アルバム「靳・演歌名曲コレクション5-男の絶唱ー」は、オリジナル曲が8曲+2曲(ボーナストラックで、カバー曲は4曲と他のアルバムより少なくなっています。
カバー曲1曲めは北島三郎さんの「なみだ船」です。Kiinaの歌唱はこちら↓
https://m.youtube.com/watch?v=pQjdhvnS6h0
歌詞は歌ネットより。
https://www.uta-net.com/song/230344/
星野哲郎さん・船村徹さんというゴールデンコンビによる北島御大の代名詞のような名曲です。
Kiinaは会報の曲紹介で次のように解説しています。
「船村徹先生と昔、テレビ東京系「たけしの誰でもピカソ」でご一緒させて頂いた時、僕の歌を聴いて『氷川君って器用だよね』とおっしゃいました。僕は褒めて下さったのではなく、『器用になれるように頑張りなさ』という激励の言葉だと思っています」
私は船村先生の言葉をKiinaとは少し違ったように受けとめました。
というのは、北島三郎さん、鳥羽一郎さん…船村先生の直弟子の歌手の方を考えると、器用であることよりも歌う前のたたずまいから潮の匂い、土の匂いのする歌手であれと、そのように求めていらしたように感じるからです。
船村先生がKiinaにおっしゃった「器用」という言葉は、その何年も後に近田春夫さんがKiinaを評して指摘された「演歌の標本箱」という言葉に合い通じるものがあるように思います。
「誰でもピカソ」で共演されたのはKiinaがまだデビューしたての頃だったと思いますが、演歌の神様のような船村先生は一曲聴いただけで、演歌歌手としてのKiinaの本質を見抜いておられたのではないでしょうか。
「器用」という言葉の受け止め方は難しいです。Kiinaはどんな曲でも歌いこなし、しかもその曲の持つ歌ごころをしっかり捉えて歌うことが出来る天才で、その意味では器用なのだと思います。
でもきっと、船村先生はご自分のお弟子さんたちにはそれを要求されなかっただろうなと、漠然とそんなことを感じました。
話が長くなりますが、「誰ピカ」の録画を探していて、船村先生がちあきなおみさん特集にゲスト出演してくださった回を懐かしく再生してしまいました。
船村先生がちあきさんのために作曲された「矢切の渡し」が細川たかしさんのカバーで大ヒットしました。
先生は「この曲は、手漕ぎの舟の櫓を漕ぐリズムで作っている。細川君のは外付けのモーターで走って行ってしまう」
「ちあき君の『矢切の渡し』は鑑賞する、聴かせる曲。細川君のはあちこち省略して『俺でも歌える』と思わせる歌い方」
とおっしゃっていました。
そして、更にちあきさんとひばりさんの歌の違いを解説されたあと、今田さんの「ひばりさんとちあきさんでは、作る曲も違うんですか?」という質問に「当然違います」と断言されました。
船村演歌はテクニック的にもとても難しいのに、このアルバムのKiinaの「なみだ船」は節回しもコブシも完璧です。
でも、「やっぱりこの曲は船村先生がサブちゃんのために書かれた曲なんだなぁ」と、Kiinaが完璧に歌えば歌うほどそんな思いがよぎってしまうのです。そこが船村演歌を歌うことの難しさなのでしょうね。