ときどき 65から学ぶこと

ときどきに、65をすぎて、こんなことも学びます! 

人生の後半を迎えると 短すぎるよ人生は

2024年05月30日 | 65から学ぶ

今は、何をしなくてもいい生活ですが

それはそれは、何もしなくても生きていけるのですが。

それは、今まで働いたおかげがあるかも。

 

しかし、ブログを見れば分かるように

毎日やることが多く

あれもやりたい、これもやりたいと

多くのことが頭に浮かび

追いまくられているのも事実です。

 

この歳になっても、やることが多い人生です。

 


 

人の人生は短くて


わずか85年しかなくて

 


65年まで迎えると


人生はこんなに短いのかなと痛感します


まして10年などはあっという間


それが8回あるだけの人生です


物事を極めてやればやるほど

 


人生の短き事かな・・・

 

充実に生きれば短く 悔いはなく


流されて生きていても やはり短く 何も思いもせず

 

人生はあっという間


ほんとにあっという間ですよ!

 

 

何のために 生きているのか 生きてきたのか

 

何か残したのか 人のために何をしたのか

 

人を幸せにしたか  そろそろ考えましょ・・ 

 

自分が心地よく

幸せだなと思うことを

選び続けてきた結果

今があります!

 

 

 


崇高な ファインダーをのぞいて撮る姿

2024年05月25日 | 65から学ぶ

カメラはなんだっていい

コンパクトなデジカメでもいい

安く手に入る一眼レフ機でもいい


共通して言えるのは、「ファインダーをのぞいて撮るカメラがいい」


理由は、「撮ってる姿が懐かしいから」


「ファインダーをのぞいてカメラを構えている人の姿」が美しいなと思います。


そういう立ち姿は、「趣味人」として素敵に映ります。

趣味というのは本人が満足してることもありますが


まわりから見た時に「いい趣味してるなあ」とか

「あんな風にじぶんも没頭できる趣味が欲しいなあ」

という文化的な姿を当時は思ったものです


昔はあの姿が、素敵な景色の一部で生活の中に溢れてました


スマホが登場する以前は

写真を撮ること = カメラを構えることで

いまより人々はカメラを構えるシーンが多かったですね

 

今のスマホカメラの性能と用途は素晴らしいけれど

撮っている姿が美しいとは言い難く

撮ってる人たちの光景は、ちょっと文化的とは言えないような

まして今はカメラにファインダーがあるにもかかわらず

モニターに被写体を映して撮る、スマホと同じような姿が多くなっています。

 

実際、カメラがいつも身の回りにあると、景色のわずかな変化にも気がついたり、

少し足を止めて綺麗なもの、美しいものにシャッターを切ったり、

撮れた写真を後日誰かに見せて、思い出を回想するなんて時間もさりげなく楽しめたりと、

「あぁ カメラがあって良かったな~」と思います

 

何も毎日絶景を撮る必要はなくて、カメラがあることで、

ちょっといつもの日常が違った角度から眺められることが良くて

それが生活を文化的にしていると思います


趣味とは、そういう無理しない感じもまたよく


この夏に向かっては、小さなカメラが良くて

夏はどことなく体に負担のない軽いカメラを肩にかけて

ラフに使っても気にしなくていい使い勝手のいいカメラでそぞろ歩き


そんなカメラを、生活のあちこちでファインダーをのぞいて構えて

その姿で誰かを少し文化的な気持ちになるとしたら


それもまた「趣味人」らしい生き方かと【器用貧乏】

 

 


帯状疱疹 痛さを感じたらすぐに 病院へ

2024年05月20日 | 65から学ぶ

子供のころの水ぼうそう

治ったと思っても、水ぼうそうの菌は体内に残ります

本来一度だけですが


それがストレスをため込むと

全身の右か左に痛みがでて皮膚がただれ

針を刺す痛み、痒み、顔面なら顔面神経痛、顔面麻痺を発症します


その時には、躊躇なく病院へ駈け込んでください。

早ければ早いほど完治が早くなります。

 

3日もたっていくと「帯状疱疹後神経痛」を発症し

2年半以上も治りません【体験談】

目にくると失明もありえます。

 


早く「抗ウィルス薬」を処方すれば、早く治ります

その間も、過度のストレスがあると治りも遅くなります

これは人に感染させる可能性があります


帯状疱疹を再び発症する方もいます

50歳以上なら「帯状疱疹ワクチン」を接種することをお勧めします


お願いすることは、忘れずに覚えておいてください

わが身に異変があれば、病院へ

遅くなればなるほど、辛い思いをします

ひとごとではなく

私は帯状疱疹に無知だったので辛い思いをしました


自分の性格が、マイペースで気にせず楽天なら、心配することはないと思いますが


※それでも本質が繊細で神経質な方なら感染する方がいます。


コロナ禍で我慢をして、見えないストレスを感じ発症する方が増えています 

 

『気になったら 早く 病院に 行ってください』 

「帯状疱疹は男性に比べ女性に1.5倍ほど多く発症します。

85%の人は3カ月ほどで治りますが、6カ月以上長引く人は4%います。

帯状疱疹が長期化するのは、神経障害性疼痛という神経が傷つく痛みが長引いたため。

最初の発疹が重症な人や、発疹が出る前の『前駆痛』という痛みが強い人が長引きやすい傾向にあります」

 


魅了「川瀬巴水」木版画 11選【夕暮れ】③

2024年05月15日 | 木版画 川瀬巴水

川瀬巴水は、明治16(1883)年

東京市芝区露月町(現在の港区新橋5丁目)の生まれ。

幼い頃から絵を好み、画家を志しましたが

修業の開始は遅く、鏑木清方への入門を果した後のこと。

すでに27歳になっていました。


転機が訪れたのは、大正7(1918)年。

同門の伊東深水が手がけた連作《近江八景》を見て

木版画の魅力に打たれます。


版元・渡邊庄三郎と組み、塩原に取材した三部作を翌年発表。

 

