上堂。
山漉漉、水漉漉。
四天王、昨夜、忽ちに無明をして逐わしむ。
算盤子、打過了す八万四千九百九十零九遍なり。
衆兄弟、什麼と為てか我が廚下の火頭を累せん。
直に如今に至って睡不足なり。
下座して曰く、参、と。
『五灯会元続略』巻4「常州龍池幻有正伝禅師」
幻有正伝禅師(1549~1614)とは明代末期の臨済宗の僧侶である。この人を扱った先行研究もあるようなので、興味のある方はお調べいただくと良いと思う。
さて、今回取り上げた説法を見ていくと、意味としては、山も水もじっとりとしている(その時の住持本人の感触を述べたものか?)。四天王は昨晩、無明を追い払った。その様子をそろばんで数えたら、八万四千九百九十零九遍(84,999)であった。大衆よ、どうして我が庫裡の火を更にともそうとするのか?(煩悩を抑えよ)。
結局、ワシは今頃寝不足となっているぞ。先ほどの「じっとり」というのは、寝不足の時にかく変な汗のことでも指しているのではないか?
そして座を下りられていうには、「このことを良く学べ」と。
だいたいこんな意味になるだろうか。ところが、最もよく見ておきたかった「算盤」のところがよく分からない。そろばんを弾いたことは間違いないし、その数を見れば84,000を超えているので、いわゆる仏陀の説法ということになるのだろう。
もう少し時間があれば検討をしたいところだが、簡単にこれくらいで終えておこう。
更に個人的には、数字表現として、「八万四千九百九十零九遍」に「零」が入っていたのにビックリした。いわゆる「一桁」を示す数字ということであろうが、いつ頃まで遡れるのかな?と興味が湧いた。
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