名を以て弟子に与う
客問う、師、名を以て弟子に与うるは、日本風の為に来歴有るや。
答う、支那に之れ有り。後漢の江表伝に、顧雍、蔡邕に従いて琴を学ぶ。邕、之と異なりて曰く、卿必ず成らん。故に名を以て卿を与う〈雍と邕と字同じ〉。
『寂照堂谷響続集(以下、『寂照堂』と略記)』巻10、訓読は当方
ということで、一瞬、「歴史上、初めて戒名を付けた話」かと思っていたら、全然違ってた。これはあくまでも、「師匠が弟子に名前を与えた話」である。そうなると、別に仏教では無くても良くて、今回の場合も、「琴」の学びに即して行われたものらしい。
それで、当初はよく分からなかったのだが、ここで引用されていた『江表伝』の典拠は見付けた。そもそも『江表伝』とは西晋の虞溥による三国時代・呉の歴史書であるという。しかし、当初より秘書扱いされ、散逸したとされ、後には佚文としてのみ参照された。それで、今回の顧雍が呉の人であることと、この人の伝記は陳寿『三国志』巻52「呉書」に載っていることが知られているので、それを見たところ、裴松之が付したと思われる註記の部分に『江表伝』が見られた。おそらく、本書ではそこから引いたものと思われる。
ただし、引いてみたところ、ちょっと微妙な感じになった。
〇江表伝に曰く、雍、伯喈に従いて学び、専一清静、敏にして教え易し。伯喈、之を貴異して、謂いて曰く、卿、必ず致を成す。今、吾が名を以て卿に与う。故に雍、伯喈と名を同じくするなり。
『三国志』巻52「顧雍伝」
以上の通りで、蔡邕の名前が出てこないが、なるほど、伯喈は蔡邕の字(あざな)だったか。よって、『寂照堂』で述べていることと同じになるのだが、厳密にいうと、文章が違っているわけである。しかも、『寂照堂』のように書かれると、何を言っているか分からない。これは、記憶か何かに基づいて書かれたものだろうか?
なお、ここで名前が出ている人たちだが、まず蔡邕(133~192)は後漢末期の官僚であった。一方で顧雍(168~243)は三国時代の呉で活動した人である。蔡邕は様々な顔を持つ人であるが、琴の名手としても知られ、それで皇帝に呼び出されそうになったが、本意に契わなかったので、途中で帰った、というような人でもあった。
なので、上記の話もあり得ることではある。ただ、『江表伝』の原文では、何を学んでいたかが書かれていない。しかも、少し分かりにくい。とはいえ、『江表伝』自体を読むと、実際の様子が良く分かる。それで、名前についても、「邕」と「雍」とが同じ字だというのだが、「邕」の意味は「ふさぐ、封じ込める、やわらぐ」などの意味であったという。一方で、「雍」もやはり「やわらぐ、ふさぐ、封じ込める」などの意味があるという。
なるほど、形こそ違うが、同じ字だというのは、そういうことであったか。ただし、これは自分の名前を弟子にも付けるという行為であり、例えば、その道に相応しい名前を付ける、というのとは違う気がする。
結局、こんな微妙な感じで記事を終える。
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