つらつら日暮らし

秋の彼岸会 其七(令和4年度版)

令和4年度秋の彼岸会である。9月23日の秋分の日が「お中日」であったが、前後7日間が彼岸会となるので、今日は【其六】の続きで関連する記事を書いておきたい。

一昨日から江戸時代の真言宗・諦忍妙竜律師の『空華談叢』巻1に収録されている「彼岸」という文章を見ているので、更に学んでおきたい。

 予、更に一解あり、今試に是を示さん、
 大智度論第一に曰く、復た次に事成弁に於いて、亦、到彼岸と名づく〈天竺の俗法、凡そ事を造りて成弁すれば、皆、到彼岸と言う言う〉已上、
 若爾らば、彼岸とは業事成弁の義なり、
 弥陀経に七日の念仏の事を説玉へり、
 道綽禅師、此経説に依て、七日不断に念仏せしに、百万返成就せられたるの旨、迦才の浄土論に見たり、此七日百万返の行成就すれば、決定して往生の業成就するなり、是を古より業事成弁と言来れり、
 然れば則ち善導の疏、天王寺の西門より事起りて、二月・八月時正の節七日の間念仏を修行すれば、弥陀経所説の如く、往生の業事成弁するが故に、彼岸と名けたるなるべし、此義道理に於て尤親しきに似たり、
 更に後賢の一評を待而已。
 古より彼岸の事に就て、偽経偽説を作り、人を惑すもの多し、択ばずんばあるべからず、
    「彼岸」項、諦忍律師『空華談叢』巻1、カナをかなにするなど見易く改める


ということで、昨日までの記事では、何故この7日間の仏事を「彼岸」と呼ぶかについて、曖昧さが残ったのだが、上記一節は「予、更に一解あり」とあって、諦忍律師ご自身の見解を示している。そこで、参照されているのが『大智度論』巻1で、そこに「業事成弁」して「到彼岸」する、という説を提唱している。

つまり、この彼岸会の仏事を、「業事成弁」と見て、その結果、「到彼岸」から「彼岸」になったと述べたいのだろう。なお、「彼岸会の仏事」について、諦忍律師は独自に念仏修行を説いてもおられるので、ここでは中国浄土教の道綽禅師や善導和尚の説を承けて、念仏を成就し、結果「業事成弁」するとしている。

歴史的な経緯はともかくも、思想的には以前に紹介した【其四】での見解と同様に、仏事の結果との関係性をもって、「彼岸」としておきたいようである。

ところで、諦忍律師は「古より彼岸の事に就て、偽経偽説を作り、人を惑すもの多し、択ばずんばあるべからず」と注意喚起している。これは、おそらくは日本の中世で多く作られたという彼岸会関係の経典等を指している。具体的には龍樹菩薩『天正験記』や『彼岸功徳成就経』『速出生死到彼岸経』『彼岸斎法成道経』等である。なお、諦忍律師の偽経観については、既に【諦忍律師『盆供施餓鬼問弁』を学ぶ3(令和4年度八月盆⑤)】でも見たところであるので、それもご参照いただきたい。

今回の彼岸会では、日本の近世・江戸時代に各宗派の学僧によって検討された彼岸会の説について学んでみた。結果としては、仏事の典拠は多く見られたが、何故この七日間の仏事を「彼岸」というのか、その理由が明確になったとは言えないことが分かった。

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