経営は、軌道に乗り始めた。そんな頃のことだったと思う。

 自分も、営業職を外れて、担当役員のスタッフの事務系の仕事に異動していて、早く帰れた時は、妻を迎えに行くことにしていた。そして、会社では、前編で書いた理解を超えたパソコンのプリンターの誤作動なども経験した。ほんの少しだが、超常的な現象などと言うこともあり得るか、などと考えるようになった時期でもあった。

 或る晩のことだった。もう少しで深夜になりかけで、子どもは寝かせて、夫婦で晩酌などをしていたのかも知れない。突然、自宅のFAX付きの電話が、FAXを着信したようだった。メッセージは、小さな液晶画面にしか出ないような、昔の機器だ。ただ、FAXが、着信した時の作動音がしたのだ。しかし、その音は直ぐに途切れて、着信エラー音が響いた。メッセージは流れない昔の型だ。不審に思って、液晶画面を覗くと、やはり、着信エラーになっている。すると、FAXが、また稼働を始めて、着信エラー履歴が印刷された。着信エラーになると、履歴が印刷される型だ。或いは、着信履歴データが、定期的に自動印刷される設定もあったので、そんなことだったのかも知れない。

 えっ⁉︎目を疑った。それは、妻の学習塾の電話からの、FAX着信エラー履歴だったのだ。妻の学習塾にも、電話機を設置していた。妻は、その頃は、休講日にも作業を要するFC塾関連の一部の書類は、自宅に持ち帰っていたが、おおかたの塾関連の備品は、プレハブの塾舎に置いたままだった。だから、開講日になると、早くに自宅を出て、塾舎で仕事をしていた。もちろん、そんな日にも、新規入会や、受講内容の問い合わせなどはある。所詮、商売だから、少しでも問い合わせなどあったら、必ず売り込みは、逃せない。また、FC本部などとの必要な連絡もある。スマホどころか、ガラケーさえも程遠かった時代だった。固定電話は、商売には、必須だったのだ。

 それと、自分が、寂しい場所で妻に仕事をさせていると言う不安もあった。何か起きた時に、安否確認を出来るようにしておきたい。だから、塾開設と同時に、固定電話は、設置してあった。プッシュホンではあったが、ただの電話機を。そう、そのただの電話機から、エラーにはなっているが、FAXを着信したと、自宅のFAX付き電話は、報告しているのだった。休講日で、塾舎の唯一の住人の妻は、目の前にいる。彼女の経営する無人の筈の塾舎に設置してある、ただの電話機から、FAXが送信されてきて、しかし、着信出来ずにエラーになったと、FAX付き電話機が排出した記録紙には、間違いなく、そう印刷されてあったのだ。物凄く、薄気味悪かったが、一応、記録紙は保管した。

 色々と可能性は、考えてみた。誰かが侵入して、電話機に手を掛けたとか。その時代の電話機でも、番号登録は既に出来て、当然、自宅の電話番号は登録されていた。だから、侵入者が、電話機をいじって、誤発信されたなどと言うことはありそうだ。それを、自宅のFAXが、電話機からの着信を、マシントラブルか何かで、FAXからの着信と誤認して、FAX着信エラーと記録した。それが、一番可能性が、ありそうにも感じたが、それは、それで、リアルに不気味な話になる。でなければ、電話機が、電磁波などの影響を受けて、誤作動して、登録された自宅のFAX電話に送信、それを、また、自宅のFAXが、FAXからの着信と誤認した、とか。

 次の開講日は、妻は、当然、塾が荒らされていないかと、不安を感じながら、出掛けたようだった。もちろん、自分も、気になり、安否確認の電話も入れたと思う。しかし、侵入の形跡などはまったくなかったとのことだった。もちろん、施錠は、しっかりとされていた。ただ、そうなると、何故この塾のただ電話機が、送れる筈もないFAXを送信してきたのかと言う不可解な謎が残ってしまう。

 いや、きっと、すべては、ただのマシントラブルだったのだろう。それが、たまたま重なってしまい、謎のように思えているだけなのだ、と。そう、思う事にした。

 しかし、そんな怪しい出来事は、それだけでは終わらなかった。何度となく、同じことが、起きたのだ。その着信記録紙も、残した。理解不能な超常的な出来事の証しとして。もちろん、今は、とっくに、失われてしまったが。誤着信は、立て続けに起きたこともあったし、忘れた頃に起きたこともあった。未明や早朝の寝静まっている時間帯に着信していて、後々記録紙で確認して、分かることもあった。と言うより、着信エラーの場合は、着信音も一瞬で途切れて、簡単な記録の印刷があるだけなので、事後に気づくことが、殆どだったと思う。月別に纏めた発信履歴などと言う支払いに関わる書類の送付も、NTTと契約してあったと記憶している。塾の電話の分を確認すると、確かに、自宅の電話に、同じ時間に発信した記録があった。直ぐに切れているので、定額料金の範囲内で、余計な負担にもなっていないし、それ以上の追跡はしなかったが。

