その女は…くだらん女だった。
何ひとつ世の役に立つ事もなく
これまで生きてきたのだ。
ある夜。
夢の中に天使が現れて…
彼女に呼びかけた。
「あなたの体質を変えてあげる」
女は目覚めて、首を傾げた。
妙な夢を見たものだわ。
天使のような印象を受けたけど
そんなもの訪れてくる訳がない。
彼女は自分でも
くだらん女であることを認めていた。
「訳が分からない。
二日酔いのせいかしら。
そういえば
頭が少し痛いようだわ」
ある欲求を感じた。
彼女はベッドから出て
その辺を探した。
「あった…」
アスピリンの錠剤。
それを口に入れたくてならないのだ。
こんな気分になったのは
初めてだった。
それは
食欲といって
いいようなものだった。
甘党の人が
お菓子を前にした時の感情。
彼女は
それをつまみ上げ
舌の上に乗せた。
「おいひい…」
思わず声が出る。
こんな美味いものに
なぜ今まで気が付かなかったのだろう。
錠剤は口の中で溶けてゆく。
すばらしい味が、じわっと広がる。
唾液が滲み出てくる。
それを舌の上で転がす。
なんという、心地良さ。
快感は、それで終わらない。
女は水を飲む。
溶けたアスピリンは
喉をくすぐりながら
胃へと流れ込む。
やがて、それが血液へと移り
流れて頭部へ作用し始める。
そういう事が
ずっと感覚として分かる。
頭痛が収まってゆく。
「なるほど。
そうだったのね。
あたしの身体は
これを必要としていたのね」
それは彼女の内心の
的確な表現だった。
その次には
総合ビタミン剤を
食べたくてならなくなった。
瓶から三粒ほど出して、口に入れる。
これもまた
何とも言えない良い味だった。
彼女の味覚は
各種のビタミンが持つ
本来の微妙な味を
感じ取った。
成分は消化器から吸収され
体内の収まるべきところへ収まった。
彼女は顔をほころばせた。
「なるほど。
あたしは
ビタミン不足だったようね。
わかったわ。
こういう体質に変わったという訳ね。
ありがたいわ。
身体の調子が崩れるのを、防げるし…
病気になることもないわけね。
便利この上なしだわ」
こんな美味いものなら
もう少しビタミン剤を
食べようかとも思ったが…
彼女は
何か満腹感のようなものを感じて
現在のところは
これでいいだろう
というのが
正直な感想だった。
彼女は外出し
大規模な植物園に向かう。
何となく
そこへ出掛けたくなったのだ。
入場料を払う。
そして、大きな温室へ入る。
中には
色鮮やかな様々な花が咲いている。
女の口の中には
自然に唾液がわいてくる。
どれが食べて美味いか
見ただけで
彼女には判るのだった。
ピンクの花は
ソフトな味がし…
厚ぼったい葉っぱは
清々しい味がした。
入場料は払ってあるのだ。
食べてはいけないという
立て札もない。
ある種のサボテンを
トゲを丁寧に取り除き
かじった。
どれが
何という植物なのかは、わからない。
ただ、見ただけで
どれが自分に相応しいか
彼女には見当が付く。
そういう体質になっているのだ。
そしていずれも身体に吸収され
収まるべきところへ
蓄積されたという
満足感を与えてくれるのだった。
植物園を出る。
身体中に
力が満ち溢れている。
女の心は退屈をいやがり
行動を求めた。
命じられるかのように
