野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 2022年4月23日 旧正丸峠越えと処花沢左岸尾根

2022年04月29日 | 奥武蔵へようこそ
(旧正丸峠)

注意!処花沢左岸尾根は道標のないバリエーションルートです。バリエーションルートを歩いた経験がない人の入山は控えてください。

山歩きを始めた頃、峠道は尾根に上がるための手段と考えていた。尾根道は一度に多くの山を歩くことができて、来し方を振り返った際に遠くまで来たことが実感でき、峠道より旅情感があると思っていた。しかし奥武蔵の主要ピークを歩き終わり、残ったルートを歩くようになると峠を越えることに旅情を感じるようになった。山をレジャーとして歩く時代に入る前は集落同士を結ぶ道として捉えられており、尾根道よりも歴史が古いことが多い。そして歴史が古い故に石仏や道標なども多く、それが一層旅情感を醸し出している。今回は奥武蔵の中でも歴史を感じさせる旧正丸峠を飯能から横瀬へ越えることにした。ただ峠越えだけでは短すぎるので、横瀬側へ下った後は処花沢左岸尾根を使って二子山に寄る予定だ。

旧正丸峠越え
朝7時前に正丸駅に着く。小手指駅からでも1時間かかり、かなり早い時間の電車に乗らなければ着くことができない時間にもかかわらず登山者の姿をそれなりに見かける。今日は25℃を越える気温が予想されており、朝早い割には身が引き締まるような寒さは感じない。歩き慣れた国道を秩父側へ向かって歩き出す。駅前の広場を出て10分とかからずに旧正丸峠の入口に差し掛かる。15年以上前に初めて訪れた時はこの分岐に気付かず、現在の正丸峠に続く車道を延々と登ったのも良い思い出である。当時は道標がわかり難かったのもあるが、それ以上に確りと地図を確認する習慣がなかったのも道を間違えた原因であった。

(旧正丸峠飯能側の入口)

分岐を入ると集落内をクネクネと曲がる細い舗装路が延びる。集落内にはクルマの停められた民家が多く、未だに多くの人が住んでいることが窺える。奥武蔵の峠には妻坂峠や鳥首峠のように山中の集落が廃れてしまった所も多くあるが、旧正丸峠は麓の集落がまだ現役でそれもまた旅情感を高めてくれる。綺麗に刈られた耕作前の畑を過ぎると杉林の中の山道に変わる。道の傾斜が一様に緩いのも旧正丸峠の良さだ。山道に入ってから3分ほどで奥武蔵登山詳細図(吉備人出版)に書かれた石仏に出会う。台座になっている自然石とともに石仏もすっかり苔生していて、年代の古さを感じさせる。

(集落内の道を行く)


(杉林の中を進む 傾斜は緩やか)


(苔生した石仏)

道は沢に寄り過ぎない位置を進み、時に迂回して高巻く所もある。風化して薄汚れた落石注意の看板がある辺りには水の流れ落ちる大きな岩場がある。以前からこれほど水が流れていたか記憶にない。数日前まで雨が降っていた影響もあるのだろう。道を補強するために造られた古い石垣を眺めつつ歩いていくと右手に大岩、左手に巨木が見えてくる。もう旧正丸峠道の記事で何度も紹介している見所の一つで、登山詳細図では山ノ神・岩と書かれている辺りだ。左手の巨木は沢沿いの大岩の上に立ち、新緑の美しい葉を沢山付けている。あまり落葉広葉樹の多い峠道ではないのでよく目立つ。右側の直立する大岩にも木が生えているように見えるのだが、峠道からはよくわからない。岩の側の斜面を上がり、裏側へ回ると左手の巨木と同じく岩の上に巻き付くように根を張り巡らせて木が立っている。自然の驚異を垣間見る、そんな光景である。

(落石注意看板の先にある岩場)


(石垣で補強された道)


(お馴染みの大岩と巨木)


(ここは新緑・紅葉の時期に訪れたい)


(巨木の根元にはお稲荷様が)


(巨木から見た大岩)


(裏に回ると岩の上に木が生えているのがわかる)

