もっと早く行きたかったけれど、なかなか心の準備ができなくて、、、
一ノ関からレンタカーで行ってきました。
平日ということもあり、道は空いていたのかな?
何しろ信号機がほとんどないことに驚きながら、目的地へ
海へ向かって、右側が道の駅、左側が伝承館
ここは、建物の中央です。
アングルがよいと、額縁に飾ったように撮れます。
公園は海へと続く一本道です。
海へ続く道を振り返ります。
堤防から振り返ります。以前はこの高さの半分もなかったんじゃないかな。
川も、草が生えてたのでもう少し狭かったような、、
海岸側の景色。新しい松原が生まれ育っていました。
唯一残った松と閉館していたユースホステル。
何度か宿泊しているはずなのに、どんな配置だったか覚えていない。
建物の周りが松林でした。
こちら側が入り口。2階が宿泊施設。
1階は食堂と休憩室のはず、外は駐車場と物置?
地面がそうとう流されたようで、今も海水が引いていません。
一本松の近くの橋あたりにユースホステルへの道の後がある。
相当水面が上がっていることがよくわかる。
やなせたかしさん絵を基に作成されたモザイク画
堤防の手前の高田松原は公園となっていました。
東日本大震災津波伝承館は無料で見ることができます。
映像でs説明してくれている部屋もあり、当時どれだけの恐怖があったのかがわかります。
東京でも震度5の揺れを感じ大地震地殻変動の様子を映像で解説
津波の映像もあるのですが、テレビで見ていたものとは違うものもあり、
いかに津波が多くの被害を与えたのかがわかります。
津波にのまれてしまった消防団の車(前方)
(後方)
気仙川にかかっていた橋の一部
橋の鉄板がこんなに曲がっている。水門とかがぶつかったのかしら。
100mほど離れたところに古い道の駅も遺構として残っています。
裏に回ると屋根が階段状になっていて、ここへ逃げた人はいたのだろうか?
浮きが途中に取り残されている。
津波が到達した位置(14.5m)に表示があるのだけれど、震災の前の堤防は役に立たない高さ。
新しい道の駅の部分で3mの嵩上げをしていて、市内は12mも嵩上げをしているそうです。
道の駅で昼食して、休憩をしてからお別れ。記憶中の景色とはまるで違っていた。
フードコートは2件の食堂「たかたのごはん」「まつばら食堂」と1件のカフェ「すなば珈琲」があります。
おいしかったです。
自分の運転ではなかったので、町中も行ってみたかったけれど、宿の到着時間を過ぎていることもあり、ここだけで終わりになりました。
次があるのならば、一人かツアーで訪れたいかな。
でも、慣れない道を運転しくた人に感謝です。
震災前の映像は検索すればいくつかあるようです。
岩手県陸前高田市の海沿いの松林は津波でほとんどが流されました。
— NHKニュース (@nhk_news) March 10, 2022
当時の震災の記録はこちらでもご覧いただけます。https://t.co/RAiOJY8izw
#東日本大震災 #nhk_video pic.twitter.com/teoA8orVmK
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