父の認知症入院し、父母が離れて暮らすようになり一年が経過した。
グループホーム(GH)入所から数えても半年が経つ。
父の認知症は、母への嫉妬妄想からDVを伴ったので、入院後も母単独の見舞いは難しく、母の方でも恐怖心があり、入院していた約5か月で2度。GH入所後は、まだ1度も見舞っていなかった。
入院時は、ドクターから「奥さんに会うことでマイナス刺激となるので、患者のためにもしばらく様子を見た方が良い」と許可が出るまで時間がかかった。
GH入所時は、施設長から「男性入所者は、慣れるまで時間がかかる。特にDVを伴う嫉妬妄想があるなら、奥さんとの面会は、ここの生活に慣れてからの方が良い」とアドバイスがあった。
なので、母の面会はこの半年、一度もなかった。
この間、母からは「おじいちゃんの様子どう?もう、見舞いに行ける?あんた達ばかりに迷惑かけられないから少しでも早く見舞いにいけるようになりたい」と再三言われていた。
私は、母の言葉を「そうだな」と思い、私自身も休みの度に父を見舞わなければならない時間的制約に疲れも感じており、「おばあちゃんが、月に一度でも行けると、その週は休めるな」と思っていた。
幸い、父の嫉妬妄想も薄れ(←脳の壊死が進んでいるということか?)、施設から出たいとは言うものの、落ち着きを見せていたので母を連れて行くことにした。
母にそのことを伝えるとたいそう喜んだ。
面会前日私の妻に母から電話があった。
「明日、私行っても大丈夫だろうか?おじいちゃん、大分良くなった?私、行って悪くなるようだと行かない方が良いんじゃないかと思って…」
と言うことだった。
妻は、父の最近の様子を伝え、予定通り母も行くことになった。
妻からその話を聞き、妻が付け加えたのは
「おばあちゃん、ホントは行きたくないんじゃないの?
周りから『見舞いたいけど見舞えない状況』で、知人から同情が集まり『大変だね~』と言われ、『そうなんだ・・・』と言える今の状況のままいたいんじゃないだろうか?
女ってそういうところあるし・・・」
私は「そんなことある?」と思った。
約10か月ぶりの面会の日。
母は、ソワソワしていた。
施設に到着し、なかなか入ろうとしなかった。
私は施設のリビングで眠る父を起こし、母に引き合わせようとしたら母は施設スタッフと長々挨拶を始めていた。
それを打ち切らせ、父に引き合わせた。
二人とも涙、涙の再会だ。
二人とも落ち着いた頃、父の脱衣行動が始まった。
母には、以前から脱衣行動、失禁があること失語が進んでいることは十分伝えていたが、
「あら、おじいちゃん!脱いでどうするの?どこも連れて行かないよ!なんで脱ぐの!トイレかい?トイレここじゃないし!何するの!」
と母が父をたしなめはじめた。
それを見て「ダメだな・・・」と私は思った。
母の言葉は続き「そんな着替えても私のところも息子(私)のところも連れて行かないから!」、と脱ぎ掛ける衣服を脱がないように何度も止める。この言葉や制止に父が反応し、無言のまま私の前に立ちはだかり形相が変わった。
母には、これまで、何度も何度も何度も「おじいちゃんが回復することはない。じいさんの行動を先回りして制止せず、聞き流しながら様子見ないと」と言ってきたが、恐らく今後も理解できないだろう。
父はその後「なんで、おまえの家に行けないんだ!おまえのところで面倒みろよ!」ということだと思うが無言のまま、人差し指で強く私の胸を何度も指す。
落ち着いたところで
「さぁ、おばあちゃんも病院戻る時間だからバイバイだよ」と言って施設を後にした。
帰りの車に乗り込んだ途端、母は「おじいちゃん、まだ駄目だね。変わってないわ。前のまんまだし、私行ったらダメだね」と言い始め、言い続けた。
ここに来て妻の
「おばあちゃん、ホントは行きたくないんじゃないの?
周りから『見舞いたいけど見舞えない状況』で、知人から同情が集まり『大変だね~』と言われ、『そうなんだ・・・』と言える今の状況のままいたいんじゃないだろうか?
女ってそういうところあるし・・・」
を理解し、『これからも休みの度の様子伺いは続くんだなぁ~』と実感した。
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