快読日記

読書とともにある日々のはなし

「すみません、金利ってなんですか?」小林義崇

2020年08月20日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
8月20日(木)

「すみません、金利ってなんですか?」小林義崇(サンマーク出版 2020年)を読了。

聞き手はサンマーク出版の編集者・梅田さん。
この人の“お金のことをあまりにも知らなすぎ”っぷりは他人とは思えません。
「はじめに」を一読して、梅田さんと一緒ならわかるかも!とワクワクして読み進めたわたしですが、
かなりその期待には応えてもらえました。

以前に何かの本で、「人類の最高の発明は“複利”だ」というのを読み、
“例えば、100万円を年利15%で10年借りると、返済総額は4,040,000円”と書いてあるのを見て震え上がったんですが、
もう50歳になるのにとにかくお金のことはわからないし、難しいし、怖いし、面倒くさい。

でも、そんなわたしにもわかる説明をありがとう小林さん!

おかげで金利が上がったり下がったりする理由もだいたいわかった。
信金と信組の違いもわかった。
投資信託の意味も、源泉徴収のことも、国民年金と厚生年金のことも、年会費無料なのに年会費がかかるクレジットカードのカラクリも、相続の基本もだいたいわかりました。
梅田さんは、お金のことがわからないまま大人になってしまった28歳だそうですが、
わたしはその倍以上近く生きてきてもっとわかってなかったです。

……っていうか、
こういうことを、どうして学校で教えてくれなかったのかな。
今の子供たちは教わってるんでしょうか。だったらうらやましい。

「報道事変 なぜこの国では自由に質問できなくなったか」南 彰

2020年08月15日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
8月15日(土)

「報道事変 なぜこの国では自由に質問できなくなったか」南 彰(朝日新書 2019年)を読了。

東京新聞の望月記者に対する菅官房長官や報道室長の質問妨害(「望月封じ」)の詳細が
思った以上にえげつないです。
菅さんは片田珠美の言う「怖い凡人」かもしれません。
本当に怖いのはこういう人です。
そもそも、国民の信託を得て、そのお金を預かり、国の運営を任されているだけの人たちが、
こんなに無駄に威張ってるのはどんだけ勘違いしてるんでしょう、という話です。
説明しろ、言葉を尽くして説明しろ、カメラの向こうには国民がいて、こっち(国民)こそが主人なんだぞ。


政府の横暴ぶりもモヤモヤしますが、
今回この本のおかげでわかったのは、その「望月封じ」に同じマスコミ陣が加担していること。
っていうか、こちらの方がたちが悪い。
権力者にすり寄ってるうちに自分も権力者になったみたいな錯覚を起こしているナベツネの小さい版みたいな人たちが異分子を排除しようとするんですよ、こわっ。


そういえば、昔、学生のころの知り合いで、
解放の運動に取り組んでいた人が、
なんの機会だったか国会の赤絨毯の上を歩いてきたとうっとりした顔で自慢していたことを思い出しました。
権力って人をおかしくさせるんだなあ、くわばらくわばら、と逃げ出したことが懐かしい。

「父・金正日と私 金正男独占告白」五味洋治

2020年07月23日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
7月23日(木)

「父・金正日と私 金正男独占告白」五味洋治(文藝春秋 2012年)を読了。

筆者と金正男の出会いは2004年。
意外とスルッと始まったメールのやり取りは一時中断を経て復活し、
2011年1月には長時間インタビューが実現、
その後もメール交換は続き、2011年12月の金正日死去を受けて、年明けのメール、というあたりまでのやりとりが収められていています。

この前読んだ 「追跡 金正男暗殺」(乗京真知 朝日新聞取材班)によると、
後継者指名を受けた異母弟・金正恩が正男暗殺の命令を出した(らしい)のが2011年のことなので、
このころはもう、カウントダウンが始まっていたんですね。んー、切ない。


