ジャパリ星雲 トキワの国

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誕生日記念・これがニャロメだ!

2022-07-17 20:44:00 | 赤塚不二夫
7月17日は、赤塚不二夫作品のキャラクター「ニャロメ」の誕生日!

そこで今回は、皆さんにニャロメのことを知ってもらうべく、徹底解説します!


これがニャロメだ‼︎





《概要》
ニャロメとは、赤塚不二夫の漫画作品に登場するネコのキャラクターである。

「もーれつア太郎」のキャラだが、その他の作品にも多く登場しており、赤塚作品を代表する人気キャラの1人である。

赤塚キャラの人気ランキングでは、2008年の「これでいいのだ‼︎赤塚不二夫伝説」と2015年の「赤塚不二夫80年ぴあ」のいずれでも3位にランクインしている。
連載当時、「もーれつア太郎」はニャロメの登場でその人気に拍車がかかったとも言われている。

ニャロメはア太郎たちの近所に住むノラネコで、基本的には毛虫の「ケムンパス」やカエルの「べし」と共に空き地で暮らしている。
人間の言葉を話し、二本足で立つことができる。


《設定など》
初登場した時は四足歩行で顔もかなり違っており、「ニャロメ」という変わった鳴き声のネコというだけで、青山という飼い主もいた。
後にノラネコになり「ニャロメ」と言ってすぐに引っ込むキャラへと変わり、さらに時間が経つと立って喋るようになった。
初めて立って喋ったのは、外伝「花のデコッ八」のエピソード「花のガードマン」で、ア太郎本編では「ココロの花はウーツクシイ」が最初となる。

いつも元気で、イタズラ好き。おまわりさんをからかったり、ア太郎たちをだましたりすることもしばしばだが、彼自身も純粋・単純なところがあるので、イタズラされる側になることもある。

ネコなので、人間に裏切られたり踏みつけにされたりすることも多いが、めげずに頑張るバイタリティの持ち主。
レギュラーキャラクターのア太郎たちからもいじめられたり酷い目に遭わされたりすることが多いが、誕生日パーティーを開かれたり、時には手を組んだり、不利な立場にあるときにはかばわれたりするなど心底嫌われているわけではない。

銭湯で体を洗う、バスに乗る、逮捕される(!)、人間と同じものを食べるなど、ネコらしからぬ部分が多い。彼自身、自分を「ニャンゲン(人間)」だと主張するシーンもある。

ネコでありながらメスネコには興味がなく、人間の女の子が大好き。いつか結婚することを夢見ている。
カワイコちゃんを見つけると、「おれとけっこんしろニャロメ‼︎」「シャーワセにするニャロメ‼︎」などと求婚することが多い。ただし本気の恋の時にはコツコツとアプローチする。
しかしその恋が実ったためしはなく、大抵は冷たくあしらわれたり、酷い目に遭わされたりして失恋してしまう。奇跡的に良い雰囲気になっても最後に何らかのどんでん返しがあり、完全に恋が実ることはないのである。
ただし、「もーれつア太郎」以外の作品ではネコのガールフレンドがいることもある。

「ニャンゲン」に対する感情は、憧れであったり、裏切りに対する恨みであったり、女性に対する恋心であったりと様々である。いずれにせよ、強い関心と感情を抱いている。

ア太郎たちに無理矢理押し付けられきつくあたっていた汚いノラネコにさりげなく食べ物を分け与える、お金を落として困っている姉弟に自分のことも顧みずお金を渡す、べしを食べたがる富豪にお金を突きつけられてもべしを守るなど、根は非常に優しい心の持ち主である。

文字は「し」「の」「く」の3つだけを書くことが出来るが、読むことは基本的には出来ない。
反面、カルタとりが得意な一面があり、その実力は相当で、大会で優勝したこともある。

経歴については各所で様々に語られており、それぞれに食い違いがある。本編では前述の通り当初は青山という飼い主が登場していたが、誕生日が判明したエピソードでは「冬目」なる人物の家で生まれたことになっており、さらに当時の雑誌記事では「昭和16年3月3日佐渡で生まれる」とされているもの、「ボウフラから生まれてネコになった」とされているものもある。キャラクターソング「ニャロメのうた」では「生まれた時から野良猫ニャ」とある。

誕生日の7月17日についても、原作のエピソード「ニャロメにも誕生日があった」にて、「ニャロメと鳴くネコが生まれて近所の評判になっている」という記事が載っていた新聞の日付が7月17日だったことから、ア太郎とデコッ八が判断したものである。
これに関して、「新聞が夕刊なら僅かながらその可能性があるが、生まれてしばらく経って噂が広まった上で新聞に載ったと考えるのが妥当」とする指摘もある。
しかし公式には7月17日がニャロメの誕生日ということになっているので、ここでは新聞が夕刊だったものとし誕生日を7月17日として採用している。
ニャロメの本編における設定として最も重視すべきなのも、冬目さん宅で生まれたとするものであると考えられる。

前述の通り、「おそ松くん」など他の赤塚作品にも多く登場しているほか、赤塚キャラの中でもマスコット的な扱いを受けることが多く、「ニャロメのおもしろ入門シリーズ」や「赤塚不二夫のさわる絵本」などでは主役を務める。


《アニメでの変遷》

もーれつア太郎(第1作)(1969〜1970)
声:大竹宏、田の中勇(登場初期一部の回のみ)

基本的な設定や性格などは原作とさほど変わらない。「ニャロメ」と鳴くだけのネコとしてデビューしていつしか二足歩行で喋るようになるのも共通。第24回が初登場だが、第11回にも一瞬登場している(当該回の予告にも登場しているがそこでの声は野沢雅子氏の可能性がある)。
登場してからしばらくは甲高い声で、また一部の回では田の中勇氏が演じたこともあった。後に定着した声が初めて出たのは第41回から。これに関して大竹宏氏は、「聞き取りにくいのかな、もうちょっと普通の声に戻したほうがいいのかな」などと思い、自然と演じやすい声に収まっていった、と語っている。
体の色は、モノクロでは白系だが、第78回のカラー移行後は赤。
本作ではニャロメの誕生日は放送日にあわせて12月12日となっている。
「新聞の日付」しか書いていなかった原作とは異なり、こちらは「生まれた日」が明記されていたので確実。