大岩を過ぎると道は少し傾斜が増す。仮設橋によって何度か峠ノ沢を渡り、尾根をトラバースして一本北の沢に入ると九十九折を経て舗装路に出る。古い地形図と現在の地理院地図を見比べるとほとんど道が付け変わっておらず、それだけ確りと考えて造られた道だということは実際に歩いてみるとよくわかる。巨大な石垣が築かれた舗装路を上がり、沢の流れるヘアピンカーブから再び山道に入る。地理院地図にも古い地形図にも描かれているように急斜面の九十九折が続く。ただ道の傾斜自体は緩く、山慣れた人には歩きやすい。九十九折が終わると大グミと松茸山を繋ぐ尾根が右手に見えてくる。古い地形図によると刈場坂峠へ続く尾根道はかつてここから延びていたようだ。トラバース道とは思えないような広く緩やかな道から細道へと変わると小尾根を乗り越して峠のある鞍部が見えてくる。暗い杉林を抜けて旧正丸峠の頂上に着くと横瀬側は明るい雑木林となっており、その明るさに人心地がつく。

(峠ノ沢 仮設橋が多い)


(舗装路に咲く花)


(山吹)


(九十九折が終わると緩やかなトラバース道となる 古い地形図だとこの辺りから刈場坂峠へ尾根道が延びていた)


(旧正丸峠 秩父側を望む)


(こちらは飯能側 暗い杉林が続いている)


(刈場坂峠への尾根道)


(現在の正丸峠への尾根道 木段が流される所が増えてきた)

休憩を少し取って横瀬側へと下る。現在旧正丸峠は秩父郡横瀬町と飯能市との境となっているが、明治期に町村制が施行された時は峠の両側が秩父郡(飯能市は吾野村)とされていた。ただ30年後には吾野村が入間郡に変更されたことを考えると地元の人たちにとっても旧正丸峠を越えた先が秩父という認識があったのではないだろうか。横瀬側に入ると新緑美しい雑木林が広がる。飯能側との違いは植生だけでなく、道の付け方にも違いがあり、こちら側のほうが傾斜の急な所を九十九折に下っていくことが多い。割と峠に近い所から沢水が流れ出しているせいか、踏み跡が不明瞭な所もある。道標を過ぎると道は無く沢の中を下っていく。渡渉し左岸を行くようになると道が現れ、急ながらしばらくは安心して歩ける。そう思うのも束の間、踏み幅の細いトラバースが現れる。大した距離ではないが、急傾斜の斜面を斜めに下るのは容易ではない。地面が滑りやすい時に下りに使うのは避けたいところだ。

(まずは九十九折を下る 新緑が美しい)


(傾斜が急なこともあってか道が不明瞭な所もある)


(道標 道中だと此処くらいだろうか)


(危険なトラバース道 雨の日ここを下るのは避けたい)

危険なトラバースを過ぎると等間隔に打ち込まれた杭が見えてくる。金具が付いているところを見るとかつてロープ柵として使われていたのだろう。途中道が二手に分かれ、右が近道だが、のんびり下れる左の道を行く。眼下に砂防ダムが望める辺りで合流し、ジグザグに下ると林道南沢線に下り立つ。傍らには苔生したベンチがあり、ここ数日降った雨でしっとりと濡れている。横瀬側の峠道を利用する人はあまり多くないのだろう。林道はしばらく砂利道で古い峠道を想像しているとちょっと苛っとさせられるが、初花地区まではそう長い区間ではない。金網で組まれた石積を過ぎると舗装路となる。柏木沢の私道を分けると追分に着く。旧正丸峠道で横瀬側の一番の見所はこの追分に立つミツデカエデの古木と道標だろう。ミツデカエデのほうは冬枯れの時期だと背の高い杉に囲まれて貧相な感じもするのだが、葉を付けた時期は写真に納まらないほどに立派な姿を見せてくれる。石造りの道標は多少苔生しているものの、彫られた文字が確り読めるよう手入れされている。南沢に架けられた南沢橋を渡って2軒の民家の間を抜けると県道53号線、通称名栗街道に出る。ここで旧正丸峠越えは終了。ゆっくり歩いて2時間弱と行程としては短いが、古くからの峠道の良さを感じられて初心者だけでなく山慣れた人にも薦められるルートであると思う。

(ロープ柵の跡を進む 道が分かれているがどちらを下りてもよい)


