多摩爺の「時のつれづれ(卯月の10)」
酒は百薬の長
いまこのタイミングで、お酒の話をするのは不謹慎かもしれない。
要らぬ心配とはいえ、総理や都知事から、仕事帰りのちょっと一杯に自粛要請が出されて、
2週間が経ち、新型コロナウイルスの感染拡大で、定着しつつあるテレワーク
居酒屋談義の楽しみを奪われ、
ストレス解消のアルコールを絶たれた中年サラリーマンたちは元気だろうか。
ワイドショーやニュースでは、オンライン飲み会なるものが最近流行ってると云われてるが、
20代から40代の前半までならいざ知らず、
50代や60代になったら厳しいだろう。(無理だと思う。)
これを機に酒と煙草を止める(少なくする)というのも、
健康のためには良いことだと思うがどうだろう。
私自身も、退職の1ヶ月まえから始まったテレワークと、
ほぼ同時期にスタートしたのが減酒(禁酒や断酒ではない。)で、
昔はあれほど毎日飲んでたのに・・・ わずか2カ月で、缶ビール1本が重く感じるんだから、
この年で感じる「やればできる。」ってのも、まんざらじゃない。
ちょっと太ったかもしれないが、暑くなれば汗もかくし絞れるので、
このまま続けることにしようと思う。
そういうことで・・・
このタイミングでは、やっぱり不謹慎だと思いつつも、別に推奨するわけじゃないので、
若かった頃の、酒にまつわる話について語ってみたい。
昭和の先輩方は行きつけのお店を持ち、仕事が終わると、ほぼ毎日のように一杯ひっかけていた。
人によっては、それが酒屋の隅っこで飲む角打ち(立ち飲み)であったり、
人によっては、それが裏路地の一角で、年増の女将が営む小料理屋であったり、
行きつけの店は様々だったが、今のように表通りに面した居酒屋チェーンではなかった。
最近の東京には、内装や外装に昭和の雰囲気が漂う、レトロな居酒屋が増えている。
それはそれで、面白いところもあるが、
残念なことは客寄せのためにリメイクされた、見てくれだけの昭和で、
昭和の心というか、ムードというか、ノスタルジィを感じることは・・・ あまりない。
私が酒の楽しみ方を覚えた昭和40年代の後半から50年代にかけては、
お酒を飲むだけじゃなくて、会話や雰囲気で楽しませてくれる小料理屋という分類の居酒屋があった。
因みに小料理屋と居酒屋の区分は、あってないようなものだが、私の頭の中での整理はこうなる。
居酒屋にはレストランのようなメニュー表があるが、小料理屋のメニュー表は基本的に黒板である。
また居酒屋は、基本的に大勢の客を入れて薄利多売のため、お客とお店の距離が遠いが、
小料理屋はと言えば、4人から5人掛けのカウンターに、4人掛けの狭いテーブル席が1つか2つ、
極めつけは2~3人が座れる小上がりがあって、お客とお店の距離が近い。(いわゆる濃厚接触だ。)
さらに、働く人に注目すれば、居酒屋のほとんどは若者のバイトで構成されているが
小料理屋には独特の拘りというか、仕方がなくというか、
何処のお店に行っても、似たような雰囲気を持つ親父や女将が仕切っている。
何に拘りを持ってるのか分からないが、顔に頑固者と書いてある、寡黙な板前兼任の親父が居て
けっして美人じゃないが、達人技ような笑顔と、
名人級ともいえる・・・ 口の悪さを併せ持った年増の女将が居る。
そんな親父や女将を目当てに、用もないのに毎日やって来る飲兵衛と、呑み助がたくさん居た。
夏だろうが、冬だろうが決まった時間になるとフラリとやって来て、
いつもの決まってる席に座ると、何も頼んでないのにビールとお通しが出され、
30~40分ぐらい経つと「お釣りはいらないよ。」と言って、
きっちりと勘定通りの小銭を置いて帰って行く。
後にも先にも喋ったのはこれだけ、
そんなコミュニケーションが、毎日決まったように繰り返されて行く。
女房から貰う小遣いから、自分なりに1日幾らと決めていて、
煙草と昼メシと晩酌で、大よそ1,000円ぐらい、
だから・・・ お通しと言っても、赤身や白身の刺身が出てくることはまずもってなく、
夏なら冷奴か酢の物、冬ならおでん、春は野菜のお浸し、秋は小魚の煮物など、
たかが飲み屋なんだが・・・ そこには四季の彩りがある。
席に座ると・・・ まず、お絞りを広げて手を拭くと、続いてネクタイを緩めて顔を拭き始める。
そして、使ったお絞りが丁寧に畳まれ、左手の前に置かれたころに、
計ったかのようにビールと肴が運ばれてくる。
誰と話すでもなく、カウンター越しの白黒テレビに目をやりながらナイターを見ている。
口は動くが、用がないので喋ることはない。
冷えたビールが喉チンコを擽り始めると、疲れた顔にみるみる生気が戻り始め「美味い。」と独り言
酒は百薬の長というが、頼まれもしないのに証明しているんだから・・・ ちょっと愛くるしい。
バカと言われるぐらい真面目で、見栄はあるが金はなく、
楽しみは女房の笑顔と子供の成長と、馴染みの小料理屋での晩酌
小遣いの範囲内で、静かに浸る悦の世界は、今日も1日頑張った自分へのご褒美なんだろう。
そんな飲兵衛や呑み助が、たくさん居たのが昭和という時代の小料理屋だった。
彼らの懐事情を考えれば、お金をたくさん使ってくれる上客ではなかったものの
金払いが良くて、お店の回転率に気持ちよく協力してくれる、静かで物分かりが良い客だった。
常連客たちが毎晩のように繰り返す酒は、ストレス解消の達人技であり、
スイッチの切り替えを手助けする・・・ 魔法の水であり、百薬の長(いわゆる飲み薬)だった。
仕事やプライベートで、メンタルに陥り易く、ストレスが溜まり易い現代社会は、
昭和の達人たちの目には、どのように映っているのだろうか。
新型コロナウイルスが治まったら、
改めて先人たちの声に耳を傾けてみるのも面白いんじゃなかろうか?
今じゃすっかり死語になってしまった感は否めないが、
小料理屋とか、純喫茶とか、文房具屋とか、大衆食堂といった看板が、
町の中に溢れていた昭和という時代があった。
アフターファイブとか、はんどんとか、それが当たり前に公用語だった昭和という時代があった。
強さを求め、壊しては作り(建て)直す、開発とよばれる文化も必要だが、
温もりを求めて、雑巾がけしながら、磨いて伝える文化も残してほしいと願ってやまない。
32年の時を経て、学ぶことがあるとすれば・・・
昭和をノスタルジーじゃなく、有形無形の文化として捉えることかもしれない。
新型ブルーバード、いや、コロナのおかげで?横丁、小路通いがなくなり、懐は暖かですが、心が寂しい今日この頃。
オンライン飲み会は認めるものの、そこまでして飲みたいとは思いません。
年寄りは、だんだん置き去りにされていく運命でしょうか。