おたのしみアニメ劇場(1970)

「祭りだ!ワッショイ!」という番組の1コーナー。当時の歌謡曲に合わせたオリジナルアニメを流すというもので、バカボンのパパやイヤミらと共にニャロメも登場していた。

元祖天才バカボン(1975〜1977)
声:緒方賢一

ニャロメは「天才バカボン」「天才バカボンのおやじ」にゲスト出演しており、それを忠実にアニメ化しての登場。体の色は黄色。

ぼくらマンガ家 トキワ荘物語(1981)
声:大竹宏

多数の赤塚キャラと一緒に登場。
体の色は赤。

ニャロメのおもしろ数学教室(1982)
声: 小島一慶

3回にわたって放送された、実写とアニメが合わさった教育番組。ニャロメは原作と同じくメインのナビゲーターとして登場。体の色は赤。

おそ松くん(第2作)(1988〜1989)
声:千葉繁

全編にわたってレギュラー出演していた。しかし元がおそ松くんのキャラクターではないためメインを張ったことはなくあくまでサブキャラに徹していた。場面転換などで狂言回し的に登場することも多い。
二足歩行で喋るのは変わらないが、本家よりはネコらしく扱われている部分もある。
本作に登場するキャラクターの殆どに共通することだが、話によって様々な役回りが振られる。「文句あっか!」という口癖がある。体の色はオレンジ。

もーれつア太郎(第2作)(1990)
声:神谷明

原作や第1作とは異なり、第1回から登場。元々デコッ八の実家の旅館の近辺に出没していたが、デコッ八が上京する時に荷物に紛れて一緒に来て、そのままア太郎たちの近所に住み着いたという設定。
神谷明の演技により原作や旧アニメ以上にお調子者でテンションの高いキャラになっている。自身を「ニャンゲン」だと主張する様子もやや強調されている。
キャラデザは目が大きく手足が短いなど、より可愛らしいものになった。
女好きも変わらないが、本作ではアニメオリジナルキャラのモモコにも惚れている。彼女からは「ニャロメちゃん」と親しみを込めて呼ばれるが、図々しさや強引さを煙たがられている部分もあり、第32回では盛大にフラれている。
原作では発覚した時点で年齢は28歳となっていたが、本作では20歳となっている。
体の色は赤。

アニメ週刊DX!みいファぷー(1998〜1999)
声:西村朋紘

「こっちむいてみい子」「ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー」「ヘリタコぷーちゃん」を1つの枠で放送していた番組で、ニャロメはべし・ケムンパスと共に進行役として登場。担当者が同じであるためキャラデザはア太郎第2作に近い。体の色は赤だが、ア太郎登場時より若干ピンクがかっている。
当時の雑誌記事では「ちょっと でしゃばりな ネコだニャロメ!」と紹介された。

ニャロメ2008(2008)
声:大竹宏

NHK BShiで放送された「赤塚不二夫なのだ‼︎」という番組内の短編アニメ。ニャロメが松尾スズキを相手に過去やほかのキャラたちの現在を語る。サングラスと服を着用しているが、最後のみお馴染みのスタイルになる。体の色はオレンジ。

これでいいのだ‼︎映画★赤塚不二夫(2011)
声:浅野忠信

アニメとして合成で多くの赤塚キャラと共に登場した。ニャロメのモデルとなったとされるネコについての話題でイメージ映像でも登場した。体の色は赤。

バカと科学でバ科学なのだ‼︎(2015)
声:大竹宏

世界のおもしろ映像を科学的に分析する番組。ニャロメはバカボンのパパと共に解説役として登場した。近年の公式イラストほぼそのままの姿で、オレンジ色の体で口の中は黄色い。

《その他》

「ニャロメ」というのは元々、漫画家・タイガー立石氏による造語で、氏の作品で度々使われていた。氏と交流のあった赤塚先生がそれにインスパイアを受け、ネコのキャラクターに「ニャロメ」と言わせたのがニャロメ登場のきっかけである。

ニャロメは当時流行語にもなり、東宝怪獣「ガニメ」のネーミングモチーフになったほか、学生運動のシンボルになるなど、多数の影響があった。「ドラえもん」にもパロディが複数ある。

ニャロメのキャラクターソングとしては、原作のイメージソングとして「ニャロメのうた」「おれと結婚しろニャロメ」「ニャロメのマーチ」
アニメでは「ニャロメのうた」(第1作)(上記のものとは別曲)、「ニャロメのROCK」「星を見つめるニャロメ」(第2作)といったものがある。



皆様、ニャロメのこと、知ってもらえたでしょうか⁉︎
「もっとこんなこと知りたい!」などあれば、可能な限りお答えします‼︎

「映画おそ松さん」感想

2022-03-27 20:07:00 | 赤塚不二夫
「映画おそ松さん」を鑑賞してきた。
どのような作品かは、この記事を読みに来てくれている方はほぼわかっているだろうし概要については多くは語らないが、僕としては「どうなることやら」という気持ちが強かった。
以下、感想を書いていくが、ネタバレ注意である。





全体の印象としては、良くも悪くもこれも「おそ松さん」らしいのかなぁという気はしつつ、満足いく内容だったかと言えばそれは否定せざるを得ないな、といったところである。
全く楽しめなかったわけではないのだが…。

全体の流れとしては、老夫婦の養子になるべく奮闘する6つ子たちだが、色々やるうちに養子なるという目的からも「おそ松さん」という作品からもどんどん逸脱していき、それをなんとか終わらせようとする…というようなもの。
本編開始からしばらくは実写ながら「おそ松さん」の雰囲気もよく出ていて普通に笑ってしまった部分もいくつかあったわけだが、話が逸脱している部分が非常に長く(尺的にはむしろここがメインだったようにも思う)かつ起こっていること自体も多くいつどんな風に収拾がつくのかも全くわからなかったので、はっきり言って退屈さを感じてしまった。話が本筋に戻った後も意外な展開が続いてそこは見ものだったとはいえ、テンポ感は微妙でダラダラした印象を受けてしまった。