写生に基づく温雅な下絵が清新な木版画となり、好評を得る。

旅に出てはスケッチをし、東京に戻っては版画を作るという暮らしを

病で世を去る昭和32(1957)年まで続けたのです。

 

旅は日本全国、名所旧跡

多くはかつて日本のどこにでもあった風景。

 

四季や時刻の表情を大切にし

しばしば土地に暮らす人々を点景として織り交ぜながら

おぼろ月・わきたつ入道雲・そぼふる雨・しんしん雪の降る風景を

巴水はあくことなく描き続けました。

 

生涯に残した木版画は600点を超え

旅の印象を抒情的に描くその作風から

「昭和の広重」とも称えられました。

 

今やどこにも存在しない、懐かしい日本の風景に会いにー。

 


 

大好きな「川瀬巴水(はすい)」の木版画

 


12のモチーフ別に見てみましょう。

 

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作品リスト コチラをクリック⇩

 

 

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魅了「川瀬巴水」木版画 11選【夕暮れ】②

2024年05月10日 | 木版画 川瀬巴水

川瀬巴水は、明治16(1883)年

東京市芝区露月町(現在の港区新橋5丁目)の生まれ。

幼い頃から絵を好み、画家を志しましたが

修業の開始は遅く、鏑木清方への入門を果した後のこと。

すでに27歳になっていました。


転機が訪れたのは、大正7(1918)年。

同門の伊東深水が手がけた連作《近江八景》を見て

木版画の魅力に打たれます。


版元・渡邊庄三郎と組み、塩原に取材した三部作を翌年発表。

 

写生に基づく温雅な下絵が清新な木版画となり、好評を得る。

旅に出てはスケッチをし、東京に戻っては版画を作るという暮らしを

病で世を去る昭和32(1957)年まで続けたのです。

 

旅は日本全国、名所旧跡

多くはかつて日本のどこにでもあった風景。

 

四季や時刻の表情を大切にし

しばしば土地に暮らす人々を点景として織り交ぜながら

おぼろ月・わきたつ入道雲・そぼふる雨・しんしん雪の降る風景を

巴水はあくことなく描き続けました。

 

生涯に残した木版画は600点を超え

旅の印象を抒情的に描くその作風から

「昭和の広重」とも称えられました。

 

今やどこにも存在しない、懐かしい日本の風景に会いにー。

 


 

大好きな「川瀬巴水(はすい)」の木版画

 


12のモチーフ別に見てみましょう。

 

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魅了「川瀬巴水」木版画 11選【夕暮れ】①

2024年05月06日 | 木版画 川瀬巴水

川瀬巴水は、明治16(1883)年

東京市芝区露月町(現在の港区新橋5丁目)の生まれ。

幼い頃から絵を好み、画家を志しましたが

修業の開始は遅く、鏑木清方への入門を果した後のこと。

すでに27歳になっていました。


転機が訪れたのは、大正7(1918)年。

同門の伊東深水が手がけた連作《近江八景》を見て

木版画の魅力に打たれます。


版元・渡邊庄三郎と組み、塩原に取材した三部作を翌年発表。

 

写生に基づく温雅な下絵が清新な木版画となり、好評を得る。

旅に出てはスケッチをし、東京に戻っては版画を作るという暮らしを

病で世を去る昭和32(1957)年まで続けたのです。

 

旅は日本全国、名所旧跡

多くはかつて日本のどこにでもあった風景。

 

四季や時刻の表情を大切にし

しばしば土地に暮らす人々を点景として織り交ぜながら

おぼろ月・わきたつ入道雲・そぼふる雨・しんしん雪の降る風景を

巴水はあくことなく描き続けました。

 

生涯に残した木版画は600点を超え

旅の印象を抒情的に描くその作風から

「昭和の広重」とも称えられました。

 

今やどこにも存在しない、懐かしい日本の風景に会いにー。

 


 

大好きな「川瀬巴水(はすい)」の木版画

 


12のモチーフ別に見てみましょう。

 

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魅了「川瀬巴水」木版画 11選【富士山】②

2024年05月02日 | 木版画 川瀬巴水

川瀬巴水は、明治16(1883)年

東京市芝区露月町(現在の港区新橋5丁目)の生まれ。

幼い頃から絵を好み、画家を志しましたが

修業の開始は遅く、鏑木清方への入門を果した後のこと。

すでに27歳になっていました。


転機が訪れたのは、大正7(1918)年。

同門の伊東深水が手がけた連作《近江八景》を見て

木版画の魅力に打たれます。


版元・渡邊庄三郎と組み、塩原に取材した三部作を翌年発表。

 

写生に基づく温雅な下絵が清新な木版画となり、好評を得る。

旅に出てはスケッチをし、東京に戻っては版画を作るという暮らしを

病で世を去る昭和32(1957)年まで続けたのです。

 

旅は日本全国、名所旧跡

多くはかつて日本のどこにでもあった風景。

 

四季や時刻の表情を大切にし

しばしば土地に暮らす人々を点景として織り交ぜながら

おぼろ月・わきたつ入道雲・そぼふる雨・しんしん雪の降る風景を

巴水はあくことなく描き続けました。

 

生涯に残した木版画は600点を超え

旅の印象を抒情的に描くその作風から

「昭和の広重」とも称えられました。

 

今やどこにも存在しない、懐かしい日本の風景に会いにー。

 


 

大好きな「川瀬巴水(はすい)」の木版画

 


12のモチーフ別に見てみましょう。

 

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