元豊中、衛州の壇山六度寺の済律師、増戒会に曽て濾水せざる。
太閑和尚云く、増戒と云うと雖も、却って是れ増罪なり。慈悲の言もて、誰か警悟せざらんや。頌に曰く、
記得す壇山の増戒会、済師全く濾蟲の縁を闕く。
太閑和尚深く呵責す、聚集の僧徒長く罪愆す。
『禅苑清規』巻10「新添濾水法」
まず、元豊年間(北宋代、1078~1085年)に衛州の壇山六度寺に於いて戒会を行っていた済律師という人がいたらしい。ただし、この記録については、当方の拙い調査では良く分からなかった。ついでにいうと、この太閑和尚という人についても、良く分からなかった。よって、『禅苑清規』の成立は1103年であるので、その少し前の出来事について、収録したということなのだろうか。
さて、更に分からないのが「増戒」という単語である。もちろん、意味からすれば「戒を増す」ということで、いわゆるの受戒が行われたと思うのだが、色々と調べてみると、「増心」などとともに用いられることが多いけれども、その場合は、より善行を行うことで、自らの心の状態、戒の状態を良くしていく意味があるようだ。
おそらくは、その「増戒」をもって、授戒会のことを「増戒会」と呼んでいると思われる。
そこで、上記の意味について簡単に説明しておきたい。まず、「濾水」というのは、水を濾すことだが、本来、比丘六物の1つである「濾水曩」を用い、虫が入った水から、虫を除くようにして水のみを得ることをいう。しかし、上記の通り、済律師が増戒会を行った際、濾水を行うことが無かったという。そのため、太閑和尚という人が、そのことを叱って、「増戒」しているはずが「増罪」となっている。誰か、済律師に注意しなかったのか?と述べたようである。
その上で、偈頌についても見ておきたい。内容は、憶えていることがあるが、壇山での増戒会で、済律師は全く濾水をしなかった。そのため、太閑和尚が深くこれを叱ったが、集まっていた者達は長く、罪を犯すことになった、とでも出来ようか。要するに、授戒をしているはずなのに、殺生を犯していることとなり、その矛盾を戒めたのが、この一節なのである。
「増戒会」という言葉、もう少し色々と見られるかと思ったが、意外と難しかった。
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