型破りさという意味ではこれもまた立派に「おそ松さんらしい」内容だったのかもしれないが、本質的にはあまり「おそ松さん」の楽しさを感じることができず、僕としてはどうしても物足りなさを感じてしまった。
個々に見るとハルのエピソードや十四松のタイムスリップなど興味深いものはあったし、かなり色々あった末に全てを合理的に(と言っていいのだろうか…)片付けて最終的に振り出しに戻ってくる展開も上手いものは感じた。
個人的評価で言えば、尺を取りすぎたのが良くなかったのだろうか。


そして、赤塚不二夫作品、「おそ松くん」を原作とした作品として見ても、期待通りの内容だったとは言い難かった。
僕は単体のアニメ作品としても「おそ松さん」を楽しんではいるが元来は赤塚不二夫ファンであり、おそ松さんを追い続けている理由も根本的にはそこにある。だから、「おそ松くん」の派生作品としての要素も少なからず欲していたわけだが、その辺り殆ど感じることができず残念だった。6つ子が養子になるという展開はおそ松くんの「こづかい毎日五万円」がベースになっているのではとも噂されていたが実際見るとそんなに繋がりは感じなかったし。
そもそも本作は、「おそ松さん」が元々「おそ松くん」から派生したアニメでありながら、そこからさらに派生した作品であり、パンフレットで関係者等が述べているように「原作」として見られているのはアニメおそ松さんであり、意識の対象も殆どそこのみ。僕にとってはあくまでおそ松くんの一派生作品であるおそ松さんもこんなに大きな作品になってしまったんだなと改めて実感しつつ、寂しさも感じてしまった。
「おそ松さん」のファンサイドでも、原作ファンだとか原作再現がどうとか色々なことが言われているが、こちらとしては今更というか、「あなた方もそちら側に回ることがあるんですね」というか。
こちらは2015年以降、概ねそういう気持ちでずっと「おそ松さん」を見続けているのだ。少しは気持ち、わかってもらえただろうか。

おそ松くんの派生作として見て特別不快感を覚えなかっただけ良かったのかもしれない(ハタ坊についても前情報で少し知っていたからかそこまで気にはならなかった。自分のよく知るハタ坊だとは認識できなかったからというのもあるかもしれない)
そんな中で僅かに確認したものでは、パンフレットによると赤塚先生の写真(実写なので本物)は変わらず松野家にあったらしいし、庭にはニャロメ風埴輪もあったとか。映画で実際には気付かなかったがこれは嬉しい事実だ。
また、監督は赤塚イズムを大事にしていたようで、そこも好感が持てる。

実写という試みや各キャラクターについても触れておこう。
舞台などをカウントしなければおそ松さんの実写による映像化は史上初めてで、本編でもメタ的に自虐的にかなりネタにされていたが、個人的にはこれは嫌いじゃなかった。「深夜!天才バカボン」ほどしつこくなかったし、芯になるストーリーはしっかりあったし。

6つ子は各々のキャラクター再現はほぼ問題なかった。自分はSnowManのメンバーをちゃんと覚えてるわけではないので、服装などの特徴が違うと名前を呼ばれないと何松だかすぐにはわからないパターンも結構あり、ある意味で「誰が誰でもおんなじざんす」が実現されているなぁと感じてしまった。
ただ、キャラクターそのものとして見るより、あくまで「SnowManが6つ子を演じている」という風にしか認識できなかったのは致し方ないところか。

松代と松造も雰囲気が出ていてなかなか良かった。
松代の方は比較的よく知っている方なので見てすぐわかったし松造も名前を見たら有名な人じゃん!となった。光石研さんはいつかのネタでトド松役だったことがあるので、トド松から松造になったと言えるのか。

トト子・イヤミ・チビ太の3人は意外にも(?)かなり重要なポジションだった。狂言回し的な役割で映画全体や物語を調整していたほか、彼らの存在があったからこそ「おそ松さん」としての、ひいては「おそ松くん」の関連作品としての体(てい)が保たれていた。そして3人とも、キャラクターの再現としても演技としても見事だった。トト子は可愛さも保ちつつしっかりはっちゃけるところははっちゃけていたし、イヤミもイメージそのままでさすがベテランといったところで、チビ太も女性が演じるということでどうなるんだろうと思っていたがちゃんとチビ太になっていて流石だなと思った。このお三方がいなかったら僕のこの作品の評価は一層厳しいものになっていたと思う。

ハタ坊は加藤諒さんが演じている点も含めサプライズ登場だったと言えそうだ。前評判でヤバいことを聞いており実際キャラ崩壊と言われても仕方ない感じだったが、僕としては「せっかくだからハタ坊(っぽいキャラ)も出してみよう」みたいな感覚で名前と特徴を借りただけ、くらいに思ってハタ坊本人と認識しなかったからか、あまり気にはならなかった。せっかく出すならもっといい役にしてくれればよかったのに、と思わないでもないが。

ほか、鑑賞中にも一部気付いたが、栗原類さん、厚切りジェイソンさん、忍成修吾さんまで出演しており、脇役まで何気に豪華キャストだ。
主題歌「ブラザービート」もなかなか好みだ。


長くなったが、書きたいことはだいたい書けた。
個人的には、完全につまらないとも、すごい駄作だとも思ったわけではないが、少なくとも高評価に値するものではなかった。これは僕が求めていたものとは違っていただけだろうとは思うし、頑張っていたとは思う。繰り返し見たらまた印象も変わってくるかもしれないが、高い映画代とそこそこの時間をかけてすぐそうしたいとも思わないので、また円盤なり配信なりを待ってみよう。
今年はまだ新作アニメ劇場公開も待っている。こちらはどうなるだろうか。