(砂防ダムが見えてくれば林道は近い)


(林道脇のベンチ すっかり苔生している)


(木製の砂防ダム)


(追分のミツデカエデ)


(根元に道標が置かれているが字は読みづらい)


(葉が茂っていると存在感がある)


(南沢橋から南沢を眺める 釣り人がいた)


(県道53号線に出た 画面奥に向かうと芦ヶ久保方面へ下れる)

処花沢左岸尾根を行く
無事旧正丸峠越えを終えたので、今度は処花沢左岸尾根に取り掛かる。登山詳細図によると県道を芦ヶ久保駅へ向かって下るとすぐに地蔵があり、そこから取り付くとのこと。しかし古い地形図を見ると甲仁田山へ向かうNTT管理道路から赤久那の西にある鞍部へと登るのがかつてのルートだったようだ。時間はまだ9時前と早いので、一旦この古い道を探ってみたい。県道を名栗側へと向かうとアンテナ施設の立つ甲仁田山の山頂部が見える。新緑の雑木林に心惹かれるものの、急坂の連続する尾根を思い出すと安易には取り付きたくない山ではある。県道からNTTの管理道路に入る。処花沢が側を流れる道路は崩れている所も無く歩きやすい。このまま延々と舗装路歩きかと思っているとゲートが見えてくる。近寄ってゲートに掛けられた看板を読んでみると「無許可での、関係者以外の立ち入りを禁止」するとある。また「立ち入りたい場合は、下記まで連絡」しろとのこと。これは連絡を入れれば立入を認めると読めるので、許可無く立ち入るのは他の登山者のためにも止めておきたい。そこで道を戻って登山詳細図に描かれた道を登ることにした。

(正面に見えるのは甲仁田山 画像ではわかりにくいがアンテナ施設が見える)


(NTT管理道路 良い道なんだけどなぁ…)


(ゲート 歩きなら横を通っていけそうだけど… 甲仁田山からのエスケープとして使う分には怒られないと思う)


(処花沢左岸尾根周辺図 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに文字等を追記して掲載)

旧正丸峠の入口まで戻って更に芦ヶ久保駅へ向かって下ろうとするとすぐに地蔵が立っているのが目に入る。問題は前に石段があるが地蔵まで道が続いているわけではないということだ。石段はかつて建物(現在でも地理院地図に独立建物として描かれている)が立っていたのであろう敷地跡に入るためのもので、地蔵は隣地の所有者が管理しているのかもしれない。ガイド地図へ公式に載せてよいものなのか若干の疑問はあるものの、ここから取り付けばよいようだ。地蔵から先尾根へ上がる踏み跡は全くないのだが、左手に藪の無い斜面が上っているので、これを使って尾根へ上がることにする。

(処花沢左岸尾根の目印である地蔵 なおすぐ隣は農地で家の人が出てきていたのでちょっとビクビクしていた)


(敷地の跡地裏にはこんな具合に歩きやすい坂がある)

尾根に上がるとわかりやすいものの急斜面の尾根が続いている。薄く踏み跡っぽいものもあるが、灌木の藪が煩くて歩きやすそうな所を適当に登っていくのが正解のようだ。急斜面の尾根を右往左往しながら10分ほど登るとようやく傾斜が緩み、細い尾根に出る。すぐにアセビの枝に邪魔されるものの、以降は藪の無いすっきりとした稜線が続く。奥武蔵なので杉檜が優勢な地域ではあるが、新緑の雑木林も結構多い。緩やかな尾根を順調に進んでいくと前方右手に尾根が見える。あれが荻ノ沢ノ頭に続く尾根だろうか。

(尾根に出た かなりの急斜面)


(傾斜が緩むまでは度々藪に邪魔される 踏み跡は有るような無いような感じで不明瞭)


(急傾斜は続くが、上部は藪も薄目)


(ようやく傾斜が緩んできた)


(一旦稜線に出てしまえば緩やかなアップダウンが続く)


(荻ノ沢ノ頭へと続く尾根が見える所がある)

