2017年8月5日に放送されたNHK「第49回思い出のメロディー」、Kiinaは有働アナと一緒に司会の大任を果たすとともに、事前に広島におもむいて語り部の方のご案内で原爆資料館を訪れました。
そうして、平和への願いをこめて歌ったのが美空ひばりさんの「一本の鉛筆」でした。
ひばりさんと「一本の鉛筆」について、少し長くなりますがご説明させてください。
1974年8月9日に古賀政男さんを実行委員長とする「第1回広島平和音楽祭」が広島県立総合体育館で開催されるに当たって、ひばりさんに歌ってほしいと作られたのが、松山善三さん作詞、佐藤勝さん作曲の「一本の鉛筆」でした。
歌詞は歌ネットにあります。
https://www.uta-net.com/song/40972/
ところが、当日ひばりさんがこの曲を歌唱するまでに幾つもの困難があったことを、私は前田和男さんというルポライターの方が書かれた「昭和街場のはやり歌 戦後日本の希みと躓きと祈りと災いと」(渓流社)という本で知りました。
広島県の被爆者の14もの団体から主催の広島テレビに対して「来ないでほしい。歌わないでほしい」と抗議が寄せられたというのです。
抗議のポイントのひとつは、前年にひばりさんの弟のかとう哲也さんが暴力団の一員として暴力事件を起こして逮捕。紅白歌合戦も降板を余儀なくされるなど日本中から逆風の嵐が吹き荒れる真っ只中にありました。
まして、ひばりさんがかねて山口組・田岡会長の庇護を受けていたことは世間の周知するところ。広島では長年、地元の暴力団と山口組の抗争が続き、一般市民の間にも山口組に対する反感が強かったというのです。
抗議のもう一つのポイントは「犠牲者の追悼をすべき日に、平和と縁もゆかりもない流行歌手が来て自分の持ち歌を歌うのは、犠牲者を冒涜するものだ」というものでした。
これに対して、「何としても美空ひばりに歌ってほしいのだ」.と矢面に立って被爆者団体の説得に当たったのは、この音楽祭の総合演出責任者でもあった作詞者の松山善三さんでした。
実は松山さんのお兄様はニューギニアで戦死されていました。「被爆者の苦悩は一本の鉛筆で消えるような甘いものじゃない」という抗議に対して、「一本の鉛筆だから、一枚のザラ紙だから平和の心を伝えることが出来る。一本の鉛筆は鉄砲玉より強いのだ」と猛然と反論されたのだそうです。
さらに大会実行委員長の古賀政男さんも「ひばりを推薦したのは私だ。ひばりの平和への願いの強さを聞いてくれ」と松山さんを援護されました。
8月9日、会場の県立体育館は大変な暑さだったそうですが、リハーサルのあと主催者が冷房の効いた別室に案内しようとすると、ひばりさんは「ありがとう。でもあの日の広島の人たちはもっと暑かったでしょう。私はここでいいです」とおっしゃったのだそうです。
そうして迎えた本番。持ち歌の「ひとすじの道」を歌い終えた後、ひばりさんは5千人の聴衆に幼い日に体験した戦争の恐ろしさを語り「この歌は私にとりまして、これからも永久に残る大切な歌。茨の道が続こうと、平和のためにわれ歌う」と「一本の鉛筆」を静かに歌い始めました。
この年にコロムビアから発売された「一本の鉛筆」のB面には、やはり松山善三さん作詞、佐藤勝さん作曲の「八月五日の夜だった」が収録されました。広島原爆投下の前日を描いた曲です。
ひばりさんが二度目に広島平和音楽祭で「一本の鉛筆」を歌ったのは、それから14年後の1988年。第15回の音楽祭にみずから出演を希望してこの歌を歌いました。
前年、重篤な病に倒れたひばりさんは当日、楽屋に簡易ベッドを運び入れ、出番以外の時は点滴を打ちながらも、観客の前では笑顔を絶やさず「一本の鉛筆」を熱唱されたそうです。
ひばりさんにとって、「一本の鉛筆」がどんな意味を持っていたか。
ひばりさんが最後の電波による出演となったラジオ番組で「わが歌手人生のベスト10」をご自分で選び、その6番目に「一本の鉛筆」を挙げたのです。
生涯1500曲以上を歌ってこられたひばりさんが、売り上げ枚数では下から数えた方が早いこの曲を特別な10点の中に選んだこと。
ひばりさんが何をもってご自分の使命として命をかけて歌ってこられたかが、このエピソードで分かるような気がします。
Kiinaは「思い出のメロディー」での披露の後、2021年コロナ禍の中で放送された「ライブ・エール」でも「一本の鉛筆」を歌唱しました。
そして2022年、声帯ポリープの手術で休養した後に再開した橿原と豊中のコンサートで、プログラムにはなかった「一本の鉛筆」を歌いました。
その時の感想を私は昨年のブログ記事でご紹介しています。
https://blog.goo.ne.jp/tazutazu3232/e/01205f2a03a457912ce1015a47923035
この年の始めに「無期限休養」を発表したKiinaが何を思って突然にこの歌を歌おうと思ったんだろうと、橿原での感動を振り返るたびに考えていました。
或いは術後で休養していたKiinaのところに、ひばりさんが「あなたが歌ってちょうだい」と降りてこられたのかもしれません。
Kiinaの歌う「一本の鉛筆」のCD音源がないのは残念ですが、この歌はレコーディングスタジオで歌ったのではきっと思いの全ては伝わらない気がします。
ステージの上から生の声で愛と命と平和の尊さを伝えるのでなくては。
ひばりさんの想いを歌い継げるのはKiinaですから。