つらつら日暮らし

或る禅僧の授戒会法語について

とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。

 同、
 本師心地戒、初祖一心戒、六祖無相戒、咸く戒に非ざるを戒と名づく、畢竟如何端的の処、
 偈に云く、
 三帰三聚浄、箇々自家完うす、
 一体真心地、頭頭に許般没す。
    仏洲仙英禅師『円成始祖老人語録』巻中「授戒会法語」


仏洲仙英禅師は、江戸時代末期に瑩山紹瑾禅師『伝光録』を開版したことで知られ、同書が明治期以降に参究されるようになったきっかけを作った洞門の学僧であり、また、あの井伊直弼の参禅の師としても知られている。一方で語録を見ると、授戒会法語がかなりの数収録されていることから分かるように、自坊は勿論、各地の授戒会などに戒師として招かれたものと思われる。

今回紹介したのは、その1つである。何故採り上げたかといえば、この言葉の通りだからである。

つまり、仏洲禅師は歴代の仏祖がことごとく、「戒に非ざるを戒と名づく」としている。ここでいう「本師」とは、釈迦牟尼仏のことであり『梵網経』に見える通り、「心地戒」が説かれている。一方で、「初祖」とは達磨大師のことで、「一心戒」を説いたとされる。更には、「六祖」とは慧能禅師のことで、「無相戒」を説いている。

心地・一心・無相とは、本来は戒とは関係が無い。そこで、仏洲禅師はその「端的の処」を戒弟に問いかけ、その本意を偈にしている。

偈は、三帰戒・三聚浄戒はその一戒ごと、自家がその保持を全うしている。一体なる真実の心地に於いて、それぞれに多くの種類が没している、という意味になるだろう。

なお、実は仏洲禅師は他の偈頌で、「三帰戒」についても論じておられるので、それは機会を改めて見てみたい。

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