先日 新聞のコラムで
女性の有識者
二人の会話の抜粋記事の
掲載がありました
A女氏 「どうしたなら
男性を信じれる ですか?
B女氏 「信じられる 男性としか出会いません 」とか
関わらないっ とか
(記憶あいまい)
その様な会話のコラムでした
🗞️
男性 女性に関わらず
人を「信じる 信じられる」
ふっと
今 わたしの身の回りの人でわたしを信じてくれる人って
いるのだろうか?
わたしが家族以外に
「信じる」
られる人って誰かな?
「信じる」って何だろう?
📰☀️
以前 迷い事が生じて
「誰かに相談」
ふっと 思った時に
誰もいない事に気がついた
その前には まず
友人を思い浮かべました
でも 「似たり寄ったり」が
友人 よく言う 「類友」
(類は友を呼ぶ)
おそらく 最初は愚痴で
始まり 話の結論の前に
互いの立場 互いの思考も
想像可能
おおよその返答は察しがつく
こうなると おそらく
ただの愚痴の吐き出しで終る
せいぜい
「よいアドハイス」止り?
信じてはいるが
ちょつと違う
以前何度も
このような状況で
互いの立場を 推し量り過ぎ
気持ちを丸め込む
時が多かった
気遣いの 雁字搦め
つくづく 結論は
「自分で決めるものだ」っと 思った
でも 途方に暮れる時がある
📰☀️
別件で心の迷路に
はまった時
脱出のきっかけの言葉を
投げてくれたのは
会話の殆どない人の一言
会話もなく
共通の趣味の会に属しているって だけで 家族構成も不明
年齢も独り身なのかも知らず
でも 彼女の投げてくれた
浮き輪は 溺れた わたしに
ジャスト フイット (^^)v
以来 わたしの心の中で
彼女は
「信じられる人」なのてす
会話が有ろうが 無かろうが
「信用出来る人」
人を信じる
人に信じてもらう
付き合いの 時間の長さ
でも なく
共通の事項の多さでもなく
もちろん
立場の肩書きでもなく
人を信じるのも タイミング
その場 その時 かもです
それにしても・・・
日頃から 心の整った人には
自然と 他人の迷路の
糸口が浮かんで見えるのかも
知れない
類友(類は友を呼ぶ)含め
信じるに値する は
人から滲み出て来る
積み上げた価値かとも想う
日々 精進 (^_^)
ちょっと 頑張ろう~!