もし肯信する人ならば、をのづから二種の生死は、性に逆ふ妄法なりとしりて、しきりに厭背の心をおこし、一乗の因果は性具の妙道なりと聞て、深く楽欲を生じ、即ちその生死を出離し、賢聖道におもむく大願・大行を立べし、
いはゆる大願は、即ち発菩提心なり、いはゆる大行は、即ち三聚浄戒なり、
三聚戒は、
一には摂律儀戒、謂く一切の悪をやむるなり、
二には摂善法戒、謂く一切の善を修するなり、
三には摂衆生戒、謂く一切の衆生を救摂するなり、
此三聚戒は、願を此生に立て、行は三僧祇劫に満なり、
『菩薩三聚戒弁要』
非常に簡単な説示ではあるが、菩薩が賢聖道に赴く経路について、大願・大行という2つを挙げつつ、大願を発菩提心、大行を三聚浄戒という組み合わせで説いている。菩薩が菩薩行を行うには、慈悲喜捨という四無量心に加え、四弘誓願を身に着ける必要があるけれども、その誓願から大行へと展開するといえよう。
そして、普寂上人は、その大行を、「三聚浄戒」だとしているわけである。この「大」とは、無量の意味で採らねばならない。だからこそ、三聚浄戒が活きるのである。何故ならば、三聚浄戒とは、摂律儀戒・摂善法戒・摂衆生戒だが、そのそれぞれが「一切の」という言葉を伴って解されるからである。
なお、上記の文章の通り、三聚浄戒を誓願によって成り立たせ、そして、菩薩行に展開するときには、無限に等しい時間まで進むことになるが、それはただ菩薩の独力で行われることとはいえない。普寂上人は、以下のようにも説いている。
此三聚戒を誓受し、尽未来際、この三聚を行ぜんと、誓願要期決定すれば、
法界無量の悪法、忽ち勢力を損し、
法界無量の善法、頓に功能を益し、
諸仏菩薩、これが為めに顔をひらき、天魔波旬、これがために眉をひそむ、
まさにしるべし、三聚の要期、功徳無辺にして、比類すべきものなきことを、
かく三聚の要期、未来際をきはめて、今身はわが行ひ得べきほど受持すべし、
同上
以上の通り、三聚浄戒自体が持つ功徳として、悪法は勢力を失い、善法はよりその力を増し、諸仏菩薩が資助してくれて、天魔波旬は力を失うのである。よって、三聚浄戒を行ずるべく、誓願し、要期を決定するべきだという。この「要期」について、本書末尾にある用語解説では、以下のように示す。
△三頁上段 要期 願ふ所の事をはたしとげんとちかふなり
同上
つまり、誓願はただ誓うのみであり、それを実際に成し遂げようとすること、それが要期である。よって、誓願としての三聚浄戒を成し遂げようとするところに、その功徳が現成するのである。菩薩の生き方など、その基本を示す教えであることが理解された。
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