金正男のメールやインタビューの語りにはどれも好感が持てます。
北朝鮮の世襲には反対、社会主義理念にも反している、という主張や、
北朝鮮国民の豊かな生活を心から望み、「北朝鮮と日本の間の不信感が解消され、両国が近い隣国として過ごせたら良いですね」という発言からも、彼を指導者として担ぎ上げたい人たちがいたことに納得します。

でも、結末は違っていました。
正男が「対面したことがない」という異母弟に暗殺されるのは2017年です。
それを知った上で本書を読むことは、迷路をゴールから逆にたどるような経験になりました。


現在、金正恩の健康不安、もはやイエスマンしかいないと言われる彼の周辺、コロナ禍、深刻な経済難、核開発、諸外国との関係などなど、問題を山ほど抱える北朝鮮について、もしまだ金正男が生きていたら予想以上に率直なメールを読ませてもらえたかもしれません。
でも、そうした発言が平壌にも伝わり、命を縮めたわけです。

「追跡 金正男暗殺」乗京真知 朝日新聞取材班

2020年07月05日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
7月4日(土)

「追跡 金正男暗殺」(乗京真知 朝日新聞取材班 岩波書店 2020年)を読了。

充実した内容なのに薄い!(190ページもない)すごいお得感です。図書館本だけど。

1)2017年2月13日マレーシアの空港で起きた事件の詳細
2)金正男の1年前からその日まで
3)実行犯2人について
4)彼女らを使って工作員がやったこと
5)各国の攻防
6)裁判
7)残された謎について


金正男がマレーシアで殺害されたとき、警察が間違えて韓国の大使館に連絡しちゃったから明るみに出たこの暗殺事件。
もし、パスポートをしっかり確認して北朝鮮大使館に知らせていたら、すぐ遺体は引き取られ、今頃「金正男は消息不明」って話になってるんですよ。こわ~。

さらに、2人の実行犯を操る工作員は、分かっているだけでも8人いて、
「本番」の前に、彼女たちに何ヵ月もかけてベビーオイルなどで練習させる様子なんて、念入りを通り越して執拗。
映画みたいです。
この正男暗殺の命令は2011年に下され、少なくとも1回は失敗している(2012年)んだそうです。


殺害後、現場になったマレーシアと実行犯の出身国ベトナム・インドネシア、そして北朝鮮などが、
それぞれの政治的事情のなかで体面を保ちながらも落としどころを探して駆け引きをするわけですが、
そうなればなるほど、たまたま金家に生まれ、国を追われて、最後は弟に殺された一人の男性がただただ不憫、というかんじがします。
金正男があの日に空港に現れる、という情報がどこから漏れたかは判明していませんが、
いずれにしても彼が信用する誰かに裏切られて命を落としたことに変わりありません。

「男 山根 「無冠の帝王」半生記」山根明

2020年06月30日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
6月29日(月)

「男 山根「無冠の帝王」半生記」山根明(双葉社 2019年)を読了。

ネットの、日韓の戦後史として読むとおもしろい、みたいな感想に興味を持ちまして。

で、まず、ヤクザとの交際問題から、奈良判定・おもてなしリスト・グローブの販売権独占などについて、
その弁明は「まあ、そう言うだろうなあ」の域を出ないかんじでした。

残念なのは、この本を書いている“構成”の人たちに歴史や裏社会の知識があまりなさそうなこと。
あるいは、そういう視点でこの本を作っていないこと。
男山根は理路整然と話をするのは苦手なようなので、その独特の語り口はある程度残した上で、注や解説をつけてくれた方がよかったです。
聞き書きをする(おそらく)若い人特有のボキャブラリーや価値観がちょこちょこ顔を出し、「山根はそんなこと言わないよな」な表現が興ざめです。