彼女は街を歩いた。
鞄を持った人物が目に入った。
四十歳ぐらいの男。
目に入ったというより
何となく匂うのだ。
微かなマタタビの匂いを嗅ぎ分け
自然にそっちへ進んでしまう
猫のように。
女は男のあとをつける。
その人物は、とあるビルの
地下室のひとつに入った。
女も続いて、中に入る。
机があり
椅子が三つほどあった。
男は
女に気付いて言った。
「誰だ。取引の件の人か」
「違います。
あなたをお見かけし
後をつけてきたの。
何か
ぴんとくるものがあって」
男は顔をしかめて言った。
「なんだと?すると警官か…」
「いえいえ。
そんなものではありません。
あなたが
あたしの欲しいものを
お持ちのようなので
少しわけて頂きたいのよ」
「そこまで
知っているとなると
どうにも油断できない奴だ。
思い切って
始末した方が…
いいみたいだな!」
男は拳銃を取り出した。
しかし
女が飛びかかる方が早かった。
植物園で
いろいろ食べた成分のお陰だろう。
反射神経が素早くなっており
予期していなかったほどの力が出る。
あっという間に
男を投げ飛ばした。
こんな事が出来るとはと
女は自分でも
いささか不思議だった。
しばらくぼんやりしていたが
我に返って
倒れている男を調べると
既に死んでいた。
打ちどころが悪かったのか
もともと
心臓が弱かったのだろう。
ポケットを探ると
小さな瓶が出てきた。
それが彼女の求める物であることは
すぐにわかった。
ためらうことなく
口に入れる。
少し苦かったが…
そこがまた
何とも良い味わいなのだ。
いかに高級なコーヒーも
これに及ばない。
身体もまた
それを喜んで迎える。
不足していたものが
補給されたという
実感がわいてくる。
彼女は、甚だ満足した。
その時
ドアにノックの音がした。
意味ありげな叩きかただった。
「ちょっとお待ち下さい」
やってきたのが
誰かは知らないが
死体があってはまずい。
辺りを見回すと
カーテンの仕切りがあった。
向こうを覗くと…
簡単な調理の出来る調理台と
冷蔵庫のある小部屋があった。
ひとまず
死体をそこへ隠す。
「どうも、お待たせしました」
ドアを開ける。
入ってきたのは
どこかすごみのある
三人の男たち。
中の一人が言った。
「さあ、約束の物を渡してくれ」
「なんのことでしたっけ?」
「おい、ふざけるなっ!
ここで取引があると
連絡があったので
やって来たんだっ!」
そういえば…
男は鞄を持っていたっけ。
「そこの鞄を開けてみて。
ひょっとしたら
はいっているかも…?」
と、女が答えると
三人は飛びつくようにして
鞄を開けた。
中には白い粉の入った
プラスチック容器が
たくさんあった。
大事そうに扱い
指先につけて味をみている点から
どうやら麻薬らしかった。
女は言う。
「お気に召したようね。
だったら金を
払ってちょうだい」
高額紙幣の束を出しながら
相手は言う。
「ところで…
あれはどうした?
どこかの国の
秘密情報部が試作した
くそ度胸のつく
薬のサンプルとやらは…?」
「ああ…あれは…
手違いがあって…今度ね…」
「何?
それじゃあ…約束が違うぞ!」
「すまないわね。
お詫びと言っちゃあ
なんだけど…
この代金を一割
まけてあげるわ」
「ほう!
