Entre ciel et terre

意訳して「宙ぶらりん」。最近、暇があるときに過去log整理をはじめています。令和ver. に手直し中。

第322冊『シャルル九世年代記』

2024年03月24日 | 本(小説など)
図書案内
 ・メリメ『シャルル九世年代記』(石川剛、石川登志夫訳、岩波文庫、1952年)



 ただいま絶賛、春の断捨離中です。いつも折を見計らって、一気に家の中の片付けなきゃいけないものを整理しております。
 その一環で、積読消化も継続中。(ずーっと似たようなことをしていますが...)

 今回は、『シャルル九世年代記』を読了。
 なんで、これを買ったのかは、もう覚えていません。笑 なにせ、リクエスト復刊のタイミングで購入したと思われますが、帯に2010年春の文字が。なんと、もう14年前のリクエスト復刊から、手に取られず今に至ったとな! 自分の「本を買うことに満足して終わる」癖を、そろそろ直したい。自分、いいお年ですし。

 今回、これを読んでいて、旧字体の表記にとても苦労していました。
 しかし、それ以上に興味深かったのが、当時のフランスのキリスト教の立場の違いを、文学的な視点で追体験できたこと。
 いわゆる宗教戦争のころ、ユグノー戦争とか、サンバルテルミの虐殺などで有名な頃のお話が、この本なわけですが、そこに描かれている旧教と新教の立場の違い、心境の違い、それぞれの思惑の描写は、なかなか面白かった。

 なにより、小説の終盤の、内戦が勃発したところや、大尉が銃撃されて、そこから信仰や葬儀、死後の世界について考えるところは、当時を生きていた人々の宗教的あるいは政治的な側面を垣間見ることができた気がします。
 銃撃シーンはなかなか描写がリアル。メリメの凄さ、ということなのでしょう。(この描写を読んでいるとき、記憶に新しい、近年の日本でも政治家が銃撃された事件がありましたが、それを思い出すぐらいの鮮明な描写でした)

 以下は、一部、印象的に残ったシーンを引用。(上記の部分とは別です)

「突然、白い壁が真赤な松明の火で照され、彼(=ヂョルヂュ)は鋭い叫び声を聞いた。同時に半裸体で髪を振乱し、嬰児を抱いた女を見た。女は人間業とも思へぬ速さで逃げ行く。と、二人の男が、野獣を追う猟師のように野蛮な声を張上げて、勵まし合いながら追いかけて来た。女が、広い道に飛出そうとした時、追って来た男の一人は、手にしていた火縄銃を発射した。弾丸は背中に命中し、彼女はばったり倒れた。しかし、女はすぐ起上り、ヂョルヂュの方に一足進んだ、また俯伏しに仆れ、最後の力をふりしぼって、恰も慈悲を乞うかのように、その嬰児を大尉の方へ差出し、一言も発せずに、息切れた。」(p.228)

 途中、省略。

「ヂョルヂュは彼を射つのは止めて、身を屈めて地上に倒れている女を検めると、もう息は絶えていた。弾丸は背から胸へかけて貫通したのである。子供は、母の頭に手をかけて泣き叫び、身体中朱に染まっていたが、不思議にも怪我はなかった。母親に力の限り抱き縋っているので、大尉は引離すのに少しく骨が折れた。」(p.229)

 もう、この部分だけでも、関係ない人々が巻き込まれた様子を読み、涙が出そうに。
 そして、そういえばサンバルテルミの虐殺の絵(世界史の資料集に載っているようなやつです)に死体の山が築かれていたのを思い出す。

 ということで、旧字体表記に抵抗のない方で、世界史のサンバルテルミの虐殺など宗教戦争あたりの時代を覚えている方は、この作品は興味深く読めると思います。おすすめです。


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