それはともかく、幼少期の話はすごかったです。
両親は韓国の人ですが、お父さんは日本軍の憲兵の協力者で、日本の敗戦を機に妻子だけを韓国に帰します。
お母さんは子供たちを連れて日本に密入国をしますが失敗して、収容所から韓国へ強制帰国。
その後、お父さんとの再会を諦めきれない11歳の男山根は、たった1人で密入国するんです。
小学校もきちんと出ていません。
国籍すらない。
ここで、いい人との出会いがあれば「大地の子」なんですが、そうはいかない。

そこからボクシング連盟会長にまで上り詰める顛末にはかなり興味津々ですが、
肝心なところは甘くふわっと「みんなに信頼され、請われるままに就任」みたいに語られます。


田岡組長や天皇陛下(現上皇)とのエピソード(と並べるのもアレですが)もありました。
国体のボクシング天覧試合に同席して解説したあと、「陛下が個人的にお話をしたいとおっしゃっています」と呼ばれ、なんと生い立ちについて質問を受け、自分は日本で生まれたが…という話をしたんだそうです。
そこはなんだか胸が熱くなりました。

「悪童殿下 愛して怒って闘って 寛仁親王の波瀾万丈」工藤美代子

2020年06月06日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
6月6日(土)

筆者が若い頃から個人的な親交がある三笠宮寛仁親王について書いた「悪童殿下 愛して怒って闘って 寛仁親王の波瀾万丈」工藤美代子(幻冬舎 2013年)を読了。


帯には「ヒゲの殿下の真実に迫るノンフィクション・オマージュ」とありますが、読んでみると「オマージュ」くらいしかなかったです。
真実に迫ろうという心意気よりは遠慮が勝り、
ノンフィクションを名乗るわりには周辺取材による斬り込みや深掘りはしない。

ワイドショーに出てくる皇室・王室ウォッチャーばりの敬語で「敬意」は伝わりますが、
それは例えば昭和43年のイギリス留学時の受け入れ先の対応に、日本のプリンスには特別な配慮があってもいいのでは?と考えるような種類の「敬意」です。

こういうタイプの「敬意」こそ寛仁親王を苦しめた原因のひとつだと思うんだけどなあ。

子供のころから人を欺くことに抵抗がない様子の信子妃を「型にはまらないお嬢様」と表現する「配慮」や、
二人の女王を「優秀でチャーミング」と評しながらも一度も会ったことはない、というのもよくわかりません。
充分会える立場なのに不思議ですが、地雷を踏みたくないという「配慮」か、と勘ぐります。
(特に信子妃に関しては配慮がありすぎて何が言いたいのかよくわからなかった。)

親王本人に何度も取材したからこそ聞けた発言は収穫だと思いました。
それは例えば、カミラ夫人を選んだチャールズ皇太子への共感や、信子妃の話題はNG・ツーショット写真を見せることもダメといった発言。


わたしが三笠宮寛仁親王関連の本を読むのは、大げさな言い方かもしれないけど“人間と運命”みたいなことを考えさせられるからです。
いや、そもそもノンフィクションの醍醐味・読む理由ってそこなんじゃないかと。
でも、この本は全体を覆う「配慮」のせいで、そこら辺がよく見えませんでした。

「サザエさんと長谷川町子」工藤美代子

2020年05月28日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
5月28日(木)

「サザエさんと長谷川町子」工藤美代子(幻冬舎新書)を読了。

結論からいうと、いまいちもの足りませんでした。

主に長谷川町子の自伝的作品や雑誌などの記事と、妹・洋子の著書を付き合わせて書かれていて、
あとは長谷川家についても調べてあるけど、
ノンフィクションというより「資料を読んでまとめたレポート」みたいでした。

