9〔34〕 これまでに挙げた「贖宥の恩恵」は、サクラメントの満足の罰に関係し、人によって制定されたもののみである。
訳は当方
この「これまでに挙げた」はもちろん、前項の第33条までのことを指している。要するに、ローマ教皇による贖宥について、高価な神の恩寵であると信じる人がいれば、ルターは、その人を信用出来ないと述べているのだが、上記の第34条は、その理由を説明していることになる。
ルターは、教皇の贖宥は、人間が制定した罪を償うサクラメントに於いて提示される罰にのみ影響すると指摘しているのである。これは、ルターの基本的態度である。つまり、神と人間との間に、無限の距離を定め、容易にその交通を認めないのである。これは、関わらないのでは無く、人間は人間の世界のことにしか関与できず、神のこと、神の世界のことは、神に任せてしまうことである。
よって、贖宥が、神の恩寵の何らかを具現することは出来ず、あくまでも人間が定めた、人間の秘蹟の中での罪や、許しにのみ影響するのである。
【参考文献】
・Works of Martin Luther:Adolph Spaeth, L.D. Reed, Henry Eyster Jacobs, et Al., Trans. & Eds.(Philadelphia: A. J. Holman Company, 1915), Vol.1, pp. 29-38
・マルティン・ルター著/深井智朗氏訳『宗教改革三大文書 付「九五箇条の提題」』講談社学術文庫・2017年
・L.チヴィスカ氏編『カトリック教会法典 羅和対訳』有斐閣・1962年
・菅原裕二氏著『教会法で知るカトリック・ライフ Q&A40』ドン・ボスコ新書・2014年
・ルイージ・サバレーゼ氏著/田中昇氏訳『解説・教会法―信仰を豊かに生きるために』フリープレス・2018年
・田中昇氏訳編『教会法から見直すカトリック生活』教友社・2019年
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