つらつら日暮らし

『宗門往来』に見る日本仏教の宗派観について

江戸時代、初等教育に用いられたテキストとして「往来物」が存在している。「往来」とは手紙のやりとりのことで、その手紙に模した文章を書き写すことで、文字や文章を自主学習する意味がある。

そして、「往来物」の一つに『宗門往来(または『宗門往来起原抄』)』が存在している。書誌情報としては、全1巻で東里山人(鼻山人とも)、栄林堂森屋治兵衛の印刷で、文政7年(1824)版となっている。つまりは、江戸時代末期の印刷になるのだが、転ずればその頃の仏教宗派観が知られるわけで、その辺を読み解いてみようということである。なお、当方も一部所持しているのだが、先の通り「新日本古典籍総合DB」へのリンクを貼っておいたので、興味のある方は是非、画像でご覧いただくと良いと思う。

ところで、宗派別という観点では、同書の頭註の位置に「江戸諸仏閣」が掲載され、そこに見える宗派は以下の通りとなっている。

○天台宗
○浄土宗
○禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)
○真言宗
○一向宗(高田派含む真宗各派と時衆)
○法華宗(日蓮宗)


以上である。ただし、これはあくまでも、江戸市中に目立った寺院の宗派というだけであって、日本仏教を総括するような枠組みではない。それこそ、南都仏教諸宗派はほぼ等閑に付されている。そこで、本文を見ておきたい。なお、本文は漢文ではあるが、多くの読み仮名が付記されることで、実質的には和文となっている。

それで、冒頭に、本書が著された経緯が興味深いので、それを見ておきたい。

凡そ、民間に宗門を立て置かれし事、切支丹御制禁より始めて、最も大切の事なり。今、諸宗門徒の族、某は代々、何れの宗と雖も、其の起原を知らざる者多し。茲において誌して、物を学ぶ童子の便りとす。
    訓読は当方


ということで、時代の宗教観を反映した文章だといえるわけだが、各宗派が立てられたことは、切支丹禁制の中では重要なことなのだが、実際に諸宗派の門徒は、自分たちが代々、どこかの宗派に所属しているにも関わらず、その起原などを知らないことが多いとし、物を学ぼうとしている童子の便りとするために、『宗門往来』を編んだという。

そこで、先ほどは頭註に掲載された江戸の寺院の宗派を紹介したが、以下には本文の順番で出て来る宗派を紹介しておきたい。

・三論宗
・法相宗
・倶舎宗
・成実宗
・華厳宗
・天台宗
・真言宗(新義真言宗含む)
・律宗(ただし鑑真和上ではなく俊芿律師)
・浄土専念宗(浄土宗に同じ)
・浄土真宗
・禅宗(栄西禅師のことなので、臨済宗)
・曹洞派(曹洞宗に同じ)
・日蓮宗
・遊行上人(一遍上人の時衆に同じ)


以上である。こうして見ると、例えば、南都仏教にあったはずの「律宗」がない。何故か、俊芿律師の事績が出ていて、鎌倉期の活動の方が律宗として注目されている。それから、融通念仏宗も無い。また、意外なことに、黄檗派も出て来ない。これは、頭註の方には見られただけに、隠元禅師来日について書けば良いのに?とか思ってしまったが、無いものは無い。

もしかして、中国人僧侶の来日(渡来)について書いていないのか?と思いきや、最初の「三論宗」については、推古天皇の時代の慧灌法師(本書では「慧観」表記)という人が渡来して伝えたとなっているので、そういうわけでもない。いや、冷静に考えてみれば、慧灌法師は高句麗の人だったとされているので、その辺の意識だろうか?

「往来物」ということで、あくまでも簡単な文章で終始しているだけに、細かく見ていくと抜けが多い印象も得るが、転ずれば、これくらいの記載が宗派の起原として認識されていたといえよう。また、詳しいのは日蓮宗のようなのだが、著者は当時、多くの往来物の編者としても知られており、別段、自分の宗旨などに忖度した印象も無いので、偶然か?

機会があれば、この「東里山人」の他の往来物(例えば『神社仏閣柱建往来』など)も見てみたいと思う。

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