「大阪市在住の建築家」という人のちょっと驚く証言もありますが、裏も取らずすんなり受け入れているのも気になります。

晩年、鞠子・町子と洋子が決別してしまう原因についても「当時の長谷川家に近かった人」ひとりの、ふわっとした話しか出てこない。

町子や洋子が“書いたこと”と“事実”との間の膜みたいなものをしっかり剥がして中を覗くような作業はほとんど為されていない、というのが感想です。


そもそも、筆者はなぜ長谷川町子について書こうとしたんでしょうか。
読めば読むほど、筆者は長谷川町子にそんなに愛着もなく、関心もなさそうに感じられます。

そういえば、この人が笹川良一を取り上げた「悪名の棺」も、同じ匂いがして読み進められませんでした。

で、今、懲りずに同じ著書が三笠宮寛仁親王について書いた「悪童殿下」を読みはじめています。
こちらはかなり昔から個人的な交流があったようで、思い入れたっぷりの「まえがき」で始まっているので、ちょっと期待できそうです。

「教養としてのヤクザ」溝口敦 鈴木智彦

2020年05月19日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
5月19日(火)

読みかけだった「教養としてのヤクザ」溝口敦 鈴木智彦(小学館新書)を読了。

ヤクザを知りたい!という人が読むには、内容(情報?)が少ない印象です。

そこは二人のそれぞれの著作にあたった方がいい。

じゃあ、この本はなんなのかというと、
“この道に生きるオヤジと息子の語らい”。

オヤジは息子を認めつつ、いやいや、それにはこういう経緯があるんだよって話になるし、
息子はオヤジを立てながらも、今はこうなんだよオヤジ、っていうかんじ。
両者とも現役なので、あの事件はどうなった?みたいなやりとりもありますが、
それは商売のタネですから答えは薄いです。

父と息子の会話には、なかなかの緊張感がありますね。

わたしは二人の著書の愛読者ですが、この対談読んでるうちに
「っていうか、この人たちがこんなに裏社会に惹き付けられてる理由について、当人はどう自覚してるんだろう」という疑問が湧きました。

もし第二弾があるなら、溝口・鈴木それぞれが、なぜ裏社会を書き続けるのかを語ってほしいです。

「日本の聖域 シークレット」「選択」編集部 編

2020年05月01日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
5月1日(金)

「日本の聖域」の最新、「日本の聖域 シークレット」「選択」編集部 編(新潮文庫)を読了。

今、多くの国民がこんなに苦しんでいるのに政治が助けてくれない理由がよくわかった気がします。

そもそも、そういう仕組みになっていないんだということが。

「戦没者遺骨収集事業」の項では国がいかに人の心を踏みにじったか、
「予備自衛官」「診療報酬支払基金」では彼らには国民を守る気もないしそのシステムも破綻している(もしくはない)ことが。
「首相補佐官・和泉洋人」「安部首相「私邸」」「外務省「在外公館」」では、ダニのように血税を吸い上げる日本の貴族たちの行状が。

たとえば戦後の復興や、度重なる災害からいかに立ち直るかという話になると、
元来日本には「政府」や「国家」ではない「お上」という言葉があって、
それはなんだか我々庶民にはうかがい知れぬもの、
お上はお上、俺たちは俺たち、という感覚があったと思うんです。
そういう能天気さやしぶとさが日本人の強さに直結していたはずですが、
このコロナ禍への日本政府の対応で、そういう気力は吸い取られ、もはや虫の息です。

この「日本の聖域」シリーズのような本で思い知らされるのは、
何かことが起きたときに、こうなることはとっくにわかっていた。
とっくに警告は出ていたんだと。
われわれもそれを見ないふりでやりすごしていたんだということ。

というわけで、絶望の連休スタートとなったのでした。

「日本の聖域」「選択」編集部

2020年03月16日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
3月15日(日)

雑誌「選択」の記事をまとめた「日本の聖域」(新潮文庫)を読んだ。

いろんな組織でいろんな人たちが知恵をしぼってインチキをしています!とか、
既得権益にしがみついて機能不全に陥ってます!という本。
テーマは各方面にわたり、深く追及!というよりは問題提起。