檜の幼木が藪化した小ピークを越えると急斜面の登りとなる。特に道は付けられていないが、皆歩きやすい所を通るせいか何となく踏み跡はある。やがて頭上に岩が見えてくる。これが登山詳細図に書かれた岩場らしい。岩場より先はいくらか傾斜が緩み、登り上げた名無しの小ピークはアセビの藪に覆われていた。この藪ピークで稜線は右に折れ曲がるが、尾根が明瞭なので迷うことはない。次第に広くなる尾根を登り返すと荻ノ沢ノ頭(712)に着く。「画廊天地人」のyasuhiroさんが山頂プレートでも残してくれているかなと期待したが、奥武蔵の尾根にしては珍しく標識の類はおろか山名を書いたテープもない。一応スマホの地図ロイドで現在地を確認するが、やはりここが荻ノ沢ノ頭で間違いない。となるとこの先兵の沢分岐までは標識の類は全くなく、現在地確認を頻繁にする必要が出てきそうだ。

(檜の幼木が藪化した小ピーク)


(登山詳細図にも書かれている岩場 この上更に坂は続く)


(名無しのピーク ここで尾根は右に曲がる)


(荻ノ沢ノ頭が見えてきた)


(荻ノ沢ノ頭 頂上の様子 標識類が全くない)

荻ノ沢ノ頭より先はフラットな尾根が続く。途中で稜線は左に曲がるので上手く尾根に乗れるか不安に思っていたのだが、広い尾根が左に曲がるのが見えて一安心。北側の新緑美しい雑木林を眺めつつ下り、鞍部を登り返すと名無しの小ピークに着く。稜線はここで少し右に曲がっており、地形図・コンパスが無いと方向がわからなくなりそうだ。次の赤久那(676)のピークは緩やかな下り登りで山頂という雰囲気ではない。唯一南に尾根が派生していることが山頂らしさをアピールしている(尾根が分かれる所はピークであるという話についてはこちらを参照)。赤久那から緩く下り、鞍部へとやって来る。古い地形図ではNTT管理道路からこの鞍部へと道が描かれているのだが、南側斜面を覗くと急斜面でとても上り下りは出来そうにない。赤久那のピークから南へ尾根が派生していたことを考えると、鞍部に通ずる谷から南尾根に乗る形で稜線に出ていたのではないだろうか。

(荻ノ沢ノ頭から北西に延びる尾根 広くて歩きやすい)


(この林を抜けると道は左に曲がる)


(林を抜けた先は右手が雑木林となっている 尾根が広いのは防火帯になっているせいだろうか)


(名無しの小ピーク 尾根が曲がるので注意が必要 なお白テープの目印有り)


(赤久那の頂上 荻ノ沢ノ頭と同じく標識類は無く、尾根の一部といった感じ)


(古い地形図にはここを下ってNTTの管理道路に出ていた 現在道らしきものは全くない)

鞍部から処花沢左岸尾根最後のピークである大平を目指す。途中顔が削られた古い石仏がある。古い地形図には赤久那西の鞍部から兵の沢を経て芦ヶ久保駅周辺の集落へ下る道や二子山・武川岳を経て妻坂峠へ下る道が描かれており、この石仏も生活道として使われていた名残なのだろう。大平のピーク手前のフラットな尾根に出る辺りは北側が開けていて、丸山から大棚山にかけての伸びやかな尾根が見渡せる。のんびり休憩を取りたいくらいの景色だが、尾根が細くてあまり落ち着けないのが残念だ。最後の急斜面を登りきると大平(770)の東西にやや長い山頂に出る。ここも何も無いと思っていたのだが、山頂の西側に岩菅山と書かれた木製プレートが立木に括り付けられていた。山頂の西側は兵の沢右岸尾根からの道も上ってきており、バリエーションルートを繋ぐ贅沢なコース取りも可能だ。

(大平へ向かって 雑木林の尾根が増えてきた)


(顔の無い石仏 かつて生活道のあった名残だろうか)


(見晴らしの良い展望地に出る)


(展望地からの眺め 丸山から西に延びる尾根上は雑木林が多いのがわかる)


(急坂を登りきると大平に出る 岩菅山と書かれたプレート有り)


(大平の頂上 右手に兵の沢右岸尾根からの道が合流している)

