つらつら日暮らし

仏教用語としての「緇素」考

以前、【仏教用語としての「緇白」考】という記事をアップした時に、気付いたら「緇白」の話から、「緇素」へと話題が変わっていたことがあった。そこで、その内に「緇素」についても記事を書きたい、という話をしていたのだが、検討するべき文章があったので、紹介しつつ記事にしておきたい。

【丗九】緇素の事
△緇素と云、黒白歟如何
 をとこをば白衣と云ふ、僧をは黒衣とおもへり、緇はくろし、素はしろしとよむ字なれば、黒白衣をとりあはせて、緇素と云、道俗の二字をば、日本紀にはをこない人、しろきぬとよめり、しろきぬは白衣の衆と云心也、但毛詩に緇衣の篇あり、これは別の事、僧の黒衣には非ず、
 緇衣をは卿士と朝服也と云へり、をとこのきる袍のいろなり、
 俗を白衣と云はんには、しろき袍をこそきるべきに、僧の黒衣のいろの定にて、道俗ともに同じ緇衣の心えられぬ事なれど、白衣と云、これは仏在世より云ふ事にや、
 天竺の俗衣はしろきを本とする歟、これにつきて、黒白衣の別をは云ふにこそ、されば和漢おなじく、俗の黒袍はあるべし、別に位にしたがひて、緑衫とも、茜衫とも云へども、をしなべて、道俗をわかつには、俗をば白衣とす、黒衣とも緑衣とも云ことはなし、経にも白衣、欲を受けて道を行ずる人に非ず、と云へり、
    『塵添壒嚢鈔』巻1、カナをかなにするなど見易く改める


『塵添壒嚢鈔』とは、室町時代の天文元年(1532)に成立したとされる辞典である。当方は、この江戸時代の版本を所持しているのだが、他にも『大日本仏教全書』(明治45年)などにも収録されているので、閲覧等は決して困難ではない。そして、その中に「緇素」を扱っていることが確認できたので、見ておきたいと思う。

まず、質問は、「緇素とは、黒白のことか?」と聞いている。その上で、「おとこを白衣、僧を黒衣」と思うという。この記述は、どの辺が典拠なのかは分からない。ただし、緇素について、緇をくろ、素をしろとし、両方を取り合わせているというから、最初の質問にはこれで十分のような気がする。なお、現代でも「素人」と書いて「しろうと」と読むが、「しろ」と読む方法が残っていることが理解出来よう。

それから、上記では、「道俗(出家と在家)」という言葉との関係について、「日本紀にはをこない人、しろきぬとよめり」とあるという。これだが、『日本書紀』巻27「天智天皇」項の中に「緇素」と出ている。そして、本の系統で違うのかもしれないが、当方が読んだものでは「緇素」について、「ホウシ・タダビト」と訓が施されていた。

その後、「緇衣」に関する言及があるが、実は色だけでは出家・在家を分け切れないことを指摘している。とはいえ、用語としては、在家を白衣、出家は白衣ではない、と指摘しているのである。ついでに「経にも白衣、欲を受けて道を行ずる人に非ず、と云へり」とあるが、これも典拠を確認しておきたい。

白衣、欲を受けて道を行ずる人に非ず。
    『遺教経』


こちらは、すぐに分かった。上記の一節が典拠である。とりあえず、「緇素」について書かれた文献を確認してみた。今後も、『塵添壒嚢鈔』は記事作成に利用していきたい。

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