取り上げられているのは、原子力安全・保安院、透析ビジネス、児童相談所、独立行政法人、裁判所、厚労省の医系技官、日本相撲協会、交通安全協会などなど。

もう8年も前に出た本だけど、状況はあまり変わってないか、悪化しているかんじです。

今騒いでる森友学園の文書改竄もそうですが、
仕事において日常的にインチキやごまかしをしている(させている)人たちって、幸せなのかなあ、
それで経済的に多少豊かな生活を送れたとしても、けっこうストレスフルなしんどい毎日なんではないかな、と思いました。
自分の精神を健やかに保つためにもズルいことはしない方がいい。

まあ、そんな単純な話じゃないんだろうけどさ。

読了『「鬼畜」の家』石井光太

2016年10月17日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
10月15日(土)

親が虐待の末に子供を殺してしまうニュースを見るたびに、どんなふうに生まれ、どう育てられたら我が子を殺せる人間になるのか、と思う。
『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』(石井光太/新潮社)を読了した。
帯の「虐待する親たちを3代までさかのぼり、その生育歴にも至る」に関しては、少しだけ期待はずれか。
3つの事件をたった1冊に収めているくらいだから、そこまでは無理か。
でも、そこを除けば、ものすごく読み応えがあった。


ひとつめの事件(厚木市幼児餓死白骨化事件)の加害者の親戚にあたる女性の「この家で大きな問題が起こるのは、時間の問題だって思ってました」(81p)という証言もあるように、“殺す親”たちの生育歴や生育環境には共通点が多く、“起こるべくして起きた”感はぬぐえない。
何かがごっそり抜けている人間?
(共通点と言えば、揃いも揃ってみんな“アトピー”で“ディズニー好き”だ。なぜだ。)

じゃあ、同じような環境で育てばみんな子供を虐待するのか、殺すのか、といえばもちろん否!なので、いろんな要素が組み合わさり重なった結果がこれかと思うと、ページを繰る手も重くなる。

2つめの事件、小さい子供たちが寝ている隣で出産して、その場で処理する女の姿はおぞましいが、うっかり「タフだなー」と感心してしまった。
彼女も“異様なほどの受動的人間”だ。

3つめ、表紙写真に登場するウサギ用ケージ(実際使われたものより大きいそうだ)に3歳の男の子を閉じ込め、タオルで口を縛って窒息死させた事件。
長時間かけて窒息に至る「遷延性窒息」という言葉を初めて知った。
どんなに苦しかっただろう。
その加害者夫婦の妻(筆者が彼女の詐病に気づくくだりは、どのホラーよりも怖い)の母親への取材が何とも言えずすごかった。
尼崎の角田美代子の本を読んだときにも思ったけど、「モンスター」って確かにこの世に実在するなあ。
そういう人物に育てられ(“育て”たかどうかはともかく)、「極めて強い受動」(39p)性を植え付けられた子供が、「虐待する親」になる道はそんなに遠くない。


エピローグで、望まない妊娠などの理由で子供を手放したい母親と養親(里親)をつなぎ、特別養子縁組を斡旋するNPOを取材している。
もしここに来なかったら加害者になっていたかも、と思わせる女性も登場する。

読書中『昭和芸人 七人の最期』笹山敬輔

2016年10月11日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
10月10日(月)

笹山敬輔『昭和芸人 七人の最期』(文春文庫)を半分くらい読む。
いわゆる“お笑い”芸人の「最期」に着目した本で、エノケン・ロッパ・エンタツなどの7人。
どれも筆者(1979生)にとってはリアルタイムで見たことがない人たちだ(わたしにとっても)。

こういう「芸人本」はこれまでもたくさん出ている。
小林信彦や高田文夫、吉川潮などなど。
みんな生で舞台を見たりテレビやラジオでその芸に触れたり、実際に交流があった人もいる。
そういう中で、79年生まれの人に何が書けるのか、あるいは何が書けないのか、それを知りたかった。