「天才バカボン」TVアニメ全5作紹介

2022-01-23 18:56:32 | 赤塚不二夫

赤塚不二夫原作「天才バカボン」は、これまでに5回テレビアニメ化されている。

そして僕は、それを全話視聴済みである。

今回は、それらを自己流に解説していく。

資料として、参考にしてもらえれば嬉しい。

ただし、この文章はあくまで僕の独断と偏見によるものであることは留意していただきたい。

尚、ここの文章の大部分は過去に某所で書いたものを流用している。

 

第1作:天才バカボン

1971年9月25日~1972年6月24日 全40回

よみうりテレビ 土曜19:00~19:30 東京ムービー制作

 

ほのぼのホームドラマなのだ

最初のテレビアニメ。

放送開始からしばらくは比較的原作に忠実なギャグ作品となっていたが、スポンサーの移行により中盤頃にホームドラマ路線へとシフト。独自色の強い人情ハートフルコメディが物語の主体となり、多くのオリジナル要素が加えられ、結果的に原作とは大幅にカラーの異なる作品となった。特に、バカボンのパパに定職が与えられたのは原作・アニメ通しても唯一である。こうした内容の改変は、原作者の赤塚不二夫を失望させることとなった。しかし、単体のアニメ作品としては評価が高く、現在でもファンの多い作品でもある。

尚、主題歌は全シリーズ中最も有名。「西から昇ったお日様が東に沈む」というフレーズは誰もが聞いたことがあるだろう。

 

(個人評)筆者としても赤塚不二夫先生の原作が好きなのでこのアニメには不満も多く、他の赤塚アニメと比較すると相対的に評価が低くなるのも事実です。しかしやはり同時に原作と切り離せば出来のいい作品であるのも事実、「これはこれで好き」であることも間違いないですね。

 

第2作:元祖天才バカボン

1975年10月6日~1977年9月26日 全103回

日本テレビ 月曜19:00~19:30 東京ムービー制作

 

このハチャメチャ感こそバカボンなのだ

前作より3年の時を経て再アニメ化。「元祖」の称号は、前作の改変内容を踏まえ「本作こそ決定版のバカボンである」という意味合いをこめてつけられたとされており、赤塚不二夫本人による命名という情報もある。

前作とはうってかわってアナーキーなナンセンスギャグ作品となり、原作を重視した内容は好評を博し2年間に及ぶロングラン放送となった。これは赤塚アニメとしても最長の放送期間を誇る。キャストはパパ役の雨森雅司をはじめ多くは前作から続投しているが、おまわりさん(本作から本官さんとも呼ばれるようになる)のみ肝付兼太に交代(ただし前作のおまわりさんは原作と異なるキャラデザとなっていたため、ある意味別キャラとも言える)。また前作放送時は原作でもまだ登場していなかったウナギイヌが本作から登場している。

こちらはEDが有名。作詞は赤塚不二夫本人で、「41歳の春だから」のフレーズからパパの年齢は41歳として概ね定着している。

 

(個人評)最も成功した赤塚アニメといっても過言ではないのではないでしょうか。筆者自身としても、一番好きなバカボンアニメとして挙げるのがこれです。ただ原作に忠実とはいっても作画面は独自色が強いほか内容も長期シリーズ故時期にもよる部分もあり、特に終盤になるにつれ独自展開も多くなるのでそこは要注意ではあります。

 

第3作:平成天才バカボン

1990年1月6日~1990年12月29日 全46回

フジテレビ 土曜18:30~19:00 スタジオぴえろ制作

 

新しくなっても楽しいのだ

1988年2月から放送されていた同じく赤塚不二夫原作の「おそ松くん」の後番組として放送された。「おそ松くん」とは多くのスタッフが共通しており、作風やキャラクターデザインが似通っているほか、BGMも一部共通している。

「天才バカボン」のアニメとしては「元祖」のスタイルを継承しており、原作改変も多かった前番組「おそ松くん」と比較してもより原作に近い内容となっている。原作をベースとしつつ舞台は現代であるため、平成を思わせる事物も度々登場する。

前作までパパを演じた雨森雅司が鬼籍に入っていたため、富田耕生が後任となり、これ以降富田は多くの場でバカボンのパパ役として起用されていくこととなる。その他のキャストもママ役の増山江威子以外は一新された(ただし本官さんとレレレのおじさんの千葉繁は前番組「おそ松くん」の序盤でも同様の2役を演じていた)。

 

(個人評)非常に安定していると思います。「元祖」も良いのですが、あちらはやや上級者向けな部分もあると思うので、この「平成」であれば初心者にもオススメしやすいですね。初心者にもマニアにも優しい内容です。ただ、いい意味でノーマルでもあるので、特別これといった強いイメージがないのが強いて挙げられる難点でしょうか。

 

第4作:レレレの天才バカボン

1999年10月19日~2000年3月21日 全24回※

テレビ東京 火曜19:28~19:55 スタジオぴえろ制作

 

現代でぶっとんだことやるのだ

「平成」とほぼ同じ制作体制で4度目のアニメ化となった。

これまでのシリーズと同様、原作のエピソードをベースに構成されているが、大幅な改変や独特の演出等により独自の世界観が展開されている。本官さんのピストルがモデルガンになっているなど規制も目立つ一方で原作に近い過激な描写がそのまま放送されたり、「現代版バカボン」を強く意識した作りになっていたり(時事ネタが頻繁に登場する、突然登場人物の顔が3Dになるというようなギャグが挟まれるなど)するのも特徴。

シリーズで初めてデジタル制作が導入されたが、一部の回はセル画となっている。キャストは「平成」と同様ママ役の増山江威子が続投しているほか、千葉繁が本官さんとレレレのおじさんの一人二役として「平成」から再登板している。そのほかのキャストは一新され、特に小倉久寛によるパパはこれまでにないタイプとなっていた。

(個人評)ファンの間ではかなり賛否の分かれやすい作品です。確かに演出過剰だったり「滑ってますよ」ってギャグもあったりしますし、声の違和感についても(筆者は慣れたとはいえ)頷けます。ただ、ちゃんと「天才バカボン」のアニメでありつつ「現代のアニメ」としても成立している点は今となっては非常に評価に値しますし、何より今観ても十分面白いと言えます。

