今回からしばらくは、「第一官律名義弁」という項目の中身について、学んでいきたい。
原るに夫れ梵土には、根本大師仏世尊、輪王刹帝利の尊位を捨て出家成道し玉ひしが故に、彼国に於ては、特に仏教を尊信すること、支那本朝に比に非ず、所謂国王親ら僧足を礼し、僧饌を供し、四事供養し玉ふが如し、豈に人天応供の真僧に、世間有漏の位官を賜ふの事あらんや、且僧も亦既に三界法王の真子たり、然るを却て彼土粟散国王の猶子等となるべけんや、阿難、難陀、実力子、畢了迦の如きは、皆是れ王子太子等なり、
羅睺羅は是れ、転輪聖王の太子なり、仏、舎利弗に告て言く、汝去て羅睺羅を度して、弟子とせよと、舎利子は是れ、波羅門種なり、然るに羅睺羅、其師舎利弗に随身給事し、足を洗ひ鉢を洗ふ、其恭敬の至れる、末代師資の比すべきに非ず、仏弟子たらん者、真に法るべきの規範なり、
支那に至て、初て官より、沙門に徳号位官を賜ふこと始まる、
本朝も亦之に倣へり、是れもと官家、仏法崇信の余り、有徳を尊び、仏法を光輝せしめんとの外護の厚きに、出たることなり、
今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん、
「第一官律名義弁」、釈雲照律師『緇門正儀』1丁表~裏、カナをかなにするなど見易く改める
簡単に現代語的な把握をしながら、この文章を読み解いてみたい。まず、インドでは根本大師である釈尊が、クシャトリア(王族)の立場を捨てて、出家し仏道を成就されたため、仏教を尊崇することは、中国や日本とは比較ならない程である。つまり、国王が自ら、僧侶の足を礼拝し、僧侶の食事を施し、「四事供養」を行っていたという。
そのような状況だから、インドでは阿羅漢という高い境涯の僧侶に対しても、世間の位官を賜ることは無かった。
それから、ここで釈雲照律師は、釈尊の実子である羅睺羅について論じているが、つまり、自らの弟子である舎利弗に羅睺羅の師匠になるように告げたが、羅睺羅はまさに、舎利弗の足を洗うなどして差し上げたという。舎利弗はバラモンの出で、羅睺羅はクシャトリアだったが、そのような立場を超えて、随身されたのである。これを、真の規範であると評している。
この辺は、結局王族であっても、仏道に入ればただの修行者になることを示したと言える。
ところで、その後、中国では、朝廷から沙門に徳号や位官を賜ることがあり、日本もその制に倣ったという。なお、何故そのように倣ったかといえば、朝廷が仏法を敬う余りであったという。
そのため、本書では、続く部分で、日本と中国に於ける、僧侶に位官を賜った場合の名前などを挙げて、学ぶという。それはまた、次回の記事で見ていきたい。
【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年
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