(明月舎の庭の銀杏のじゅうたん)
秋晴れの12月1日、北野天満宮で献茶祭があり、お招きを受けていましたので、
参列してきました。
昨年は藪の内家、今年は表千家です。
この献茶祭は昔、秀吉がこの場所で北野大茶湯をし、それを偲んで明治11年より献茶保存会が結成され、藪の内、三千家(表、裏、武者小路)、堀内、久田家と交代で献茶をし、境内にある、明月舎、松向軒、その他数箇所で釜がかけられるのです。
献茶は10時半からというので、10時過ぎより待合で順番を待ち、神殿の中の最終列に座ることができました。
表千家宗匠により、最初に香が焚かれ、神殿に供えられ、後、4椀の濃茶が練られ、供えられました。
所要時間、約一時間半、温かい日とはいえ、たいそう冷えました。
お席の中で印象的だったのは・・・・
両笑会のお席で掛けられていた、”北野大茶湯縄うちの文”です。
これは、豊臣、徳川時代、大徳寺で強い力を持っていた、春屋宗園(しゅんおくそうえん)が利休の弟子であった本覚坊に送られた文です。
縄うちとは縄をはるということで、大茶会の場所決めの事を書かれているそうです。
大茶会の時は秀吉は全国の数寄者に命令し、北野に集め、その人数は800人とか。
そんな大勢が茶を点てるなら、縄での仕切りも必要だったのでしょうね。
その当時、拝殿には秀吉の「黄金の茶室」を備え、、秀吉、利休、今井宗久、津田宗及には各4畳半の茶室を設けさせたそうです。
この茶会は豊臣政権確立と九州征伐の祝賀会を兼ねたものだそうで、本来なら10日
予定されていたところ、朝鮮出兵の為、急遽一日となったとかです。
他の席では、この秀吉を偲んで、炉ぶちは初代光春の桐彫、その他菅原道真をしのんで、蓋置きは”夜学”でした。
お茶席には全部で5席参加し、午後4時ごろまで、主菓子も食べ食べ、お茶を飲み飲み、甘い物とビタミンC満載の楽しい一日でした。
私もそのお席にご一緒させていただきましたが、掛軸のお文のことは右から左へと流れていったようですm(__)m
掛軸にそんな深い意味をこめて選ばれた亭主の思い、もっと汲み取る必要がありますね。
客側も成長しなければっ
盛り沢山の献茶会でしたが、本当生きていてよかったです!!!
表千家宗匠がマスクをしてお茶を奉献するシーンが目に焼きつきました。
お誘いありがとうございました。
P.S. イチョウの絨毯がとても美しく撮れています・・