 

※「レレレの天才バカボン」は本放送では2回スペシャルが

あったため、実際の放送回数は全22回。

 

第5作:深夜!天才バカボン         

2018年7月10日~2018年9月25日 全12回

テレビ東京 火曜深夜25:35~26:05 

studioぴえろ+制作

 

深夜のオリジナルバカボンなのだ

「レレレ」から実に18年ぶりのテレビアニメ化で、初の深夜枠での放送になった。

本作の大きな特徴は、原作のエピソードからアニメ化されていた従来のシリーズとは異なり、全話が完全にオリジナルストーリーとなって、監督・脚本を務めた細川徹の個性が色濃く出た内容になっていることであり、深夜の放送を意識したギャグやメタフィクショナルなネタが非常に多い。実在の人物の出演も多く、殆どは本人役として声の出演もしている。同じ赤塚不二夫原作で大ヒットした「おそ松さん」を意識した点もいくつか見られる。尚、原作のエピソードの映像化はないが、各話のゲストキャラクターの造形など細かい部分で原作から引用された要素は多数存在し、さらに第11話は原作のとあるエピソードが深く関わるストーリーとなっている。

キャストはママ役を含め完全に一新されている。

 

(個人評)辛辣な言葉になりますがはっきり言いますと、この作品は「勘違いした監督が自己満足で作った結果見事に滑った作品」といっていいと思います…。普通に原作の話をやればいいのに何故それをしないのかという気持ちも強いですが、そうして作られたオリジナルネタも正直純粋な面白さという点で微妙ですし、おそ松さんのように新たなファン層を獲得できているわけでもないようで需要もよくわからず…。

ただ、やっぱりテレビアニメ第5作として天才バカボンが復活したという点だけでもこの作品の価値は大きく、さらにおそ松さんとは違ってキャラクター設定などは殆ど原作のままであることも特筆すべきポイントです。面白さという点で微妙とはいっても全話がそうだったわけではありません。残念だったことは否めませんが、なければ良かったというような作品では決してありません。

そして、11話だけは間違いなく「良かった」と言えます!! 極端な話、「深夜!」は第11話だけ観ていただければ十分ですね。

 

天才バカボン、テレビアニメ第6作も心待ちにしております。


バカボンのパパの年齢は?

2021-10-23 19:09:43 | 赤塚不二夫
バカボンのパパの年齢といえば、多くの人が「41歳」と認識しているだろう。

アニメ「元祖天才バカボン」の2代目ED、「元祖天才バカボンの春」にある「41歳の春だから」の歌詞はあまりにも有名だ。

しかし、意外に知られていないのだが、実際の作品中を見てみると、一概にそうとも断言できないのだ。

今回は、バカボンのパパをはじめ「天才バカボン」の登場キャラクターたちの年齢について、考察・整理してみたい。

尚、以前の記事にて、天才バカボンにおける過去のエピソードはどこまで信用できるものなのか疑わしいという旨のことも書いたが、ここではそうした過去編も貴重な資料として考察のため活用するものとする。
また赤塚不二夫公認サイトでは、「バカボン世界では不思議な時間が流れており年齢の概念が我々とは違う(要約)」として曖昧にされており、かつそれ以前にそもそもギャグ漫画に真面目な考察は野暮と思われるかもしれないが、そうはいっても個々に別々にキャラクターが存在する以上設定も各々に存在するはずで、作中でそうした設定がどのようになっているか明らかにするのが本稿の目的である。



バカボンのパパ
→41歳または、45歳。さらに違う説もあり⁉︎

冒頭に書いた通り、「元祖天才バカボンの春」にて「41歳の春だから」という歌詞があり、作詞も赤塚不二夫先生本人によるものである。
しかし、原作・アニメ通して、本編中にバカボンのパパの年齢として「41歳」という数字が出たことは(少なくとも自分が確認できた限りでは)一度もない。

一方で、原作の「ダジャレ特集6本立てなのだ」(週刊少年マガジン1973年10月7日42号、竹書房文庫第15巻、ebookjapan第18巻)で占い師に年齢を尋ねられた時パパは「45歳」と答えたことがある。

「10本立て大興行」(週刊少年マガジン1972年12月3日51号、竹書房文庫第12巻、ebookjapan第15巻)のうちの1本「パパの履歴書」でも、(全体的に支離滅裂な内容ではあるが)最終的に落ち着いた年齢が「45歳」となっている。


先に少し触れたが、赤塚不二夫公認サイトの「よくある質問」のコーナーではまさに「バカボンのパパは、何歳ですか?」という質問がある。実際にそちらを見てほしいが、記述としては「41歳」という設定を断言もしていないが、半分認めていると解釈しても問題はない回答となっている。
また先述の「パパの履歴書」や、赤ちゃん時代のエピソード(「わしの天才がバカになったのだ」(週刊少年マガジン1972年1月9日2号、竹書房文庫第10巻、ebookjapan第12巻))を見るに、パパが昭和元年生まれであるのはほぼ間違いなく、そうなると連載開始の1967年時点でちょうど41歳になることになり、辻褄が合うのも確か。
後述のママの年齢から言っても、パパは41歳の方が自然になる。
45歳は裏設定的なものとして捉えればいいだろう。
8までしか数を数えられないパパが正確に自分の年齢を数えられるのかというのも怪しい

はっきり個人的な考えを言うと、今やパパの年齢は「41歳」というのが浸透しすぎており、今更「45歳」として訂正するようなこともないだろうと思う。41歳を否定するだけの十分な証拠も、45歳を肯定するだけの決定的な証拠もないし。

…ややこしくなるのが「クラスメートルの合いことばなのだ」(週刊少年マガジン1972年3月5日11号、竹書房文庫第10巻、ebookjapan第12巻)である。これによればパパは28年前にバカ大の3年生だったという。大学3年生というと概ね20〜21歳となるから、28年経てば48〜49歳になる…。
しかしまぁこれも、この28年というのは横井庄一氏が28年間ジャングルにいたことに因んでいるに過ぎないので深く考えない方がいいのだろう。

