安保だ原発だのややこしい話はおいといて、世界で二つだけの被曝都市のうちの一つ・長崎市で無症被爆者の両親の下に生まれ、墓には原爆投下の3日後に亡くなった先祖(じいさんか?)の名前が刻まれ、小学校の頃から平和教育(被曝教育?)なんかを受けてきた人間としての率直な感想。
毎年8月9日は夏休みなのに小学校は登校日になって、被爆者の悲惨な体験を聞いたり、「告げよ~、世界~に~♪原爆反対を~♪」なんて歌ったりしていた。
そういう面倒な平和教育や式典が鬱陶しいという意味で、原爆なんかとっととなくなればいいのにとは思っていた。
それより何より当時不思議だったのは、原爆を落とされて7万人(だっけ?)の長崎市民が死んでしまったのは戦争を起こした日本が悪い、天罰みたいなもんだから(と僕には聞こえた)自省するしかないみたいな考え方。
大人はみんなそんな言い方をしていて、なんで原爆を落とした張本人のアメリカには誰も恨みつらみを言わないんだろうというのが不思議だった。
戦争は映画やアニメのような正義と悪の戦いではない。
戦争を仕掛ける側も受けて立つ側も正義を語る。
結果として戦勝国は正義を貫いたと言うことができ、敗戦国に悪を押し付けることができるというだけの話。
だから、日本が正しかったとは決して言わないけれど、アメリカが正しかったという訳でも決してない。
そのへんはほじくればいろいろ出てくるんだろうけど、だからと言ってアメリカを恨むつもりはサラサラない。
でも、原爆に限らず、世界で最も多く非戦闘員を焼き殺したのがアメリカだというのは間違いないんではないのかな?
もう一つ、大人になってから不思議に思ってるのは長崎の残留放射能。
両親とも被爆後もそのまま長崎に住んで、特に父親は爆心地にほど近い稲佐というところに住んでいたにも関わらず、放射能の影響を受けたようには見えなかったけど(そういう長崎人はいくらでもいる)、そういうもんなんだろうか。
まあ、被爆者2世の僕に影響が出て、こんなアホな奴になってしまったと言ってしまえばそれまでだけど。
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