堂頭和尚慈誨して曰く、上古の禅和子、皆、褊衫を著けたり。間に直裰を著くる者有り。近来、都て直裰と著くるは、乃ち澆風なり。
你、古風を慕わんと欲はば、須く褊衫を著くべし。今日、内裏に参ずる僧は、必ず褊衫を著くる。伝衣の時、菩薩戒を受くる時にも、亦褊衫を著く。近来、参禅の僧家、褊衫を著くるは是れ律院の兄弟の服なりと謂うは、乃ち非なり。古法を知らざる人なり。
『宝慶記』
以上の通り、道元禅師は天童如浄禅師の教えとして、古来の禅僧は皆、褊衫を着け、一部が直裰を着けていたという。だが、如浄禅師の時代には、皆直裰ばかりを着けており、それを「澆風」だとしたのである。更には、最近、参禅する禅僧が、褊衫は律宗の服だというのは誤りであり、古法を知らないと如浄禅師が批判されたのであった。以上のことから、宗派内ではどこか、褊衫こそが正しく、直裰は良くないという発言が見られたのだが、ここには注意が必要である。何故ならば、道元禅師御自身は、決して褊衫のみを認めていたわけでは無いからである。
その前に、褊衫と直裰について、簡単に説明しておきたい。
褊衫とは、僧侶が着物の上、袈裟の下に着ける法衣の上半分のことである。下半分は裙子といい、昔、放映されていたアニメ『一休さん』で、作務(掃除)の時に一休さんが着けていたのが、裙子である。そして、この褊衫・裙子を縫い合わせて1枚にしたものが、直裰であり、この裰字が「縫い合わせる」「繕う」の意味なのである。
さて、以上のことを確認した上で、道元禅師の教えを参究してみたい。
・洗面の時節、あるひは五更、あるひは昧旦、その時節なり。先師の、天童に住せしときは、三更の三点をその時節とせり。裙・褊衫を著し、あるいは直裰を著して、手巾をたづさへて洗面架におもむく。 『正法眼蔵』「洗面」巻
・褊衫および直裰を脱して、手巾のかたはらにかくる法は、直裰をぬぎとりて、ふたつのそでをうしろへあはせて、ふたつのわきのしたをとりあはせてひきあぐれば、ふたつのそでかさなれる。 「洗浄」巻
以上のように、裙子・褊衫を着けるか、或いは、直裰を着けて洗面、或いは洗浄(東司の使用)を行うとしている。よって、どちらかで良かったのである。更に、以下の教えも見てみよう。
若し直裰を換えるには、被位を離るること莫かれ、位に在りて換えよ。
先づ日裏の者を将ちて先づ身上に蓋ひ、潜かに打眠直裰の両帯を解き、肩袖を脱ぎて、背後と膝辺とに落とす。譬えば蒲団を遶らすが如し。次に日裏の者の両帯を結びて著定し了り、打眠直裰を収めて被位の後の窖在せよ。
日裏の者を脱ぎ、打眠衣を著くるも、須く之に準じて知るべし。
『弁道法』
こちらは、僧堂で朝に直裰を着替える場合の方法である。ここも、「直裰を換えるには」とあるように、「直裰」を基本としている。更に、上記の教えからすれば、「日裏(昼間用)」と、「打眠(夜間・就寝用)」の2着があったことが分かる。実は、『弁道法』には直裰に関する記載は上記の通り見られ、更には以下の表記も見られる。
衫裙を卸して睡ることを得ざれ。
『弁道法』
こちらを見ると、直裰のみならず、衫・裙についての指摘もあるとは思われるのだが、こちらは『禅苑清規』巻10「百丈規縄頌」から「莫卸裙衫睡」を引用したものに他ならない。いわば、道元禅師御自身の見解ではあるが、引用文だということになる。よって、ここが「直裰」であっても問題が無いといえる。
そこで、記事の末尾に以下の一節も学んでおきたい。
地を鋤き菜を種えるの時、裙・褊衫を著けず、袈裟・直裰を著けざれ。只だ白布衫・中衣を著くるのみ。然而、公界の諷経・念誦・上堂・入室等の時、必ず来りて衆に随え。参ぜずんばあるべからず。
『知事清規』「園頭」項
園頭とは、寺院の菜園の世話をする役目である。大変な道心を要する職だとされているのだが、その作務(農作業)を行う時の威儀が説明されて、褊衫・裙と、袈裟・直裰とが列挙され、これらは着けないとしている。いわば、着物のみで作務をしていたのである。
以上のことから、確かに古来の威儀としては、「褊衫・裙子」の組み合わせが重要だったのだろうが、実際の僧堂に於ける威儀としては、「直裰」が積極的に選ばれている様子が理解出来るだろう。そのことを示したくて、記事にしたのであった。
#仏教
最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2016年
人気記事