バカボン
→小学生。一応、5年生が有力。

バカボンは学校生活が描かれることは極端に少ないものの、小学生である。学校から帰ってくるシーンや宿題をやっているシーンがあり、またバカボンの担任の先生も色々出てきてギャグの題材となっている。
学年に関しては一応明確に数字が出ており、五年生のようだ(「天才バカボンの3本立てなのだ」(週刊少年マガジン1973年9月2日37号、竹書房文庫第15巻、ebookjapan第17巻))。

「なぜか見えない再会なのだ」(週刊少年マガジン1972年5月7日20号、竹書房文庫第11巻、ebookjapan第13巻)では10年ぶりに会いに来たパパの親友がバカボンを見て「大きくなったなあ‼︎」と感動するシーンがあり、ここからも少なくとも10歳以上であることは裏付けられる。

アニメ「平成天才バカボン」でもバカボン本人が「4年前から学校に通っている」と語っている(第14回Bパート「よってないけどヨッパライなのだ」)。4年生と錯覚しそうになるが、ちゃんと数えればこちらも5年生となる。

ただし、劇中に登場する宿題の内容などは、5年生のものとして統一されているわけでもないようだ。赤塚不二夫公認サイトでは、時によって変わるものとして大雑把に小学生とのみ回答している。

また、「天才バカボン」アニメ第1作では、3年生で統一されている。

バカボンのママ
→多分、パパより年下。あるエピソードによると、39歳。

ママは、パパとの馴れ初めエピソード(「わしの初恋の若さなのだヤマちゃん」(週刊少年マガジン1971年11月21日48号、竹書房文庫第9巻、ebookjapan第11巻)等)でセーラー服を着て「黒百合女学院」に通う様子が描かれており、この時高校生ほどだとすれば同時期にバカ田大学の学生だったパパよりも少し年下ということになる。

少年マガジン掲載時代には具体的な数字は最後まで出なかったようだが、「平成天才バカボン」放送時に掲載された「まごがほしいのだ‼︎のまき」(コミックボンボン1990年7月1日号、ebookjapan第36巻)では「39歳」と語られている。
この設定にどこまで効力(?)があるかは定かではないが、作品全体に適用しても矛盾はないと言っていい。
そして少し話が戻るが、ママが39歳とすればやはりパパは41歳の方がより自然だ。

尚、アニメ「元祖天才バカボン」の第79回Aパート「恐怖の無責任先生」ではママは一度32歳と自称しているが、こちらではパパも30代でないと辻褄が合わなくなるなど、信憑性は低めだ。

ハジメちゃん
→生まれた時(0歳)から登場し、最終的に4歳まで成長。

連載開始直後はハジメちゃんの誕生までの様子が細かに描かれたらのち、序盤にて誕生する。つまり当初はハジメちゃんの年齢は間違いなく「0歳」である。
これは同じく誕生の様子が描かれたアニメ第1作でも同様。
その後もしばらくは「はいはい」をするなど赤ちゃんとしての状態が続いたようだが、「歩きはじめたハジメちゃん」(週刊少年マガジン1968年1月28日5号、竹書房文庫第3巻、ebookjapan第3巻)で歩けるようになったあたりから曖昧になったようで、「天才バカボン 88ページ特集」(月刊少年マガジン1975年11月号、竹書房文庫第19巻、ebookjapan第23巻)のうちの1本「バカなパパをもったママのないてあかした100日間なのだ‼︎」にて、ママの友人・ヤッちゃんから年齢を尋ねられてハジメ自ら「4つ」と答えており、最終的には4歳まで成長したということになる。

「元祖天才バカボン」以降のアニメでもハジメは最初から歩ける状態で登場しており、また赤ちゃんらしい描写も特には見られず、ほぼこの「4歳」(あるいはそれに近い年齢)という設定に準じているとみていい。

ハジメが成長している中周囲のキャラには特に変化がないのは不思議といえば不思議だが、これは設定の調整であり漫画ではよくある話だろう。
赤塚不二夫公認サイトに書かれている、不思議な時間の流れというのはこういうことなのだろう。

目ン玉つながりのおまわりさん
→詳細不明だが、パパより数歳年上と思われる。40代半ば〜50歳くらい?

目ン玉つながりのおまわりさんは出番が多いわりに個人としてのキャラが掘り下げられることは意外に少なく、年齢についても詳しいことは確認できていない。
手がかりとして、「わしの天才がバカになったのだ」(週刊少年マガジン1972年1月9日2号、竹書房文庫第10巻、ebookjapan第12巻)でパパが赤ちゃんだった頃に幼児ほどに見える彼の姿が確認でき、パパより数年年長であることがうかがえる。

レレレのおじさん
→諸説あるが、70代ほどと考えれば問題ない。

詳細は以前の記事を見てほしいが、レレレのおじさんの経歴は割と不思議。とはいっても、最も優先すべきは50年前に結婚してたくさん子供を作ったという設定だろう。そうなると本編中では推定70代ほどだ。



以上、バカボンの主要キャラの年齢について、ざっとまとめてみた。いかがだっただろうか。
もし、ここに書かれていない有力な情報などがあれば、ぜひ教えていただきたい。


殆どの人は、「バカボンのパパは41歳」という設定に何の疑いも持っていないと思う。書いた通りこれは間違ってはいないのだが、より詳細な正確な情報というものは、知られていないものなのだ。そうした情報をこうやってブログにて少しでも広めることができれば、僕はとても嬉しく思う。

謎深まるレレレのおじさんの過去

2021-06-05 20:51:10 | 赤塚不二夫






レレレのおじさんは、「天才バカボン」の名脇役である。
いつも路上を掃除しつつ、パパたちに「おでかけですか?」などと声をかける、とぼけた感じが人気のおじさんだ。



基本的にチョイ役であるが時折目立った活躍をすることもある。
また神出鬼没のキャラであり、夜中でも路上に布団を出して寝ていたり、地中を掘り進んでいるとそこに突然現れたりすることもある。

