最近覚えた言葉、リテラシー。
調べると全ての媒体が微妙に違ってこの言葉の意味を伝えている。
リテラシーの意味を説明するのに、
それがまたリテラシーの高さを問われるという。。
この言葉を知ったのは、
日本人は他国より、リテラシーが低いという統計結果を見たから。
欧米諸国はもとより、
日本より遥かに学びの環境がまだ整っていない国よりも低い。
最低レベルだ。
悔しいが納得。
右向け右と言ったら一斉に右を向く。それを素晴らしいとしている国なんだから当然の結果か。
疑問をもったり、物事を自力で見抜き、正確に捉えたりする能力は低下するだろう。
バカは嫌いだと思いながら、素敵なバカは好きだし、上手く言えないがその言葉ではどこか違和感があった。しかし、この言葉に会ってワタシの問題は解決した。
リテラシーの低い人がワタシは嫌いなのだな。
食リテラシーの低い人が百万軒店に行こうと、人の100倍食べ歩こうと無駄だ。多少は向上しても誤差に過ぎない。
毎日食べ歩いてる、何軒行ったことあるなんて、一応たてまつって聞いてあげるしかないが、それがイコール分かっている訳では全く無い。
店を知っているだけだ。
なのにリテラシーが低い為、分かった様にどこかズレたまま良く喋る。
嫌いだわー
日本人はそれらしい情報に流されてマズイ店にも並んでしまう事が良くあるのも、メディアリテラシーの低さ故だろう。
鋭敏な味覚や、
センスや才能が無くともそれに対するリテラシーが高ければ互角に渡り合える。
いい例は野球の桑田真澄投手や故野村克也監督。
センスや才能も無かったわけではないだろうが、
桑田は身長が174cmしかないのにもかかわらず、当時はまだ誰もやらなかった、プロの先輩達が驚く大リーグ等の理論も取り入れた自分流の練習をして大エースとなった。
野村監督はID野球を掲げ戦った、野球リテラシーで上り詰めた人だ。
若かりし頃ロックに憧れたのも、
凄いロッカーはリテラシーが高かったからだ。
でなければあれだけ心地良い言葉や表現は出来ない。
忌野清志郎なんか八十年代に反原発を一人歌っていて、歌詞を聞くとリテラシーがもの凄く高い人だ。
そして彼等ロッカーはだいたい愛すべき馬鹿野郎なのだ
んーやっぱり言葉って凄いよねー
ビシッと感覚にフィットする言葉や表現、文章に出会うと、自分の中の思考が一つ段階を上がったかのような、キレイに整頓されたような、凄く気持ち良くなるぅ〜〜♪