鬼怒太の湯
温泉旅行の締めくくりにぴったり
鬼怒川温泉駅にある無料の足湯施設。温泉街と同じアルカリ性単純温泉を愉しめることから、常に人で賑わうスポット。駅前の広場にあるので、電車を降りてすぐ足湯に浸かって旅情気分を高めるもよし、散策やトレッキングで疲れた脚を休めるもよし。帰りの電車に乗る前に旅の疲れを取るのもオススメ。高井和正

温泉旅行の締めくくりにぴったり
鬼怒川温泉駅にある無料の足湯施設。温泉街と同じアルカリ性単純温泉を愉しめることから、常に人で賑わうスポット。駅前の広場にあるので、電車を降りてすぐ足湯に浸かって旅情気分を高めるもよし、散策やトレッキングで疲れた脚を休めるもよし。帰りの電車に乗る前に旅の疲れを取るのもオススメ。高井和正
渡月橋
渡月橋は、承和年間(834~848)に僧道昌によって架橋したのが最初とされており、現在の位置には後年に角倉了以が架けたとされる。現在使われている橋は昭和9年(1934)6月に完成したもので、嵐山の景勝にとけ込むように設計されている。
亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから渡月橋と名付けられた。嵐山を代表する観光名所であり、春と秋を中心に多くの観光客で賑わう。
またこの付近ではボート遊び、屋形船の遊覧、そして夏には鵜飼が楽しめる。大堰川では8月16日に灯篭流し、11月にもみじ祭を催すが、渡月橋はこういった行事の中心となっている。
嵐山を背景に、春の桜、秋の紅葉、冬の雪景色と、四季を通して風情ある景色を楽しませてくれる渡月橋に、是非訪れてみては。高井和正
龍安寺
龍安寺駅から徒歩で7分にある龍安寺。1450年(宝徳2)細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、妙心寺の義天和尚を開山とし禅寺に改めた。方丈南側に枯山水庭園(史跡及び特別名勝)として名高い石庭がある。
石庭として有名な方丈庭園(史跡・特別名勝)がある。三方を築地塀に囲まれた枯山水の平庭で、「虎の児渡しの庭」とも呼ばれる。東西25メートル、南北10メートル余の長方形の白砂の庭に15個の石組が点在する。また、そこに咲く枝垂桜が風情ある石庭に彩りを添える。
作者は不明で作意には諸説があるが「抽象造形の極致」として評される名園だ。
高井和正
毘沙門堂
創建は大宝3年(703)文武天皇の勅願によって開かれた。当初は出雲路(上京区・御所の北方)にあったことから護法山出雲寺と呼ばれた。その後、たび重なる戦乱から苦難の道をたどり、寛文5年(1665)、山科安朱の地に再建。後西天皇の皇子公弁法親王が入寺してより門跡寺院となった。伝教大師が唐より将来された鎮将夜叉法という行法は、天台五箇大法の1つとしてこちらの門跡だけに伝わる秘法。
宸殿は後西天皇の旧殿を賜ったもので、障壁画116面は狩野益信筆の山水画。晩翠園と名づけられた庭園には心字の池があり、前庭には樹齢150年ほどの枝垂れ桜がある。
境内は樹々に囲まれ、桜が満開となる春、葉が色づく秋に美しく映える建物が印象的で、中でも秋の参道の石段の散紅葉が絶景。
商売繁盛・家内安全にご利益のある毘沙門堂で、満開の桜や紅葉のじゅうたんを堪能してみては。
高井和正
鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まり。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化という。義満の死後、遺言によりお寺となり、義満の法号鹿苑院殿から2字をとって鹿苑寺と名づけられた。
境内には、有名な「金閣舎利殿」をはじめ、京都市指定天然記念物に指定されている「櫟樫(いちいがし)」や、後水尾上皇の為に、鳳林承章が金森宗和(茶道家)に造らせた「夕佳亭」などが建ち並ぶ。
金閣の2層と3層は、漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹の薄い板を何枚も重ねた柿葺で、上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰が輝いている。1層は寝殿造で法水院、2層は武家造で潮音洞と呼ばれている。3層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂と呼ばれ、3つの様式を調和させた室町時代の代表的な見事な建物と言える。昭和62年に、漆の塗替えや金箔の張替え、更に天井画と義満像の復元が行われている。
高井和正