今のところの印象を言うと、生真面目によく調べて書き上げた卒論みたい。
そこに筆者の含蓄や人生観みたいなものが滲み出てくるまでにはまだ少しかかりそうな雰囲気だ。
続きを読む。


夜、図書館で借りた『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』(石井光太/新潮社)を読み始める。

わずか3歳の子供をアパートの室内に監禁・放置し、2年後に死亡。白骨化した遺体がその7年後に発見された事件の「犯人」である父親の「そもそも子供が死ぬとかってよくある話なのに、なんで俺だけこんなニュースになるんすか」という発言にビビり、胸がザワザワして怖くなったので寝る。

『物乞う仏陀』の人だから、ただの実録モノではないことを期待。

読了『脳が壊れた』鈴木大介

2016年09月26日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
9月21日(水)

図書館で『脳が壊れた』(鈴木大介/新潮新書)を見つけ、あ!『ヤクザと原発』の人だ!と手に取り、表紙裏に貼られた帯を見て、脳梗塞になったのか!と驚いて借り出し、帰宅してから人違いに気づいた。
『ヤクザ』は「鈴木智彦」だった。

それでもこれも何かの縁、と読み始めると、これがただの脳梗塞体験記ではなくて、たった二晩で読み終えた。わたしにしては珍しいことだ。

まず、後遺症の症状が手に取るようにわかる。
こういう闘病記って、どうよくなったかはせっせと書いても、症状をナマの感覚で伝えることは少ない。
目つきが悪くなってしまうのはこういうわけだ、小銭を数えることができない感覚はこうだ、感情をうまくコントロールできないのはこんなかんじだ、と比喩もうまく使いながら上手に説明してくれる。

そして、その「障害」が、実は筆者がそれまで取材してきたいわゆる「底辺に生きる人たち」の多くに見られる症状で、「ああ、彼らが苦しんでたのはこれか」と気づくあたりがこの作品のキモだと思う。

最後に、病気を引き起こす原因が自分にあった、と振り返る場面、「運命はその人の性格の中にある」という言葉を思い出した。

読了『日本会議の正体』青木理

2016年09月24日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
8月15日(月)

『日本会議の正体』(青木理/平凡社新書)を読み終えた。
くしくも終戦記念日、ちょっとゾッとする。

そのメンバーの豪華さと、「教義」の手強さ、何よりその粘り強さ。
ISでも公明党でもそうだが、信仰心を根底に持っている集団って、腹のくくり方が違う。
ちょっとやそっとじゃ揺るがないんですね。思わず敬語だ。
いや、言い換えれば、揺るぐものの方がマトモなのかもしれない、人間らしいっていうか。
さらに怖いのは、今の「日本会議」が、その思想母体である生長の家と完全に絶縁していること。
イスラム教とは似て非なるものになっちゃってるIS、お寺と喧嘩して御本尊不在で、すでに宗教団体の体をなしていないのに宗教法人の座に居座る創価学会とそっくり、と言ったら怒られますか、誰に?
とにかく、糸の切れた凧状態で、暴走しない方が不自然、っていうくらいの危うさ。

何より、彼ら(の中核の人たち)が正義や善意を1ミリも疑わずにいること。
正しい意味の「確信犯」。

さらにイヤなのは、その主張の半分くらいを「なるほど〜」とか思っちゃう自分だ。

読書中『日本会議の正体』青木理

2016年07月30日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
7月29日(金)

先日の参院選のときの池上無双でこの集団を知り、早速『日本会議の正体』(青木理/平凡社新書)を購入。

わたしみたいな「初めて聞いた〜! 何それ?」という人は少なくないはずだ。
冒頭、「国内では知られていないけど、海外ではこんな風に紹介されてるよ」という各国の記事が並んでいて、へえ〜!とうなりながら読み始める。
櫻井よしこもメンバーなのか〜。


夜、『昭和の歌藝人 三波春夫』(三波美夕紀/さくら舎)の続きを読んで就寝。