 やはり、マシントラブルだろうか。多分、塾の電話機の自宅電話番号の登録は、取り消したと思う。念の為。それでも、着信は時折あったが。大抵気付かずにいて、電話機の着信履歴を確認すると、未明などに掛かって来ていたことが分かる。ちょっと、ゾッとなる。妻の身に何かの危害があった訳でもないから、そんな薄気味悪い気持ちは、結局、放ったままだったが。

 その塾舎は、持ち主の資産家が、その土地に家を新築することになり、契約を打ち切られて、立ち退いた。恐らく、隣接していた借家数軒もその時に取り壊されて、建て替えられたか、更地にして自宅敷地に取り込んだようなことだったと思う。学習塾は、もっと立地の良いアパートの一室を借りて引っ越した。その当初は、まだ、携帯も普及途上だったので、固定電話は、番号を変えずに、移設した。電話機も、そのままだったと思う、それ以降は、そんなことは起こらなかったが。何故なのかは、分からない。

 この超常現象もどきの話は、ここまでだが。ちょっと、まつわる嫌な話がある。塾舎と並んで立っていたあばらやの数軒の借家には、一応、何人かの単身の住人がいたようだ。そのうちの一人が、旧市街にある古い割烹料理屋の仲居の女性だった。その女性が、多分、塾舎の固定電話からの誤発信が始まった頃の前後だと思うが、犯罪被害者になると言うことがあった。彼女は、近隣の町にあった歯科の医師と不倫関係にあって、現場は、隣のI県にあるラブホか何かだったと記憶しているが、いわゆる痴情のもつれで、医師に絞殺されてしまったのだ。

 この事件は、全国版の新聞やテレビでも、大きなニュースになった。現役の歯科医師が、愛人を殺害すると言うかなり衝撃的な事件だったからだ。現場は、地元の町内の居宅とは無縁な場所だったが、町内在住者と言うこともあり、平和な田舎町では、しばらくこの事件の噂話で持ち切りだったようだ。医師が、割烹料理屋の客として、二人は知り合ったとか。医師は、既婚者で、二人は不倫関係だったとか。そして、彼女の住んだその粗末な借家の裏寂しい佇まいもあって、空き家に、幽霊が出ると言うような。塾の送迎をする母親たちはもちろん、子どもたちも、あれこれと噂し合っていたと言う。もちろん、隣接する借家の空き家のことも、気味悪がりながら。妻も、すっかりその噂話には、取り込まれてしまったようだった。ただ、少し違っていたのは、その幽霊話に、夫婦しか知らない塾舎の不気味な電話機の誤作動の現象を、絡めて考えてしまっていたことだった。

 ただ、その辺りで不気味だったのは、その殺人事件に絡むあばらやの存在だけでは無い。夜に黒々と押し被さって来る鎮守の杜や、闇に沈む墓石の数々など。霊がどうだのと、信じたくなくても、少し怖れたりすれば、そんな不気味は、いくらでも転がっている。皆が帰り、一人ポツンと、果てしない闇に、ぽっかりと浮かぶ頼りなげな灯の下で…



コメント一覧

takey813
コメント有難う御座います。怪しい場所のその機器だけと言うのが、やはり、不気味ですよね。誤作動と、思うしかないんですが。自分の場合は、説明のつかない通信履歴が,何枚も残ったので,とにかく,理解不能で、不気味でしかなかったです。
kaminaribiko2
我が家も最近仏壇をおいてある部屋のエアコンが勝手についていることがよくあり、部屋に入ってから生暖かさで気づきます。そのため仏花がすぐ枯れてしまいます。夫は近所のエアコンの操作に連動して勝手についているんだろうと言いますが、他の部屋ではそんなことがないのに、仏壇をおいてある部屋だけつくから変なのです。我が家にはエアコンが合計7個もあるのに、なぜ一部屋だけついてしまうのかと、今日こちらの記事を読ませてもらって書かせていただきました。
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