HUMAN & Sweet

生活に潤いを、お菓子をたのしもう!

植村花菜

2008年04月01日 | ミュージック
植村花菜


干支はイノシシ。星座はやぎ座。誕生日が正月と近いため、損していると思っている。4人兄弟の末っ子で、9つ離れている姉、6つ違いの兄、4つ違いの姉がいる。
たくさんの習い事をしていたが、8歳のときに姉が習い事をやめるのと同時にほとんどやめてしまった。「ピアノだけは続けておけばよかった。」と残念がる。クラシックバレエは3歳から8歳。カラダが硬くて断念した。その他にガールスカウト、お絵かき、スイミングスクール(実は水中で目が開けられなかった)。
小5の頃将来吉本新喜劇に行き芸人を目指すか、それとも歌手を目指すかで本気で悩んでいたが、友達に「ウエ(植村花菜のこと)おもろないから無理やで。」と言われたことより歌手を目指すことになる。(いまでも、いつかは「コントをしたい」と公言してはばからない。 )
中高と女子高で、中1陸上部、中2中3は水泳部だった。
高校ではバトントワリング部兼チアリーディング部に入っていた。しかもキャプテンだった。
高校卒業後、音楽専門学校に進学。「ボーカルテクニックコース」に入る。絶対に歌手になるんだと意気込んでいたが、まわりの声を聞くと「歌手になれたらいいなあ」などであまりの温度差にがっかりして「学校辞めようかな」などと思っていたが、「『シンガーソングライターコース』にくれば」という友達の一言で2年生から「シンガーソングライターコース」に通い始めることを決める。「シンガーソングライターコース」に行くことに決めたが、授業でオリジナル曲が必須。昔から作詞作曲には興味をもっていたけど、ピアノでの曲づくりは一度挫折していた。初めて触れるギターだったら、もしかしてうまくいくんじゃないかと思ってギターでの作曲を始める。そしてできた曲が「いつも笑っていられるように」。
心斎橋に路上ライブをしに行ったときに、丸めがねのあやしそうなおじさんに「ストリートミュージシャン・グランプリに出ませんか?」と声をかけられた。大会当日、「カナちゃんが優勝した夢をみたよ。」と言われた。
初めて出場したオーディションでギターの弦が切れてしまった。スペアの弦を持っていなかったため急いで買いに行き、弦の交換の仕方がわからず、「あのうギターの弦ってどうやって交換するんですか?」と同じ出場者にきいて、ちゃっかり弦を交換してもらった。
ストリートミュージシャン・グランプリでグランプリ受賞の名前を呼ばれた時は「番号間違えてる」と思ったという。本当は副賞のDVDプレーヤーとマウンテンバイクが欲しかった。
マイク1本で歌う実力派シンガーになりたかったので、シンガーソングライターとしてやっていくかどうか悩んだ時期もあった。
フジテレビの『情報ライブ EZ!TV』で取り上げられたことがある。そのときのタイトルが「ブラブラ社員は会社を救う!!」。紹介された会社がキングレコードで、ブラブラ社員がプロデューサーというもの。このプロデューサーの仕事ぶりを追っていくドキュメンタリー仕立で、ライブ、ストリートミュージシャングランプリ、レコーディングなどのシーンが放送された。出演時間は2、3分だったもよう。
22歳のバレンタインデーは日頃お世話になっている事務所の方々に渡すためにチョコチップマフィンを作ることにした。(それまでのバレンタインデーは本命にしか渡していなかった。)なお、初めて作ったマフィンはレシピと分量を変えたため、中が半生だったが、そのまま渡してしまった。
植村花菜オフィシャルブログ

作詞、作曲のときの名前は「花菜」で、楽曲制作は、曲を先に作り、歌詞を後からパズルのピースのようにあてはめていく。普段から五線譜のはいったメモ帳を持ち歩いており、メロディが浮かんだら書き留めるようにしている。最近はICレコーダーを併用している。
初めて買ったCDはCHAGE and ASKAの「LOVE SONG」。
『紙ヒコーキ』のジャケット写真撮影で翌日筋肉痛になり、運動不足を実感したことから以来ジョギングをしていたが、レコーディングを理由にサボリ、「ジョギングは体に負担がかかる」と言われたことよりウォーキングを始めるが、今はしていないようだ。[2]
歌と共にその軽快な関西弁のトークが好評で、話し出したら止まらないほどお喋りだが、オチはない。ラジオのトークやライブのMCなどで、肝心なところで噛んでしまうことがある。
ラジオリスナーに「芸人と紙一重」と言われ「そこまで認めてもらえている」と喜ぶ。「芸人として認められたいの?」と突っ込まれると本気で悩んだ。
明るく、ポジティブな性格(本人談)、『自分について』というタイトルでカナログに記事がある。[3]
ダンスが得意。幼いころ、クラシックバレエ習っていて、高校生の時はバトントワリング部兼チアリーディング部。高校三年生のときに半年間ぐらいミュージカルスクールに通って、専門学校の時に半年間ぐらいジャズダンスを習っていた。ただ、体はかたいという。
晴れ女である。「台風をもどかす女」との異名が囁かれるほど。
階段が苦手。上り下りとも手すりがないとダメらしい。
地図がなくても一度行った場所は忘れない。方向感覚がイヌ並といわれている。
お湯で落ちるクリニークのマスカラを愛用している。
職業柄のどを大切にしている。夏でも冷たい飲み物は飲まないようにしている。(ただし猫舌である。)冬はマスクを欠かせない。龍角散ののど飴を愛用している。
編み物が得意である。
写真に撮られるのは基本的に苦手。
猫より大きなねずみの「カピバラ」に似ているといわれたことがある。「カピバラ」の顔マネをすることができる。
24歳を目前に控えた頃、たくあんが大根で出来ている事を初めて知ったという。
人生で初めてジェットコースターに乗ったとき最初の落下で気を失ってしまい気がついたときには終わっていた。その後小5のときにリベンジを果たした。ちなみにそのときの遊園地は「宝塚ファミリーランド」であった。
メジャーデビュー時に標準語で話すよう所属事務所からの指導があり、本人は頑張ったようだが矯正できず、所属事務所もいつしか矯正を諦めたようである。今でもMCはほとんど関西弁。
口癖はベタベタの関西弁で「ほんまですかー!?」。


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