気前がいいね。
あんたに会うのは初めてだが
見かけによらず大物なんだな。
それに女なのに…
くそ度胸がある♪」
連中は鞄を持って
部屋から出ていった。
女はひとりになる。
いや、正確には…
死体がそばにある。
さて…
眺めているうちに
食欲がわいてきた。
女は外出し
ナイフやフライパンの類と
調味料を買ってきた。
そして
料理して食べ始めた。
かなり食べがいがあった。
冷蔵庫があって
ちょうどよかった。
骨は焼いて粉にして食べた。
かくして…
死体は、無くなってくれたし…
金は使い切れぬほどある。
何もかも
上手く行っていた。
女は
南方への
昆虫採集ツアーに参加した。
なぜか
それに行きたくて
ならなかったのだ。
現地に着くと
同行の連中は
採取して標本を作っていたが
女は採取した昆虫を
みな食べてしまう。
それらはすべて
それぞれ美味かった。
毛虫から蝶や蛾の
サナギを好んで食べた。
昆虫のほか
花や葉や根も食べた。
食虫植物は…
ちょっと変わった味だった。
「このサナギ
美味しいわよ♪
食べてみない?」
と、同行の人たちに奨めてみたが…
誰も食べたがらず
勇気を出して口に入れた者も
顔をしかめて吐き出した。
どうやら他人には
その味が
わからないらしかった。
彼女は
キノコの類を採取して帰国した。
女は部屋を借り
小さな研究室を作った。
いろいろな薬品を買い揃えた。
また…
高額を払って
非合法の放射性物質も購入した。
持ち帰ったキノコを
無性に食べたくなり…
貪るように、それを食べた。
とてつもない幻覚に襲われた。
首が
ぐにゃぐにゃしたキリンが歩き
蛇が飛びまわり
きらきら光り…
空が海面になり
花が歌い…
ハゲタカはカツラを被り…
アリぐらいのゾウの群が
うろちょろし…
幻覚から覚めると
目の前には
何やら一瓶の液体があった。
きっと夢遊状態の時に
これを合成したのだろう。
放射性物質も減っている点から…
それも、使われているらしかった。
その薬は…
実に魅力的だった。
匂いも良い。
女は躊躇うことなく
それを飲んだ。
暫く
ありつけないでいた
酒好きの人が
やっと高級な酒を口にした…
それを
何十倍にしたような
感激があった。
口の中の感覚が一斉に歓喜し
喉が喜びに震え
胃が嬉しさで躍り上がる。
じわじわ体内に
吸収されてゆくのがわかる。
放射性物質が
細胞の一つ一つを…
強からず弱からず
心地よく刺激する。
女は海岸へと出掛けた。
潮風に誘われるように
海まで行くと
女は服を脱ぎ捨て
海に飛び込む。
いくらでも泳げそうだった。
事実、泳げるのだ。
沖へ沖へと進む。
のどが渇く。
海の水の美味しそうなこと。
思いきり飲むと
かすかに甘かった。
いくらでも飲めた。
深く潜り、魚を食べた。
ふぐも食ったし
海ヘビも食った。
プランクトンの味も…
悪くなかった。
クラゲを食べ
ヒトデをかじり
イソギンチャクを食べた。
まさに
お魚天国で遊ぶ気分だった。
もう陸へなんか帰りたくない。
食べ、そして眠る。
水中にいれば身体が軽く
自由に泳げる。
しかしその生活も
永久に続けられた訳ではない。
彼女は網に捕らえられ
陸へと引き上げられた。
太りすぎていて
身動きが出来ない。
また
海中で長く
過ごしすぎたために…
声が出なかった。
学者らしい人が集まり
話し合っている。
「珍しい!
こんなの初めて見ます。
こんな海の生物がいたとは」
「魚と人間の中間…
人魚としか思えない」
それを聞きながら
彼女は…
そんな姿に
変形しているのだなと知る。
「研究する価値がありますな」
「それはもちろんです。
しかし…
わたしには
どうしても…
やりたいことがある…」
「ほう…何ですかな?」
「この肉をですな…
食うと…なぜだか…」
「うんうん」
「不老不死になり…
そして骨もすりつぶして…
少し食べさせると…
気の毒な子供たちに…
効き目があるのじゃないかと…
思えてならないのです…」
「そうですか…!
いや、不思議ですな…
どういうわけか…
わたしも…
そんな気がして…
ならないのですよ…!」
「これを眺めていると…
何故か…そう思える…」
「やりましょう!」
「きっと効果があるっ!」
「そうですな!
これはきっと…
天使からの
贈り物かも知れませんな♪」
運ばれながら…女は思う。
(そうだったのね…
社会がこういうあたしを必要とし…
求めていた!…というわけなのね…)
魚〓たまこ〓人