多摩爺の「時のつれづれ(神無月の53)」
ノーベル平和賞の波紋
先週末の夕刻、あっと驚く吉報が届き・・・ 列島は祝意と歓喜に包まれた。
被爆地の広島と長崎を拠点に、昭和31年から68年もの間、
核兵器を廃絶を訴える活動に尽力されてきた、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に、
ノーベル平和賞を授与すると発表されたのだ。
ASEAN+3(東南アジア諸国連合+日本、中国、韓国)の会議でラオスに滞在していた総理は、
「核兵器廃絶に向けて取り組んできた同団体への授与は極めて意義深い。」と、祝意を述べたものの、
先月行われた自民党総裁選で、米国の核兵器を日本で運用する「核共有」について、
「非核三原則に触れるものではない。」と述べていたことを踏まえ、
被団協の代表委員が・・・ 早速、注文を付けていた。
翌日の午後、都内で会見を開いた被団協の代表委員は、
「政治のトップが必要(核共有)だと言っていること自体が怒り心頭だ。」と訴えるとともに、
首相に会って議論し「考え方が間違っていると説得したい。」と続けていた。
この問題は・・・ ホントにホントに悩ましい。
私の家族や親族に被爆者が居るわけではないし、こういった運動に関わっていたわけでもないので、
軽々にもの申すことは控えるべきだとは思うものの、
これを機会になにかが動き出すかもしれないので、自分の思いを少しだけ吐露させていただきたい。
「なにも知らない者が偉そうなことを言うな。」になるのかもしれないが、
ノーベル平和賞って、自分達の考えを人に押し付けることが許される賞ではないと思うし、
世界の状況を俯瞰すれば、核の傘下に入ることは・・・ ある意味でやむを得ないと思っている。
その理由は・・・ この国をとりまく地政学的な状況を客観視すれば、理解できるだろう。
被団協の代表委員は、共産主義や、覇権主義の国々を相手に、
「話せば分かる。」が妄想だということが分かっておられないようである。
ウクライナを見ても分かるように、台湾が神経を尖らせているように、
覇権主義の国家や、共産主義の国家は、
隙を見せれば侵略してくるし、侵略のチャンスを窺っていることを忘れてはならない。
然は然り乍ら(さはさりながら)・・・ この国に暮らす人々の多くは、
政府が核兵器禁止条約を批准をしてないことについては、なにかしらの苛立ちを覚えており、
一人の国民としては、批准(条約に拘束されることを国家として同意)することに、
なに一つとして、迷いがない方々ばかりなのではなかろうか?
その一方で・・・ 核保有国であるアメリカと締結された、
日米安全保障条約によって、この国の安全が核によって守られていることについては、
なんの躊躇いもなく理解を示し、多くの人々が同意しているのである。
よって、アメリカ軍が保有する核兵器によって、安全が守られている国が、
核兵器の使用を禁止する条約に署名し、批准することは・・・ どう見たって論理矛盾であり、
あっちを立ててれば、こっちが立たず、こっちを立ててれば、あっちが立たずで、
結果として総理が云う、核共有の話しにつながっていると思われる。
その核共有に・・・ ノーベル平和賞をいただく予定の、被団協の代表委員がお怒りなのである。
多くの国民の胸の内は、批准は批准で良いし、安保は安保で良いと思っており、
いわゆるダブルスタンダードなんだが、この国ではそれが当たり前でも、
イエスかノーを求める国際社会では、それが理解されないことから、
批准については・・・ 長い間、ほったらかしになってるんだと思う。
いま現在、戦火が燃え盛っている世界の情勢を俯瞰すれば、
核保有国が侵略を仕掛けたり、紛争に参戦したりで、
残り時間90秒となった終末時計の秒針が、今年の年末には、
いったい、どれだけ前に進むのか・・・ 恐ろしくて耳を塞ぎ、目を覆いたくなってくる。
すでに3年が経過したが、核保有国のロシアが、突如始めたウクライナへの侵略は、
今年に入ってウクライナ軍が、ロシア国境を越えた攻撃を展開するなど新たなステージに入り、
中東では、ハマスとイスラエル軍の戦いに、核保有国のイランが参戦し・・・ 泥沼化している。
そういったタイミングでいただく、被団協へのノーベル平和賞である。
唯一無二の素晴らしい評価をいただき、最高級の栄誉に輝いたと思うものの、
「他人の褌(ふんどし)で相撲を取るなよ。」と言えば、品性に欠け、無礼で申し訳ないが、
なんだか政治的なメッセージとして・・・ 巧みに利用された感も否めない。
私個人的には・・・ ダブルスタンダードで良いと思っている。
総理や官房長官のメッセージがそうであったように、
野党各党の代表メッセージもそうであったように、
為政者を含めた、多くの国民の頭のなかも、おそらく皆そうなんだと思う。
ダブルスタンダードが、国際社会では理解されなくても・・・ 良いじゃないか?
誹謗中傷とまでは行かないと思うが、
下を向いてクスッと笑われる程度なら良いじゃないか?
もし、それを笑うなら、まずは核保有国に向けて、嘲笑を浴びせてからにしてほしい。
被爆国であり、敗戦国が・・・ 地政学的な状況を踏まえて、
選択せざる得なかったダブルスタンダードを、
理解できる国などないと思われるが・・・ 如何なものだろうか?
それでも核兵器禁止に向けての取り組みを、一歩でも半歩でも前に進めようとするなら、
核兵器禁止条約の締結を議論する国際会議に、
オブザーバーで構わないので・・・ 出席することだろう。
日米安全保障条約という視点で捉えたら、これは同盟国に対してダブルスタンダードになるが、
核兵器禁止条約の批准の際、日米安全保障条約と天秤にかけてまでも貫いた、
「ほったらかし」に匹敵するダブルスタンダードと・・・ ほぼ同レベルであり、
あっちを立てず、こっちも立てずだから、プラマエゼロのチャラになるのではなかろうか?
だったら・・・ 連立を組む公明党から要請もあることを踏まえ、
ノーベル平和賞をいただくことを起点として、被爆国が新たなステージに進むために、
そろそろ勇気を出して「ほったらかし」戦略を改め、
オブザーバーでの会議参加を、宣言すべきではなかろうか?
こういったことは、政局に絡める問題ではないと思うものの、
タイミングを見計らった総理が、オブザーバーで核兵器廃絶の会議に出席すると宣言をしたら、
ゲスの勘ぐりになるが、これまで何人もの総理が出来なかったことを決断したんだから、
政治とカネの問題で、ピンチが続く総選挙の流れを・・・ 一変させる可能性も出てくるだろう。
予てよりノーベル平和賞には、政治的な意図が含まれていると云われている。
思想的な背景を踏まえ、さまざまな側面があるのは承知しているが、
日本原水爆被害者団体協議会が、核兵器の悲惨さを訴え、廃絶に向けて活動されてこられたことに、
最大級の敬意を表すとともに・・・ 授賞式でのメッセージに期待したいと思う。
ノーベル平和賞によって生まれた、小さな小さな波紋だが、
いずれ、大きなうねりとなって・・・ 洋の東西に衝撃波を送り続け、
人間主義の連帯の下、核保有国を含む国際社会が、核廃絶へと動き出すことを祈念してやまない。
なんだか、取り留めのないまま、だらだらと書き綴ってしまったが、
本文はあくまでも個人的な思いであって、
コメントを頂戴しても、議論するつもりはないので、ご理解をいただければありがたい。