(四二二)問、果して然らば葬祭の一事は絶対的に非認すべきものなるか
答、仏制は前問の如くなりと雖、在家の男女深く三宝に帰し、信仏崇敬の念篤きときは、其の亡骸を以て又一場の仏事を営み、その冥福を追薦することは、強がちに非とすべきにあらず、既に支那に於ても古くより此の事行はれたり、殊に我邦の如き仏葬の制は前々問の如く神託に依て朝廷の公令するところなれば、之を随他方便として行ふは決して不可なることにあらず、故に各宗の葬儀各々別々なりと雖、先づその鬢髪を剃り、法名を俯して出家得道の式を用ゐ、而して後に其の葬事を行ふを常とす、只之を以て偸安姑息。僧侶なるものが所謂葬式屋となるに至りては浩歎の至りと云ふべきなり、
安藤正純師編輯『仏教事物問答五百題(全)』(国母社・明治31年)343~344頁
上記の通り、本書では僧侶が葬式に関わることについて、前問では否定していたが、こちらでは、葬儀の対象となる在家者が、三宝に帰依し、仏教への帰依が深いのであれば、その御遺体をもって仏事を営み、冥福を追薦することについて否定してはならないとしている。
ところで、気になるのは、「殊に我邦の如き仏葬の制は前々問の如く神託に依て朝廷の公令するところなれば、之を随他方便として行ふは決して不可なることにあらず」なのだが、第四二〇問で「推古天皇廿三年、三輪大神の託宣に依て令を下し法を定めて、葬礼亡奠永く仏教に帰せしめられたり」(前掲同著342頁)とあって、これを日本で最初の仏式葬儀の初めであるとした。
しかし、このことは、どこに載っている記録なのだろうか?いわゆる『古事記』『日本書紀』には載っていない逸話のようである。そうなると、この安藤師はどの辺を典拠に主張したのだろうか?すると、本書よりも少し先立つところの、大内青巒居士『釈門事物紀原』(鴻盟社・明治16年)に於ける「葬礼 第八十二」でも、同じことを指摘していた。
そうなると、むしろ青巒居士がどこから引いてきたのかを明らかにすべきだといえよう。だが、青巒居士は出典を明らかにしていない。そこで『元亨釈書』なども読んでみたが、見当たらない。また、江戸期成立の偽書とされる『先代旧事本紀大成経』巻33「帝皇本紀下之上」の「推古天皇二十三年」関係の記述なども見てみたが、どうも違うらしい・・・と思ったものの、とりあえず推古天皇の項目だけでも全部読んでみようかなと読み進めたところ、青巒居士がミスをしていた可能性に気付いた。そして、この一件については「推古天皇二十三年」だとは断定できず、どうも「推古天皇三十二年」であったらしい。以下のようにある。
又、父の天皇の御宇の時なり、釈宗来たり至る。又、其の法に依ること有り、以て混交して純ならず、此の混雑の中より、私を発して以て霊を猥りにす。今、朕、之の是非、更に其の是を知らず。宜しく之を神格に問うべし。
大神、群臣を将て、三輪広前に至りて、大祭の祠を設け、大神を奉請し降ろす。時に大神、巫に託して告げて曰く、葬礼亡奠は諸神の忌む所、神巫之に触るるに、則ち下三年神、其の巫に向かわず。上古には、其の之を行う人無し。則ち神訣には、神、残穢を悦ばず。
今は僧なる者有り、神慶びて之を宛つ、儒宗の太だ斉元に背く、其の業、吾に非ず。若し之を任して行わしむる者、後に至りて必ず牛鹿を用いん。当に神威を廃れしむれば、今また、天皇、其の法を定めんと欲す。尊畢の式、聖皇の礼の如し。其の他、行ずる所の葬法・奠法は、宜しく僧尼に任すべし。僧尼は無為にして更に汚穢を著けざる。
『先代旧事本紀大成経』巻34「帝皇本紀下之下」、原漢文
上記の通りである。ここに、推古天皇が三輪大神の神託によって、葬儀に関することは僧尼に任せる詔を発したという記述が見て取れる。よって、おそらくは青巒居士もこの『先代旧事本紀大成経』を見ていたのだろう。なお、上記内容が、「推古天皇三十二年」であるかもしれないというのは、この記述に遡って、「(推古天皇三十二年)此の月、三輪大神、采女に託して、奏して云く、吾れ天皇に聞くに神代の甚深の事有り、早く文人を召し来たるに天皇教えて詔して得狭子を召して、大神告て曰く、乃し得狭子、賢良にして明敏なり。神の境界に聞くに任す、審に之を記し、世に伝えよ」とあって、その年に三輪大神からの託宣があったという記述が見られるためである。
そこで、上記の意味としては、推古天皇による公令を根拠として、随他方便として僧侶に葬儀のことを行って良いとした。また、安藤師は各宗派の葬儀法について、別々ではあるが、基本としては亡くなった人の髪や鬚を剃り落とし、そして、法名を授けて出家得道の式を用いるという。しかも、葬儀ばかりを行う僧侶について、葬式屋との批判をしているが、安藤師のこれらの見解、やはり青巒居士の文献を下敷きに論じられたものであった。そうなると、むしろ青巒居士の文章自体を追った方が良さそうな気がしてきた。
それはまた、何かの機会に論じることにしよう。
この記事を評価して下さった方は、
