5/3~5/6のGWを利用し、震災被災地の岩手県宮古市で仮設住宅を回って、フォルクローレを演奏し、住民の方をお慰みしようと、リーダーと二人で行って来ました。去年は宮城県岩沼市に行き、泥かきや瓦礫撤去などの肉体労働&キャンプ生活でしたが、現在求められている支援は、被災者の生活に貢献することのようで、リーダーが仕事中?に色々調べた結果、今回の宮古市での演奏ボランティアが決まりました。
行きは新幹線で、前日に出発したリーダーと東京駅で合流。一路岩手盛岡へ。そこでレンタカーを借り、大雨の中宮古市を目指しました。東北はまだ桜も咲き、道中の山に芽吹く新緑がとてもきれいで、リーダーと二人で「東北はやっぱり雄大だ!すごいなあ」と感嘆しながら、夜半にボランティアの拠点となる、高校分校の跡地を利用した河合キャンプに到着。寝袋持参ですが宿泊無料で、全国からいい面構えをしたボランティアが集い、さながら梁山泊のような雰囲気でしたが、気持ちの熱い方が多く、彼らとの交流も楽しいものでした。夕食時は調理室で自炊&宴会。ボランティアの方々に向けたエールとして、もちろんデュオで演奏しましたよ!みんな頑張れ!
演奏は2ヵ所の仮設住宅を回りました。初日に行った住宅の代表の方は、演奏後、自分の家が目の前で流された現場まで案内してくれ、「ここを通って逃げたんだよ」と津波から逃げる様子まで教えてくれました。「生きてるだけで意味がある」という言葉の重さは、今も胸に響いています。
この日は天気も悪く、美しい三陸の海は霧に覆われ、全く見えずに不気味なものでしたが、翌日はきれいに晴れたので、再度案内してもらった浄土ヶ浜をまわりました。春の三陸の海のまぶしさと、津波に飲み込まれ土台だけを残して広がっている土地がなんとも対象的であり、いい所だったんだなと思う反面複雑な思いに駆られました。
二日目の仮設住宅での演奏は、初日での固さもとれ、演奏と合わせて、集まってくれた被災者の方の思いや気持ちを演奏の合間で聞くことができました。正直、深い傷を負った人に演奏で楽しんでもらうことの難しさも感じましたが、気負わずに、力になるかわからないけれど、まず手を差し伸べることの大切さも実感しました。人について、人生について、こころについて、とても考えさせられ、勉強になったボランティアとなりました。
演奏訪問を終えた後、レンタカーで海岸線の被害の状況を見てまわりました。国道沿いに宮古市から南下し山田町まで行きましたが、至る所に津波の傷跡が残り、その被害の大きさを目の当たりにした思いです。僕は前日夜から風邪気味でぼうっとしていたこともあり、ずたずたになった防潮堤を歩いていたら足を滑らせ数m下まで転げ落ちそうになりましたが、なんとかコンクリートの塊につかまり両腕負傷(すり傷)で済みました。危うく被災地で負傷者になる所でした。油断は禁物です。
山田町の北浜という地区で車を降り、二人で爆撃を受けた後のような住宅地跡をまわりました。風とかもめの鳴き声だけが響く静けさがやけに印象的で、ここに人の生活があったのだということは残った家の土台からしか想像できませんでした。追悼の意を込めて、リーダーはケーナで「アンデスの笛吹き」を、僕はチャランゴで「サラケ・出会いと別れ」を捧げました。思いは届いたでしょうか。
そのまま、レンタカーで盛岡へ戻り、仙台まで新幹線。その日の夜行バスで名古屋に帰り着きました。疲れが出たのか、その後僕は風邪をこじらせ、寝込みはしなかったものの声が出なくなり、まだ本調子まで回復してません。でもあの4日間は、本当に得がたい旅でした。いい人に出会い、演奏をし、被災地のことを初めて自分のことのように感じることができました。できればもう一度行きたい、それが今の正直な気持ちです。さあ、僕ももっと頑張るぞ!今度はちゃんと「南部牛追い歌」を覚えていきますね。
また僕なりのリポート書きます。
目黒っちがまた行きたい!と思ってくれたのが嬉しいのと今年も東北へ行かせてくれた家族の理解に感謝します。 そして宮古市へ行きたい!と思い立って即行動出来た自分の情熱の熱さをも少し褒めて上げたい。