つらつら日暮らし

8月8日 そろばんの日(令和3年度版)

今日、8月8日は様々な記念日がある。その中で、個人的に思い入れがあるのは、「そろばんの日」である。当方も小学校の時には習っていたためである。なお、由来はそろばんの珠を弾く音が「パチパチ」していることから、今日がそろばんの日になったという。

8月8日はそろばんの日(公益社団法人 全国珠算教育連盟 沖縄県支部)

さて、例年、この日に因んで仏典・祖録に出るそろばん(算盤)などを紹介しているのだが、今日も以下の一節を見ておきたい。

二五、原来是れ一十なり。算盤珠を打破すれば、珠珠一一に帰す。
    澄懐居士「唱覚歌」、『御選語録』巻19所収


出典の『御選語録』とは、中国の清代に雍正帝(1678~1735)が勅によって、古今の禅録を集録させたもので、雍正11年(1733)に成立したという。

そして、今回採り上げた澄懐居士とは清代の政治家・官僚であった張廷玉(1672~1755)という人のことで、余計なことを言うと差し障りがあるので、黙然としていた人だったそうである。

しかし、そのことを雍正帝は評価したようで、宮中に僧侶を招いた時に、この居士号を賜ったという。雍正帝という人は、三教一致の立場であったが、良く仏教に帰依をした人で、特に禅宗を尊んだという。

それで、上記の内容であるが、「唱覚歌」とある通り、悟りの境涯について、澄懐居士が詠んだものである。その中で2×5という数字の動きを挙げるけれども、それが元々10だったということで、働きとその働きの根源とが等しいことを示したものである。これは、修行して仏になった存在が、元来仏であった、という表現であろうか。

しかし、その計算の元になるそろばんをぶっ壊せば、結局そろばんの一々の珠は、一々の珠でしかない、ということである。これは、位置付けによる数字の意味を壊して、数字の本源に戻ることを意味しているが、同時に仏となった存在について、実は法そのものであることを示すのであろう。

そろばんの形を知っていれば、この話は良く理解出来ると思うが如何。

それにしても、そろばんを弾けないのがこの生死、ただ法のはたらきにおまかせしたいものだ。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事