それで、前々回の記事では奈良時代の制定された僧侶への位階である【四位十三階】を論じたのだが、詳細を『緇門正儀』で載せている内容から検討してみたい。
一 伝灯修行賢大法師位
斉衡二年九月甲戌真如親王
『緇門正儀』12丁表
ちょっと気になったので、今回はこの一節のみ検討してみたい。まず、「伝灯修行賢大法師位」という呼称について、色々と調べてみたが、「四位十三階」の内、「賢大法師」が最高位だったというのだが、後に廃されたという。ただ、「賢大法師」の下に、伝灯・修行などがあったというが、真如親王はそれらを兼ねていたのだろうか?
ところで、この真如親王(799~865)という方だが、元々は高岳親王と呼ばれ、平城天皇の皇太子であった。しかし、「薬子の変」で廃された後で出家し、弘法大師空海の高弟となっている。僧名は真如であったが、皇太子だったので真如親王と呼称されている。例えば、上記一節に関連して、以下の一節が見られる。
八日〈中略〉詔して東大寺大毘盧遮那仏会事惣て、修理大仏検校修行伝灯賢大法師真如に聴し、処置す。
『三代実録』
これは、斉衡2年(855)の地震で、東大寺大仏の頭が落ちた時に、その修理の担当者として任命された一件であるらしい。なお、真如親王だが、老齢になってから入唐を願って留学したのだが、840年代の中国で起きた「会昌の破仏」が原因で、優れた指導者がいなかったため、真如親王は更にインドへ行くことを願って海路にて旅立ったが、現在の東南アジアで薨去したという。
それにしても「賢大法師」は、この真如親王だけだったのだろうか?色々と調べたが、他が見当たらなかったので、まずは上記の通り学んでおきたい。
【参考資料】
釈雲照律師『緇門正儀』森江佐七・明治13年
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