ここで気になるのが、レレレのおじさんの「過去」だ。チョイ役ながら度々そのキャラが掘り下げられるレレレのおじさんだが、そこでのそれぞれの情報を総合すると彼が非常に謎の多い人物であることに気付かされるのだ。一度、その辺りについてまとめて考察してみたい。

…尚、長期連載作品において後付設定が増えて辻褄が合わなくなるというようなことはよくある話であり、まして天才バカボンはギャグ漫画なのだから、真面目に考察することはそれこそナンセンスなのかもしれないが、あえてそんな誰も触れることがなかったことに触れるというのは面白いんじゃないかということで、あえて今回はこの話題で真面目に語っていきたい。

さらに、レレレのおじさんは少なくともマガジン掲載分までの原作ではレレレのおじさんとは呼ばれず殆どは「おでかけのおじさん」と呼ばれているのだが、ここでは現在の公式名称であり一般認知度も圧倒的である「レレレのおじさん」の名称を使うことにする。
また、本編の時間軸は便宜上「現在」と呼び、「●年前」などの表現は非常に大雑把に用いる。

原作中にある「過去」

まず、レレレのおじさんの過去エピソードとして比較的有名だと思われる「はじめてあかす おでかけのおじさんの意外な過去なのだ‼︎」(竹書房文庫第19巻、月刊少年マガジン1975年11月号)から紹介しよう。
レレレのおじさんが、いつも道端で掃除をしている理由が明かされる回だ。

これによれば、レレレのおじさんは50年前に結婚し、そこからさらに5年後(つまり45年前)には最終的に25人もの子供に恵まれたという。現在はすでに全員、独り立ちする年齢にまで育っており、妻とは死別している。掻い摘んで言えば、たくさんの子供たちの相手をするのに箒を使っており、子供たちが巣立っても妻に先立たれても、その時の癖が抜けずに外をずっと掃除している…ということだ。

ここでの情報をまとめれば、レレレのおじさんは50年前には既に結婚するほどの歳になっており、子供たちも現在の時点で少なくとも45歳くらい(パパと大して変わらないはず)となる。レレレのおじさんは現在で推定70代ほどといったところか。おじさん、と言いつつほぼ「おじいさん」の年齢だ。
子供たちの自立の後、妻に先立たれたようなので、だいたい30年前に子供たちが自立、20年前に妻が死去と考えて問題はなかろう。
最も「正史」として扱うべきは、やはりこれだろうか。

次に紹介するのは「わしの初恋の若さなのだヤマちゃん」(竹書房文庫第9巻、週刊少年マガジン1971年11月21日48号)。これはパパとママの馴れ初めエピソードだ。パパもママもまだ学生なので、概ね20年ほど前だろう。学生寮にいるパパがママにラブレターを渡しに行くときに、パパと同じ学生帽学生服のレレレのおじさんがお掃除をして「おでかけですか?」と見慣れた調子で声をかける。パパはその後、「いまおでかけのおじさんにあったので」と言っているので本人の可能性が高い。パパと大して変わらないように見えるので20歳くらいか。

ここでの情報では、レレレのおじさんは約20年前に20歳くらい、現在で40代程度か。…この時点で「あれ?」と思った方は多いと思う。それが、まだまだ序の口なのだ。

パパとママの馴れ初めから新婚までのエピソードは3部作で実質一続きになっている。
新婚エピソード「新婚はヤキモチだらけなのだ」(竹書房文庫第9巻、週刊少年マガジン1971年12月5日50号)でもレレレのおじさんは登場する。この時点でレレレのおじさんは現在とほぼ変わらない姿だ。学生時代から大して時間は経過していない…多めに見積もっても5年くらいじゃないかと思うが、その間にレレレのおじさんは完成しているのだ。まぁ、ママももうこの時点で現在と殆ど変わらないので、これはあまり不自然ではないのかもしれない。

さらにややこしくなるのが、パパの赤ちゃん時代を描いた2部作「わしの生まれたはじめなのだ」「わしの天才がバカになったのだ」(竹書房文庫第10巻、週刊少年マガジン1972年1月1日1号・1月9日2号)である。
パパの赤ちゃん時代なので推定約40年前。なんとここでは両編ともレレレのおじさんは現在と変わらない姿で登場する。後編では赤ちゃんパパに「あなたはこれからもずーっとおそうじしてますよ‼︎」と言われているので本人だろう。

ここでの描写から解釈するなら、レレレのおじさんは約40年前で30〜40代で、現在70〜80代ほどと考えるのが自然だろうか。50年前に結婚して子供が生まれたとなると年齢上は一応無理はないが、子供たちはまだまだ巣立っていくような年齢にはなってないだろうし…?

そして直接「過去」が描かれているわけではないが、驚くべきなのは「竜宮カメちゃんわしのものなのだ」(竹書房文庫第9巻、週刊少年マガジン1971年9月19日39号)だ。現在の話ながら、ここではなんと、レレレのおじさんの「むすこ」が2コマだけ登場しているのだ。10歳にも満たない感じで、明らかに先述の50〜45年前にできた子供たちの中の1人ではない。60代で授かった子供ということになる…?またレレレのおじさんは25人の子供を産んだ奥さんには先立たれているので、再婚した可能性すら浮上する。

分析

さて、閲覧者の皆さん。いささかややこしい話に、頭がこんがらがったのではないでしょうか。自分も書きながら、多少混乱してしまった。ここで、これまで挙げた情報を、時系列順に並べてみよう。


①50年前:結婚。まず5人の子供ができる。(推定20代くらい)
②45年前:子供が25人まで増える。(①からプラス5歳)
③約40年前:既に現在と変わらない風貌で外を掃除している。子供や妻はどうなっているのか不明。(推定30〜40代)
④約30年前:子供たちが自立。(推定40代くらい)
⑤-1 約20年前:妻に先立たれる。(推定50代くらい)
⑤-2 約20年前:お掃除はしているが、見た目も若く学生服姿で、当時のパパと同じくらい、つまり大学生。(20歳くらい)
⑥約15年前: 既に現在と変わらない風貌で外を掃除している。(⑤-2からプラス5歳くらい)
⑦10年未満前:息子が生まれる。(60代??30代??)
⑧現在:我々もパパやバカボンたちもよく知る、レレレのおじさん。(70代?40代?)

