一 僧正
秦主勅して道䂮〈一に僧䂮〉法師を選んで、僧正と為す〈徳望有る者を設く、法を以て之を縄し、正に帰せしむ、故に僧正と曰ふなり〉。
『緇門正儀』2丁表、訓読は原典を参照しつつ当方
まずは、日本でもおそらく知られているであろう、僧官の官位である。なお、「僧正」の場合は「大僧正」や「権僧正」など、付随した官位も存在していたが、まずは「僧正」そのものである。上記内容からは、中国で初めて「僧正」が選ばれた様子が書かれている。上記一節の典拠だが、『仏祖統紀』巻51や『釈氏稽古略』巻2などかと思ったが、前回の記事も踏まえると『大宋僧史略』巻中「僧寺綱紏」項だとするのが妥当だろう。
そして、割注の〈〉は雲照律師が付け加えたものであると思ったが、ここも、『大宋僧史略』巻中「立僧正」項からの引用であることが分かり、必要な内容を合揉しつつ、項目を作っていることが分かる。
一 悦衆
同時、慧遠を悦衆と為す。
同上
「悦衆」については、余り聞かないかもしれないが、現代でも用いる表現であり、いわゆる「維那」のことである。それで、上記項目で冒頭に「同時」と書いている理由は、ここからだけでは分からない。そこで、先の「僧正」の項目の原典を見ていくと、以下のようにある。
秦主、勅して選んで道䂮法師を僧正と為し、慧遠を悦衆と為し、法欽・慧斌、僧録を掌る。
『大宋僧史略』巻中「僧寺綱紏」項
ここで、道䂮法師が僧正となった時に、慧遠(廬山の慧遠)が悦衆になったということが理解出来よう。これが「同時」と書かれた理由である。それで、「悦衆」について、『大宋僧史略』では「案ずるに西域の知事僧、総じて羯磨陀那と曰う。訳して知事と為し、亦た悦衆と曰う。謂わく其の事を知(つかさどる、の意味)り、其の衆を悦ばすなり」とあることから、名称の由来なども理解出来よう。
一 僧録
同時に法欽・慧斌をして、僧録を掌らしむ。唐の文宗の開成中に至て、始めて左右の街の僧録を立つ。其の人を尋ぬるに、即ち端甫法師なり。
『緇門正儀』2丁表~裏
こちらも、先ほどの『大宋僧史略』と同じ典拠から、法欽・慧斌の話が出ている。だが、唐の文宗の時代の話も出ている。こちらも『大宋僧史略』巻中「左右街僧録」項からの引用であることが確認された。つまり、本書は、基本的な見解を、『大宋僧史略』に依拠していることが明らかになったといえる。
【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年
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