今朝の読売新聞に、
文化人類学者の今福龍太さんの「群島」論についてのインタビュー記事。
この先生は、岩波書店から「群島ー世界論」という本を書いているらしい。
社会や言語をひとつに束ねようとする発想が「大陸」的思考とすれば、
「複数の社会や言語が共存・混交し、
それらの連なりによって世界が作られていた」
というのが「群島」的発想なのだそうです。
多島海に住む人々は古来から舟にのって自由に移動し、
行く先々で大陸国家とは異なる社会を築いていた、と。
「世界は具体的なモノだけで成り立っていない。
人の欲望や感情は本来フィクショナルなもので、
神話的形象の中にこそ表れる」
思い出したのが、りんけんバンドのメルマガ
「十数年前に西表島探検ツアーを企画した。マングローブの川を小さなポンポン船で上流に40分。船着き場もない所におろしてもらった。もうそこから先は船がいけないのだ。ツアーメンバーはりんけんバンドの男性陣。メンバーは「こ、ここでおりるんですか?」と信じられないような顔した」
やはり、りんけんさんの自由精神には、「群島的思考」が流れているのか。
「珊瑚の子守唄」とか、
ティンクティンクの曲に惹かれるのも、
「群島的」思考が呼び寄せているのかも、しれない。
今度、今福さんの本、読んでみよっと。
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文化人類学者の今福龍太さんの「群島」論についてのインタビュー記事。
この先生は、岩波書店から「群島ー世界論」という本を書いているらしい。
社会や言語をひとつに束ねようとする発想が「大陸」的思考とすれば、
「複数の社会や言語が共存・混交し、
それらの連なりによって世界が作られていた」
というのが「群島」的発想なのだそうです。
多島海に住む人々は古来から舟にのって自由に移動し、
行く先々で大陸国家とは異なる社会を築いていた、と。
「世界は具体的なモノだけで成り立っていない。
人の欲望や感情は本来フィクショナルなもので、
神話的形象の中にこそ表れる」
思い出したのが、りんけんバンドのメルマガ
「十数年前に西表島探検ツアーを企画した。マングローブの川を小さなポンポン船で上流に40分。船着き場もない所におろしてもらった。もうそこから先は船がいけないのだ。ツアーメンバーはりんけんバンドの男性陣。メンバーは「こ、ここでおりるんですか?」と信じられないような顔した」
やはり、りんけんさんの自由精神には、「群島的思考」が流れているのか。
「珊瑚の子守唄」とか、
ティンクティンクの曲に惹かれるのも、
「群島的」思考が呼び寄せているのかも、しれない。
今度、今福さんの本、読んでみよっと。
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「この曲は、私たちの歌声のキーがあっていると思うので、
アルバムに入れていただきました」
「真夏陽も終わりの日、ではじまるんですよ。
沖縄の秋の入口はたぶん、11月ぐらいだと思うんです」
(あずさぁ、タイフーンfm「ヒトワク」より)
→島を離れて都会で暮らす人が島を思い出すけど、
都会で咲く花をみて、
この都会も、誰かの大切な場所だと気づき、
都会に注ぐ光で、
この都会も、誰かの大切な場所だと気づく、
なかなか、奥の深い詞だと思います。
都会で生まれた子供には都会が故郷なんです。
(だから、那覇のよーさんのお子さんは、新井薬師の商店街が故郷なんです)
そんなことを思い出す、深い詞だなあ。
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アルバムに入れていただきました」
「真夏陽も終わりの日、ではじまるんですよ。
沖縄の秋の入口はたぶん、11月ぐらいだと思うんです」
(あずさぁ、タイフーンfm「ヒトワク」より)
→島を離れて都会で暮らす人が島を思い出すけど、
都会で咲く花をみて、
この都会も、誰かの大切な場所だと気づき、
都会に注ぐ光で、
この都会も、誰かの大切な場所だと気づく、
なかなか、奥の深い詞だと思います。
都会で生まれた子供には都会が故郷なんです。
(だから、那覇のよーさんのお子さんは、新井薬師の商店街が故郷なんです)
そんなことを思い出す、深い詞だなあ。
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