ジジイの鉄槌

認知症で要介護1の実父!施設介護のよもやま話しです。
仕方なく成年後見人になり、その後要介護5へ…

息子の巣立ち

2014-03-31 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、一人息子が、進学のため巣立った。
これ自体は、とても「めでたい」こと。
既に1月には学校も決まり、2が月以上時間があったにもかかわらず、息子となかなか話ししなかったこと(できなかったこと)に後悔している。
私の勝手な思い込みではあるが、「男の子が実家を出たら二度と家に戻って、暮らすことはない」と思っているし、私はそうだった。
なので、息子の巣立ちは、大袈裟だが、私にとって『今生の別れ』と変わらない。


息子の巣立ちは、生れて18年か22~23年後には必ずあるのに、「もっと先のこと」だと勝手に感じていた。
この期に及んで、子育てに関わってきていないことや自分の不器用さを悔やんでいる。
先ず、自分がそうだったから・・・と、親父と話すのが面倒臭いだろうと思い、高校の進学を機に「息子からの相談や話しが無いなら、間違っていない限り、助言は控えよう」した。
息子も私同様「親父ってうっとうしい!」と思っているのかどうかは不明なのに、この2か月間、私の方が、自分を変えることができずにいた。
それでも話し出そうとするタイミングをようやく見つけると、息子が外出したり、メールが入ったり、「先寝る」と部屋に入ってしまい、会話できなかった。

また、どこの家庭もそうだろうが、オヤジが話し始めると全部カミサンが「あっ、それ。もう言ってある」とか「それ、今言うこと?」と口をはさむ。オヤジが話しだそうとすると、「必ず」と言っていいほどそうなる。これが、彼女は無意識なのだから罪深い。
この期間に何度かあった休日をみると、一日の殆んどはカミサンがしゃべっている時間で、息子は相槌するのが手一杯。それを横で見ているオヤジが口をはさむスキなどない。

旅立つ前夜。外食せずに自宅でささやかながらの壮行会。
黙々と食べる息子に、ず~っとカミサンがしゃべり続け、涙ぐみ始める。
「お父さんも何か言いなさい」とは言うもののそのスキはくれない。
ようやく言えたのは
「いつ帰ってきてもいいから。変なガマンはする必要ないから」
というと、カミサンが直後に
「そうそう。いつでも帰ってきていいんだから。でも、ゴールデンウィークに帰ってくる必要ないし、夏休みだってバイトかなんかするんだろうし・・・。ところで、お父さん、変なガマンって何?」
「色々あるでしょう。お金が無いから帰れないとか、上京したばかりで帰っちゃ悪いと思うとか、ちょっと寂しいから・・・」
「なんで、そんな・・・」と結局は、カミサンとの会話に変わってしまい、主賓の息子は早々に「ごちそうさま」と席を立つ。



翌朝、朝一番機に乗せるため、空港まで車で送った。
カミサンは、引っ越し手伝いで一緒に行く。
なのに、車中でもカミサンがず~っとしゃべっている。
空港のトイレで息子と二人きりになれ
「お母さんとケンカしないように。お母さんはお前が心配で色々言うんだから。うるさいと思ってもお前が大人になって聞かないと。お母さんはお前と離れたくないんだから」
「わかった」
これが、二人きりで交わした最後だ。
搭乗口まで息子と妻を見送り、帰路についた。

帰りの車の中で、子育てしてない18年間の後悔が頭の中をず~っと駆け巡る。
仕事が忙しく、早朝、深夜、休日出勤で息子の寝ている姿しか見ていない幼児期。
単身赴任していた小学生期。
家族よりも部下との時間が大半を占めた中高生期。

家に着いて、息子の部屋を見回す。
やっぱり、何個かの「忘れ物」があった。
それを見つけて、少しホッとした。
何故か「また帰ってくる」と確信を持てた瞬間でもあった。
息子に忘れ物メールをしたあと、一人ぽっちの家で、息子に本当は旅立つ前に言いたかったことを手紙にした。
手紙を書いているうちに、「なんで、いるうちに、変な遠慮して、ちゃんと話さなかったのか。いや、ちゃんと話していないのは生まれた時からではなかったか」とまた自分自身を悔やみ、涙が出てきた。

結局、「オヤジの見栄」なのか、手紙にも自分の正直な気持ちが書けていない。
昔から感じていたが「なんか、男親って損!」
と痛感した。



昨晩は気が付かなかったが(当たり前の風景だったから)、今朝、息子の歯ブラシとコップが残っているのに気付き、改めて息子の旅立ちの寂しさを実感したが、忘れ物を見つけるたびに「早い時期に帰ってくるかも」と期待している。


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