こうして並べたら、明らかにおかしいことはわかっていただけるだろう。これが全て事実で、全て同じ人だとすれば、突然若返ったり、かなり遅くに再婚して子供を作ったりしていることが考えられるのだ。

現在の年齢の説が2通りあるため、複数のパターンに分けて考えようにも、③でパパの赤ちゃん時代に現在と変わらない様子でいるレレレのおじさんだけはどうにも解釈が難しくなる。
そもそも何種類も存在すると考えることができてしまうレレレのおじさんって一体…。

やはり謎は尽きず、これだけでは結論も出そうにない。

疑惑

ここで、振り出しに戻るような形にはなるが、このことについて考えてみよう。

そもそも、これらの過去のエピソードは、どこまで信用に値するものなのだろうか?

こうしたエピソードが紹介される時は、殆どの場合はあの世界における「正史」として疑われることもなく語られるが、果たして本当に「正史」なのだろうか?よくよく見ればこれらのエピソードには、食い違い的な矛盾以外にも、描写としておかしな部分がいくつかあるのだ。

まず「はじめてあかす(以下略)」では、その過去や心情から照らし合わせると不可解な行動をとったレレレのおじさんに対してパパが「なんだかわかったようなわからないような話なのだ・・・・」と首を傾げるというオチになっており、微妙に疑わしいものを残している。

またパパは「天才バカボン」の初期の頃は「〜なのだ」という口調で話しておらず、時間が経つにつれてそうした口調が定着していった。つまり時系列的に言えば「天才バカボン」本編開始前の学生時代や赤ちゃん時代(バカになった後)はこの口調を会得(?)していないはずなのだが、ここで紹介した過去編ではいずれも既に「なのだ」口調になっている。

さらに、「わしの生まれた(以下略)」ではパパは生まれた直後に喋り出すほどの超天才児だったことになっているが、竹書房1巻「しゃべりハジメなのだ」にてハジメちゃんが生後2週間で初めて喋った時にパパは「わしゃ十三ではじめてしゃべったのに!」と語っている。

極めつけは「わしの天才が(以下略)」である。
この回の中で、茶々を入れてくるウメボシ仮面に対してパパのパパが「劇のじゃまをするな‼︎」と言って蹴っ飛ばすくだりがある。
言葉の意味が不明瞭で扱いに困るからか殆ど注目されていないが、これは聞き捨てならない台詞である。我々は、劇を見せられていたのだろうか。

ここでは割愛するが、これ以外にも過去編におけるおかしな部分はまだまだたくさんあるのだ。

もしかして…

パパのパパの発言は、実は大きな手がかりになる可能性がある。

我々はやはり、パパのパパの言葉にある通り、過去のエピソードを見せられているとずっと思っていたが、パパたちによる演劇のようなものを見せられていたのではないか。

考えてみれば、ここで紹介したエピソードはいずれも、「ドラえもん」のようにタイムマシンで実際の様子を見に行っているわけではない。

そして赤塚漫画はスターシステムを多用する漫画だ。「おそ松くん」で顕著だが、「天才バカボン」でも度々見られる。スターシステムというと、いわばキャラクターたちは役者であり、作品中で様々な役を演じるということである。
というか、バカボンには「漫画というのは役者が演技をしているもの」という前提で展開されるエピソードすらある(竹書房14巻「天才ハカホン」)。
そうした一貫として、パパたちが一種の再現ドラマを演じているのではないだろうか。
その場合、どこまでが正しい出来事なのかということの判断も難しいところだが…。

これが正しければ、レレレのおじさんが過去のエピソードにて度々登場するのも納得がいくのだ。

…などと書いておいて、気がついた。この仮説だと、パパの赤ちゃん時代や学生時代の話については説明がつかなくもないが、
「現在」の時間軸にて現れた、小学生くらいのレレレのおじさんの息子に対する不自然さは消えないことになる…。
レレレのおじさんが頑張ったと考えれば全く考えられないでもないが…。

う〜む。
この話題は収拾がつかないまま終わることになりそうだ。
「謎深まるレレレのおじさんの過去」という題に偽りはないので、いいのかな?

改めて

結論が出たようで出ていないような記事になってしまったが、いかがだっただろうか。

「天才バカボン」はギャグ作品といえど、キャラ設定や世界観や時系列はちゃんと存在する作品なので、そこでのレレレのおじさんの過去に関する謎めいた描写について前々から疑問を持っていたので、それを分かち合いたいと感じてこの記事を書いた。

とはいえやはり、「天才バカボン」はギャグ作品なのである。
そしてレレレのおじさんは先述の通り神出鬼没のキャラであり、いわば登場するだけでギャグになるともいえるキャラだ。
その神出鬼没さは過去のエピソードでも変わらないというだけなのだ。

レレレのおじさんは、時空を超えて作品に現れ、ぼくらを笑わせてくれるのである。


…というわけで、レレレのおじさんの過去は「はじめてあかす おでかけのおじさんの意外な過去なのだ‼︎」のみを正史として、あとはギャグとして深く考えない、とすれば問題ないと思います。


最後の最後に余談。

これまでは過去について紹介したが、未来についてもひとつ紹介しよう。
「20年後のお話なのだ(前編)」(竹書房文庫第10巻、週刊少年マガジン1972年1月30日6号)にて20年後のレレレのおじさんが登場。なんと「レレレ電気商会」の社長として登場するのだ。社長という事実もさることながら、どの時点で社長だったのか、という点も気になるし、何より現在で70代だとすれば20年後は90代になるはずで、そんな高齢でも変わらぬバイタリティを持っている。

つくづく不思議なお人である…。