二子山と兵の沢
未踏だった処花沢左岸尾根を歩き終えたことで今日の行程で最大の目的は果たされた。兵の沢を経て帰ってしまってもよいのだが、1時間もあれば二子山を往復できる。今日はあまり見晴らしの良い所を歩いていないので、できれば雄岳の岩場からの眺めを楽しみたい。緩やかなアップダウンを経て兵の沢分岐に着く。しばらくはまだ緩やかな尾根が続く。この辺りは雑木林が多く新緑が楽しめるのだが、それは下山時に取っておくとしよう。少しずつ傾斜を増し、とうとう雌岳直下の急斜面に差し掛かる。トラロープが張り巡らされた落葉樹の斜面は道が崩れている所が多く、上りに採っても歩きにくい。それでも10分ほど我慢して登ると雌岳の山頂東側斜面に出る。このまま斜面を巻いて雄岳へも行けるが一先ず二子山雌岳頂上(870)に出る。東側は檜の植林、西側は落葉樹林と綺麗に分かれた山頂で、東側にいれば意外に明るい。

(兵の沢分岐)


(檜の林がある辺りにマムシグサが生えていた 毒草なので要注意)


(二子山雌岳の頂上 たいていはこのアングルで暗く映りがちだが、東側は明るい)

山頂から南の尾根を下ると大きな岩場の上に出る。右から岩場を直接下りることもできるが、左に巻くと巻き道に合流できる。巻き道へ出るとボクより年上らしき女性に「変な所から出てきたわね~」と声を掛けられる。女性は右の岩場を下りてきたと言い、巻き道に出られることは知らなかったという。まあボクも最初に訪れた時は岩場を直登したので気付きにくい所ではある。雄岳の登りもやや急だが雌岳北斜面ほどの厳しさはない。二子山雄岳の頂上は南北に広く、檜の植林に覆われている。確か西側に見晴らしの良い所があったはずと探してみると南東側に武甲山を望む展望スペースがある。ただかつてほどの広い眺めは得られなくなってしまったようだ。探し方が悪かったのかもしれないが、なあにもう一つ見晴らしの良い所はある。

(雄岳への道 ここは特段難しい所はない)


(二子山雄岳の頂上 三角点有り)


(武甲山が望める 10年前に訪れた時はもっと広い展望が得られた記憶がある)

雄岳頂上の南端には甲仁田山への尾根が延びているのだが、その近くに見晴らしの良い岩場がある。ただ岩場は山頂から少し下った所にあるので、気付かない人も結構いるようだ(なお登山詳細図には「岩場 展望」としっかり書いてある)。岩場を見下ろす位置にある丸太にザックを置き、岩場からの景色を楽しむ。まず目につくのは大きく削られた武甲山でそこから尾根伝いに小さな突起がギザギザとした小持山、平たい大持山がある。手前の尾根は武川岳へと続く稜線で、大持山の前でポコッと突き出すのが焼山。尾根伝いに行って最初に大きく突き出すのが蔦岩山だ。蔦岩山の左奥の平たい山は武川岳で、武川岳と大持山の間にある妻坂峠の深い鞍部はちょうど蔦岩山に隠されてしまっている。武川岳から左に延びる尾根が県道53号線(名栗街道)で大きく落ち込み、そこから双耳峰のように盛り上がっているのが古御岳と伊豆ヶ岳だ。岩場は段状になっていて、中段から眺めると周囲の樹木がいくらか邪魔をする。一番上に上がればすっきりとした眺めが得られるが、最近バランス感覚がだいぶ衰えてきたので無理はしない。

(この丸太のベンチで休憩 右下に展望が得られる岩場がある)


(見晴らしの良い岩場)


(岩場からの眺め)

雄岳頂上で十分休憩を取れたので、後は兵の沢を使って下山するだけだ。往路を戻り、巻き道で雌岳を巻く。問題は雌岳北側の急斜面だ。ロープが張られているものの、道があちこち崩れていて時折転んでしまう。靴底を新しくしても急斜面ではグリップ力が当てにならないことがわかる。ここを下り切ればそれほど危険な所は無い。雑木林の新緑を楽しみつつ兵の沢分岐まで下り、兵の沢へ向かって九十九折に下っていく。二子山に着いてからは多くの登山者と出会ったが、11時を過ぎた今でも登って来る人は多い。武川岳まで縦走するなら別として二子山を巡るだけなら遅い時間に出発しても問題はないのだろう。しかし奥武蔵の一般ルートとしては険しい部類に入る山なので、出来るだけ早発ちが望ましい。

