快読日記

日々の読書記録

「木になった亜沙」今村夏子/「一億総ツッコミ時代」マキタスポーツ

2020年04月18日 | 日本の小説
4月18日(土)

ネット上の匿名性のなかで他人を過剰に攻撃し、貶め、つるし上げる「一億総ツッコミ社会」体質が我々の精神を膠着させ、閉塞感のもとになってる、
という指摘から、
じゃあ、どうするか、の提案が、
「さあ、ボケよう」なのです。
ボケ続けろ!ボケ倒せ!というマキタスポーツの提言に胸を打たれます。

一方で、小説作品って基本「ツッコミ」ですよね。
いろんな人間を描きながら、そこに照明を当て、読者に見せているのは「作者」なんだから。
たとえばおろかな人物を描写しながら、
「作者はこういう人間をおろかだと認識し、伝えているんですよ」ってことが伝わる。

「一億総ツッコミ時代」マキタスポーツ(講談社文庫)を読みながら、
思い出したのは今村夏子です。
そう、今村作品は作品丸ごと「さあ、ボケよう」を実践しているのです。
「こちらあみ子」から「あひる」「星の子」あたりまで、ツッコミ要素がほぼゼロだった気がします。

(「むらさきのスカートの女」のラストで「あ、もしかして今村夏子もつっこんじゃうのか!!路線変更か!!」とハラハラしましたが、今もって微妙な感じ。
この「木になった亜沙」(文芸春秋)読了後も、結論は先送りにしたいかんじです。)

新作「木になった亜沙」には3つの短編が収まっていますが
特に最後の「ある夜の思い出」のボケっぷりにはときめきます。
作中に賢しら顔で出てこない稀有な作家です。

結論。
このマキタスポーツ本は、今村夏子作品解読の副読本である!とぶち上げておきたい、というわけです。