興南高校、決勝進出おめでとう!
凄い打線でした!
東京でみていると、まさに、桜満開打線でした!
応援団の、おせおせのときの、ハイサイおじさんの、指笛最高でした!
そんな興南高校野球部にも、ティンクティンクのまやちゃんのように、大阪から参加している「データ博士」がいました。
毎日新聞 2010年4月2日 西部夕刊 より。
第82回センバツ高校野球:興南支えるデータ博士、記録員・射矢翔太君
◇大阪育ち、すっかりウチナンチュ--
射矢翔太君(3年) 第82回センバツ第11日の準決勝で2日午後、大垣日大(岐阜)と対戦する興南(沖縄)。4強進出の陰には、仲間から「データ博士」と呼ばれる記録員、射矢(いるや)翔太君(3年)の存在がある。中学3年まで大阪府豊中市で育ったが、今や言葉も心もすっかり「ウチナンチュ(沖縄の人)」。チームに溶け込み、相手の戦力分析で快進撃を支えている。 沖縄の高校で寮生活を始めた当初は戸惑った。浴室に自分が持ち込んだシャンプーを「借りていい?」と尋ねる前に手に取る部員たち。「借りよーなー(借りるよ)」と言ったころには、既に頭を洗っている。「ゆいまーる(助け合い)」の精神が根付く沖縄では珍しくない光景だ。その人なつっこさは、おとなしい性格の射矢君に心地よく、半年後には関西弁から沖縄の方言に変わっていた。
「当たり前のことを当たり前にできる選手を育てる」。中学3年だった07年夏、こう話す我喜屋(がきや)優監督(59)をテレビで見て入部を決めた。大阪での中学時代は、全国大会にも出場した硬式野球チームのエースでクリーンアップ。興南では内野手でベンチ入りを目指したが、100人近い部員の中では難しかった。
しかし、我喜屋監督は「コツコツ努力する姿勢がいい」と記録員に抜てき。他の部員2人と「情報班」を組み、ビデオなどで相手チームの投手の配球や癖などを探り、ナインに伝える。
2回戦の智弁和歌山(和歌山)戦では、3番目に登板した投手について「力のある直球と切れのいい変化球がある」などとアドバイス。直後、4番・真栄平(まえひら)大輝選手(3年)の本塁打などで試合を決めた。
個人連続安打の大会記録に並んだ3番・我如古(がねこ)盛次主将(3年)は「相手のデータは射矢の頭にすべて入っている。それを聞くと、迷うことなくプレーに集中できる」と信頼を寄せる。
射矢君は選手の道をあきらめたわけではない。しかしこのセンバツでは「どんな形でもチームに役立ちたい。一戦一戦、全力を尽くす」と貢献を誓う。
【金秀蓮】
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◇相手分析チームの頭脳 ベンチでスコアを付けるのが主な役割だが、試合中に相手チームのデータを整理、分析して作戦などに生かす「チームの頭脳」的な役割を果たすことも多い。 記録員のベンチ入りが認められたのは、96年夏の甲子園から。それまで、春の選抜、夏の全国選手権ともベンチ入りできたのは、監督、責任教師(部長)、選手だけだった。この年から選手以外の部員1人を記録員として認め、「男女を問わず」としたことで、中等野球の時代から女子が入れなかった甲子園のベンチに、女子マネジャーも入れるようになった。 牧野直隆・日本高野連会長(当時)は「遅ればせながら、時代に合わせていこうということになった」と説明した。 ただ、記録員はファウルボールなどによる危険防止のため、試合前、試合中ともグラウンドに出ることはできない。
記録員は選手と違って試合ごとに変更できる。勝ち進めば、交代を重ね、より多くの部員に甲子園を経験させることも可能だ。