つらつら日暮らし

『優婆塞戒経』の五戒は声聞か?菩薩か?

江戸時代の天台宗で編まれた『続山家学則』を見ていたところ、次の一節があった。

三帰五戒〈大乗の五戒にして、優婆塞戒経の所説なり〉
    『続山家学則』、早川純三郎編『近世仏教集説』(国書刊行会・大正5年)44頁


大乗の五戒と何故言えるのかが分からない。むしろ、五戒は非大乗なのではないか?とすら思える。その根拠は以下の通りである。

仏、迦葉菩薩に告げ、「善男子よ、是の因縁を以ての故に、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、応当に勤めて加えて正法を護持すべし。護法の果報、広大無量なり。善男子よ、是の故に優婆塞等を護法す。応に刀杖を執りて、是の如く持法比丘を護持せよ。若し五戒を受持するの者、名づけて大乗人と為すことを得ず。五戒を受けずして正法を護ると為せば、乃ち大乗と名づく。正法を護る者は、応当に刀剣、器仗を執持して説法に侍するなり」。
    曇無讖訳『大般涅槃経』巻3「金剛身品」


このように、大乗経典の『涅槃経』では、五戒を受けて正法を護持する者は大乗人ではないとしている。何故ならば、この項目に於いて、正法の護持とは物理的な武力を前提に考えているためである。よって、もし五戒を受けてしまうと、不殺生戒が含まれてしまうため、正法の護持のための武力の発動が出来なくなる。結果として、それを大乗人ではない、という言い方に繋がった。

それでは、『優婆塞戒経』の場合はどうなのか?改めて「受戒品」を読んでみたが、読んでみて、もしかしてこのことか?と思った。

善生言わく、「世尊よ、在家菩薩、云何んが優婆塞戒を受けることを得ん」。
    『優婆塞戒経』巻3「受戒品第十四」冒頭


既に、「在家菩薩」と書いてあった。しかも、ついでにいえば、菩提心を発し受戒を願う際の言葉は以下の通りである。

大徳よ、我れ是れ丈夫、男子の身を具え、菩薩優婆塞戒を受けんと欲す。惟だ願わくは大徳よ、憐愍するが故に受けることを聴せ。
    同上


ここでは、「菩薩優婆塞戒」としている。よって、やはり五戒が大乗だというのは、同経典の説であったといえる。ただし、『優婆塞戒経』には「五戒品」があるから、もちろんそちらも見ておく必要がある。すると末尾に「善男子よ、菩薩に二種あり。一つには在家、二つには出家なり」とあり、また、同品の次は「尸羅波羅蜜品」となっているから、やはり大乗ということになるのだろう。

簡単な記事だが、以上である。

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