時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

本当に自由奔放なんだろうか?

2020年04月21日 | 時のつれづれ・卯月 

多摩爺の「時のつれづれ(卯月の9)」
本当に自由奔放なんだろうか?

重責に就いた夫の仕事を、絶妙のタイミングで足を引っ張る奥様が居る。
ワイドショーに直接出演されることはないが、
その動向は詳しすぎる程の解説付きで、面白おかしく全国に放映されている。

誰のことだか、言う必要もないぐらいの有名人なので、あえて・・・ その名は伏せておく。

ある時は、公金詐欺で刑事告訴された事件で首謀者の口車に乗り、
煽てられて調子のいいリップサービスをしてみたり


ある時は、来日された賓客の接待や、外国を訪問した際に行われる公式な場での会食で、
お酒の量が過ぎてしまったり


ある時は、新型コロナウイルスの感染拡大で、夜の飲食を控えようとする雰囲気のなかで、
芸能人と花見に興じて見たり


ある時は、新型コロナウイルスの感染拡大で、外出の自粛が求められてるなかで、
地方の神社に大勢で参拝してみたり・・・


あまりにも自由奔放の度が過ぎた奥様の行動が、
週刊誌に取り上げられたり、ワイドショーで取り上げられたりする度に

重責に就いている夫は、大事な大事な時間を費やして、
わざとピントを外した・・・ 苦し過ぎる弁明を繰り返している。


奥様は、ある上場企業の御令嬢らしく、なに不自由なく育ったことから、世間のことに疎いらしい。
ワイドショーやSNSでは、育ちの良さに対するやっかみが相乗効果となり、
これでもか? そこまで云うか? というぐらいボロクソに叩きまくり、こけにして嘲笑している。

私もつい最近までは「この人、ホントにバカじゃないのか・・・?」と、思っていたが、
最近では、ちょっと見方が変わってきている。

「ひっとしたら心のどこかに、何らかの障がいがあるのではなかろうか?」と思い始めている。
この人を揶揄し、批判することが仕事の一部になってる野党議員や、コメンテーターを除けば、
おそらく、この国の多くの人たちが・・・ そう思い始めているのではなかろうか?

誰もが知ってる有名な方ゆえに、思い込みだけで詮索し発言することは、
けっして良いことだとは思わないが、

仮にそうだったとしたら、SNSやワイドショーで揶揄し、
批判を繰り返している人たちのコメントも違ってくるだろう。

思うに・・・ 適応障がいか、発達障がいのどちらかではなかろうか。

ネットで二つの障がいを調べてみると、以下のとおりになる。
適応障がいとは、ストレスが原因で引き起こされる感情や行動によって、
社会的な機能が阻害されたり困難になる状態を云い、

発達障がいとは、生まれつき脳の発達が通常と違っているために、幼児のうちから症状が現れ、
成長するにつれて自分の不得手な部分が顕在化し、社会生活に影響を及ぼすことがあるとあった。

障がいは、病気や怪我と違って、完治することがないので、
残念ながらというか、気の毒なことだが、生涯付き合っていくしかない。
身体障がいについては、見た目で明らかに判断できるが、
精神障がいや、知的障がいは、パッと見では分からないので他人は気がつかない。

精神障がいや、知的障がいについては、医師の診断を受けて、行政から認定されて障がい者となる。
よって、軽度の適応障がいや、発達障がいがあったとしても、
家族に財力があって面倒を見ることができれば、

あえて身内に障がい者がいると、行政に認定してもらう必要はなく、
社会から様々な制約を受ける必要もないわけである。


他人にとって多少は迷惑かもしれないが、犯罪を犯してるわけではない。
そう捉えれば・・・ あえて障がい者だと、特定されなければいけない必要もない。
厄介なことは、自分に障がいがあることに気がついてないことであって、
知らず知らずのうちに、他人へ想定外の負担を強いていても、
その痛みを感じることができないことぐらいだろう。


では、この奥様が、過去になん度も指摘されてきた、軽率な行動は本当に自由奔放なんだろうか?
なぜ、指摘を受けている様々な行動が、拙いということに気づき、改めることができないのだろうか?
そう考えてみれば、障がい者だと決めつけているわけじゃないが、
発達障がいの特徴(多動症による注意欠如、多動性障がいによる注意欠如)に該当する、
衝動的な感情を抑えられない症状に・・・ 辿り着く。

もし・・・ 自分の妻に、軽度であろうと発達障がいがあったとしたら、
私はご迷惑をかけるであろう隣近所に、また子供たちの関係者に対して、
公にすることが出来ただろうか?


これは、いささか難問であり、あまりにも意地悪な問いだと思う。

よって、その答えは・・・ 自分が重責に就いていようがいまいが、
正直になることは難しいのかもしれない。


自らのこととして振り返った後、前述した奥様の場合はどうなんだろうか?と考えてみた。
もし・・・ そうだったとして、それがあからさまになったら、
個人としても、夫の仕事に同伴する立場の者としても、精いっぱい頑張らねばならない様々な場面で、
冷ややかな視線を浴びることは耐えられないだろうし、
夫としても、そういった視線に妻を晒すことは、とてもじゃないができないだろう。

もし・・・ そうだったとしたら、
他人に迷惑をかけたかもしれないが、自分なりに頑張ってきたと思っている人を、
いまさらながら、家庭内に縛り付けておくことは、これまでの功績を全て否定することになり、
ある意味で、それは虐待になるかもしれない。

仮定の話は、何処まで行っても仮定の領域を出ることはないが、
もし、どこかで「実は・・・ そうだった。」ということが判明すれば、
野党議員やワイドショーは、公の場や公共の電波で、
とんでもない差別発言を繰り返していたことになるし、

SNSを通して批判を繰り返し発信していた文化人、知識人、芸能人は、
どう落とし前を付けるつもりなんだろうか?


確かに軽率で、軽率過ぎる奥様であることは間違いなく、その行動を否定するつもりはない。
しかし、日本人はいつから、人の悪口を楽しむようになったのだろうか?
犯罪ならいざ知らず、公共の電波を使って罵詈雑言を垂れ流すワイドショーで、
薄ら笑いを浮かべるようなことができるのか?

そこまで批判する自由についても・・・ いま一度、考えてみる必要があるだろう。

何年かの月日が流れ、重責を担っていた夫から、全ての肩書が消えた頃になったら、
なにか新しいことが語られるかもしれない。
ただ、その日が来たとしても、あの奥様は、あのままで変らないんじゃなかろうか。
障がいがあろうと、なかろうと・・・ 性格を変えることが出来る年齢は、とうの昔に過ぎている。

周りからみたら、ちょっと変わった、痛い奥様かもしれないが
そろそろ、そういった視線で見ても良いタイミングに来てるんじゃなかろうか・・・ ?

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2 コメント

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Unknown (kazzdokk)
2020-04-22 19:21:56
エンゼルの心を持った人なのかも・・・
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Unknown (多摩爺)
2020-04-22 21:39:59
おっしゃるとおりです。
私も、そう思ってます。
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