あ可よろし

「あきらかによきこと」は自分で見つける・おもしろがる
好奇心全開日記(不定期)

正史だから面白い

2015-06-11 | 本(文庫本)
宮城谷昌光さんの『三国志』を読みました。
最終巻が刊行される4月を待ちつつ年明けから読み始め、全12巻を読破いたしました。読むのをずっと我慢していた甲斐があったと痛感したくらいの破格の面白さでした。何と幸せな読書期間でしたでしょうか!

この物語は「正史」をもとに書かれた「歴史小説」です。よく知られている『三国志演義』は14世紀に書かれた、言うなれば「エンタメ系娯楽小説」。だから面白いと言えるのですけどね。蜀の個性的で魅力的なキャラクターたちは「演義」だからこそ描かれたもの。「正史」の史実とは違います。
もちろん私も「演義」から三国志の世界が好きになったのですけど、エンタメ系娯楽小説だから、腑に落ちないところもあったのです。
例えば、「演義」では聖人君子な劉備。そんなパーフェクトな人格の人の息子の劉禅が、何故あれだけのポ○コ○なのか? そもそも、やばい状況になる(なりそうになる)と、すぐにそこから脱出する劉備は聖人君子なの? ……とかね。
そのあたりなど「演義」を読んでちょっとモヤモヤしていた部分は、この作品でスッキリできたところが多かったです。「なるほどね~」と、納得しまくり。
ちょっとだけネタバレすると、劉備は「逃げの才能」であり「捨てることの才能」もあった人で、そもそも聖人君子と奉られるような人物ではなかった。その息子だから、劉禅はちょっと残念な人物ではあるけれど、演義で描かれるまでのポン○ツではなかった。
この作品の解釈であれば、趙雲が赤ん坊のときの劉禅を命がけで助けたことも「よかった」と思えるんです。「演義」だと「あのとき趙雲が助けていなければ、孔明も五丈原で……」ってなったもの。これで趙雲も浮かばれますぅ~。

『三国志』の楽しみ方は人それぞれにあって良いのではないかと、読後に思いました。その魅力があるから、たくさんの作家さんが三国志作品を作り上げているのです。だから、自分なりの「三国志』の世界だって作ることができると思うのです。
私の『三国志』は、宮城谷さんの作品(正史)をベースに、馬超のエピソードは北方謙三さんのものを入れて……とか。そんな風に自由に物語を作り上げることが可能だから、私は『三国志』を面白いと感じ、読んでいるのだと思います。

何よりも、ちゃんと読めてよかったです。ありがとうございました。
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