(雌岳頂上と巻き道との分岐 左手に見える道を上がれば頂上に出る)


(ロープのある急斜面の下り ここで何度かコケて膝を怪我してしまった)




(雑木林の尾根 二子山から武川岳の稜線ルートは落葉樹が多い)


(九十九折を下る この辺でバテているようだと山頂まで行くのはかなり厳しい)


(兵の沢上部も雑木林が美しい)

九十九折が終わり、兵の沢の谷を高巻きつつ下っていく。上部は落葉樹林で新緑が美しい。正午が近く日の光が十分に当たって薄緑が谷間の薄暗さの中で良く映える。落葉樹林が終わり、杉林を行くようになると水場が現れる。10年前に初めて訪れた時はもっと水量が多く、利用に適した水場だった記憶があるのだが、現在は樋が寸断されて砂混じりの水となってしまっている。近年(2019年の台風など)の大水で利用できないルートや水場も多くなった。水場より先、道は更に歩きやすくなる。渡渉して右岸に渡ると道は高巻いて尾根を越える。ボクが持っている「正丸峠」の紙の地形図だと沢沿いにそのまま下るように道が描かれていて、かつては浅間神社コース(尾根コース)に合流していたようだ。尾根を越えてジグザグに下ると西武秩父線を潜るトンネルがある。トンネルを抜け出た先は道の駅あしがくぼ。ここで山歩きは終了。売店でお土産にみそポテトを買い込み、駅の広場に上がると閉鎖された売店脇の資材置き場は撤去されていた。芦ヶ久保大観音から日向山を見渡せる展望台が復活したことは喜ばしい。時刻表の撤去されたホームに上がり、電車を待つ。ホームを吹き抜ける風はまだ春の涼しさを辛うじて感じさせるものだった。

(兵の沢の谷を下る)


(大岩)


(雑木林が続く 傾斜も緩い沢なのでのんびり景色を楽しみつつ歩きたい)


(水場 10年前に訪れた時と比べるとだいぶ荒れた感じだ)


(水場より先は更に道が良くなる)


(渡渉地点)


(この大岩を過ぎるとトラバースしながら登り返すことになる)


(尾根を越える所 兵の沢右岸尾根のスタート地点でもある)


(下りきるとトンネルがある)


(トンネルを出るとすぐに道の駅あしがくぼ)


(芦ヶ久保駅前からの眺め)

DATA:
正丸駅6:41→6:51八坂神社(正丸集落内)→7:10山ノ神・大岩→7:29舗装路(正丸峠市道)→7:45旧正丸峠→8:06林道南沢線終点→8:21追分の道標→8:26県道53号線(初花地区)→8:36NTT管理道路ゲート→8:47初花地区の地蔵→9:24岩場のある小ピーク→9:35荻ノ沢ノ頭→9:57赤久那→10:20大平(岩菅山)→10:23兵の沢分岐→10:39二子山雌岳→10:47二子山雄岳10:57→11:20兵の沢分岐→11:47水場→12:08道の駅あしがくぼ→12:21芦ヶ久保駅

地形図 正丸峠

トイレ 道の駅あしがくぼ

交通機関 
西武池袋・秩父線 小手指~正丸 409円 芦ヶ久保~小手指 471円

旧正丸峠越えは一般ルートです。本文中にもあるように横瀬側で一か所危険なトラバースがあります。自信の無い人は横瀬から飯能へと越えたほうがよいでしょう。旧正丸峠越えだけでは物足りない場合は追分から旧名栗街道を歩くのもオススメ。
処花沢左岸尾根は道標の無い純然たるバリエーションルートです。コンパス・地形図あるいはGPS機器をお持ちください。大平(岩菅山)から初花集落へ下る場合は難しさ5割増しと考えてください。
二子山は一般ルートながら事故の多い山です。兵の沢・浅間神社両コースとも下りだと難しい所があります。エスケープルートとして焼山まで足を延ばして林道焼山線を下ることも検討しておきましょう。

関連記事:
 平成24年5月12日 二子山から武川岳 新緑の尾根を歩く
 平成28年4月23日 旧正丸峠を越えて甲仁田山

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