当時、俗人の法衣を着し、出家の俗形を現ずること有る、其の義如何。
更に得心せず、其の意尤も然るべからざる事歟。
但、先づ俗人の法衣を着する、在家の婆羅門、酒に酔て僧の真似をしたりし功徳に依て、仏を見奉事を得て蓮華色女が戯れに、尼の袈裟を掛たりし縁に依て仏法を聞事得と云へば、若逆縁とや成侍らんなれ共、猶仏法を軽くし法衣を垢す罪深かるべし。何に況や出家の俗形をや。
孝経に賤きが貴服を服する、之を僭上と謂、不忠と為す。貴が賤き服を服する、之を偪下と謂、失位と為すと云へり。俗の上に猶、其の位に非ざる服を誡む、況や一度仏弟子に成は、仮にも俗衣を着事内外の道理に背く上は冥の照覧尤も畏るべし謹むべし。其上近比清水寺等、所々の制札に俗人之僧形・出家之俗形と侍れば、世以て誡る事如此、大きに不可然事也。
『壒嚢鈔』巻2「素門上末」、訓読は原典に従いつつ拙僧
まず、『壒嚢鈔』とは室町時代中期に、行誉という僧侶が事物や用語の起源などを問答形式で解説したものであり、上記一節を見れば分かるように、本節は俗人が法衣を着ること、出家が俗服を着ることについて、その罪を問うたものである。
そこで、前者についてだが、俗人が法衣を着ることについて、酔婆羅門や蓮華色比丘尼の縁があるので、仏法への縁になると思っている者もいるかも知れないが、明確に「仏法を軽くし法衣とを垢す罪深かるべし」と断罪している。
しかも、出家が在俗の姿をすることは更に問題であるとしている。その理由の根拠として、『孝経』を用いているが、これ、実は現代的な研究の結果、『孝経』だと思われている文章には入っておらず、先行研究を見ると「伝文」と表記している。この部分だが、『古文孝経』「卿大夫章第四」の本文に対する孔安国による注記であると日本では受け容れられてきた。
なお、『太平記』などにも有名な引用文として存在しているらしい。意味としては、身分の低い者が身分の高い者の服を身に着けると、「僭上」であり、その反対は「偪下」であり、その位を失するとしているのである。無論、出家と在家の立場の違いは身分の違いには該当しないため、ここでは、立場の異なる者の衣服を身に着けると、その位を失うという理解をしておきたい。
それで、上記一節のまとめだが、仏弟子になるのであれば、仮にも俗服を着けるべきではないとしており、更に興味深いのは、本書が書かれる少し前、清水寺などで、制札に「俗人之僧形・出家之俗形」を禁止したというのである。それについて調べてみたら、まさに上記の箇所を扱った先行研究として、小助川元太氏「『壒嚢鈔』における知―答えの逸脱と説話引用に見る政道論をめぐって―」(『立命館大学日本文学会論究 日本文学』70・1999年)を見てみると、実際に制札が設けられていたらしい。
結局、俗人が出家の格好をするということは、何かしらの犯罪を行う可能性として認識されていたようだ。よって、禁止されていると。こういう発想はなかったけれども、在家者が七条以上の御袈裟を着けたりすることの問題点などは、こういう文章あたりを典拠にして、主張していくべきなのかもしれない。
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