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つらつら日暮らし

江戸時代の授戒会で随喜していた女性はどうしていたのか?(2)

江戸時代の授戒会で随喜していた女性はどうしていたのか?】の続きの記事である。問題意識などは、リンク先を見ていただければ良いのだが、要するに江戸幕府は一つの寺院に男女が一緒にいることを問題視したけれども、授戒会などは四衆といって、男女が一緒に修行するものだったから、そういう場合にはどうしていたのか?という話だったわけである。

前回は、或る作法書の一節を紹介したけれども、今回は拙僧自身が持っていた作法書写本に、或る記述を見付けたので紹介しておきたい。

黄昏に至て戒弟之婦人と尼僧は下宿に下山致さすべし。此時下宿にても開静迄は加行致すべしと申渡すべし。
    『直壇寮指南記 戒会用心』、カナをかなにするなど読み易くしている


このように、黄昏(夕方)になると、戒弟の内、在家の女性と尼僧さんは、下宿に下ろしたと書かれているのである。つまり、夜の間は寺院とは別の場所に泊めたことを意味する。しかし、一方で夜間の加行は行うべきだという。なお、この作法書では、具体的には歎仏が行われていたようであるが、役目の僧侶を下宿に派遣して行わせたのか?或いは尼僧さんに行ってもらったのか?詳細は分からない。

なお、現代でも授戒会を行う場合に、戒弟さんを寺内に宿泊させる場合もあれば、夜間はそれぞれ帰ってもらって、翌朝にまた来てもらう、という方式を採る場合もある。本来であれば、宿泊させるべきだということなのかもしれないが、上記のような記録を見ると、江戸時代から既に、一部の戒弟は通い、ということが常態化していた可能性もある。

また、この辺は「代戒」の発達なども考えておきたいところである。要するに、本人の体調や日程などの問題で、直接随喜が出来ない場合に、誰かに代わりに受けてもらう方法である。つまり、道場に絶対にいるということが、授戒の条件になっていないのである。曹洞宗の授戒会は、広く人々に受けてもらうことに特化されていったのである。

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