つらつら日暮らし

周那からの食事について②(拝啓 平田篤胤先生44)

江戸時代末期の国学者・平田篤胤(1776~1843)の『出定笑語』の内容は、一言で言えば仏教批判である。当然にその矛先は、仏教の開祖である釈尊(釈迦牟尼仏)へと向かうが、その向き方は遠慮が無いというか、批判ありきで見ているところもある。今回は釈尊が入滅する原因となった一件についての、篤胤による扱い方を見ておきたい。

さていろいろと教示し、夫よりさて弟子どもと其家を出て、これは大勢馳走になりましたなどヽ大きな顔をしてかへりがけ、途中にある木の下にとヾまりて阿難に云には、吾いかなる事にか疾が生じて背がいかう病ふなりてどうもあるかれぬから、其方こヽへ座をしいてくれろと死そうな顔をして云、そこで阿難が膽をつぶして、いや夫は周那が供へたる菌の毒にあたらしつたと見へます。さてもにくき奴かな、とほうもない物を仏に進つて、是は極てあなたは是で涅槃を取らるヽで有ませうと云と、釈迦は阿難が口をとめて又此時も負おしみおいつたでござる。
    『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』78~79頁


ここは、チュンダからの食事を食べて家を出た後で、釈尊が発症したことを示す一節である。そして、それに対して、侍者の阿難尊者が非常に悔しがった一節なのではあるが、この辺、実際に伝わっている文章は以下の通りである。

 仏、阿難に告ぐ、「向うは周那、悔恨の意無きや。設い此の意有れば、何に由りてか生ずると為す」。
 阿難、仏に白して言く、「周那、供を設くれども、福利有ること無し。所以は何となれば、如来最後、其の舎に於いて食し、便ち涅槃を取ればなり」。
    「遊行経第二中」


以上の通り、実は釈尊は周那を心配しているのである。そして、この辺は次回に申し上げるが、阿難尊者が述べた恨み言について、それを制止しているのである。しかも、この後は釈尊の供養についての考えを述べている。しかし、こうやって見てみると、篤胤の略し方が酷すぎる感じしかしない。そのため、典拠を探すのが一苦労で、記事が進まない・・・

【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し

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