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つらつら日暮らし

『大日経開題』に見る三聚戒について

『大日経開題』とは、弘法大師空海が『大日経』の意義を説き示しつつ、讃歎した文章とされている。今回は、その中から、以下の一節を見ておきたい。

 我等至心に三帰を受け、
 五智諸如来に帰依し、金剛最上乗に帰依し、不退菩薩僧に帰依し、
 三宝福田に帰依し竟んぬ、
 今従り善を作して悪を造らず、
 我れ五戒十善等を持し、我れ菩薩三聚戒を持し、今世・後世に闕犯すること無し、
 唯だ願わくは諸仏哀もて聴許したまえ。
    訓読は当方


本来であれば、七言の詩偈であるから2句ずつ書くべきであろうが、意味的には、多分上のような分け方で良いはずである。

この内容だが、まず至心に三帰を受けることを示し、特に真言密教に於ける「三帰」のあり方として、大日如来を中心とする五智如来に帰依し、金剛最上乗に帰依し、不退なる菩薩僧に帰依するという。この場合の不退は、二乗への退転が無いものを指す。そして、このように、三宝福田に帰依し終わるという。

その後、受戒の話となり、三帰が終われば、それ以降、善を行い、悪を為さないという。具体的には五戒・十善などを持戒するという。これは、在家戒というよりも、入道の初門といえる。そして、菩薩としての三聚浄戒を持戒し、今世・後世にはそれを破ることはないという。

この誓いをもって、ただ願うのは、諸仏は哀愍して、この我が受戒することを許せ、というものであった。この後、真言密教では、いわゆる『四分律』系の二五〇戒も受けるはずなので、戒本という観点ではそちらに収まるものか。他にも、瑜伽戒系や『梵網経』系の菩薩戒も受けるので、実は受けている戒の条数は多彩。

なお、そのような多彩な条数の戒本を集約するのは、やはり「三聚浄戒」ということで良いのだろうか。他の宗派の教義であれば、「摂律儀戒」をもって統合的に扱う場合がある。そういえば、「無為戒」とかいう表現もあるようだが、これについても、機会を改めて学んでみたい。今日見たような内容と、どう関わるのかが気になるのである。

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