宮城谷昌光さんの『孔丘』を読みました。
最終巻の発行まで待ちに待ったうえで一気に読んだ『三国志』以来、お久しぶりの宮城谷作品。今回の主人公は春秋時代に多くの若者たちを教えた、儒教の孔子です。私、孔子のこと、何も知らないままに読み始めてしまいました。
春秋時代後期。家族の情愛に恵まれずに育った孔丘が、30歳で官途を辞して教場を開く。そこには多くの若者たちが入門してきて、孔丘から礼をメインにした生き方についての多くのことを学んでいく。そして孔丘が40歳を迎えるときになって、さらに自身の学びを深めるため、弟子を伴って周への留学を決意する。
宮城谷さんの作品は、三国志以外中国の古代史に関しての予備知識がほぼないままに読み始めてしまいますが、物語としての魅力が勝っているので「全然わかんな~い」とはならないのです。しかし本書は手ごわかった。
そもそも孔子に関しては、現在でもその人生については謎だらけなままなのだそうです。あるのは「神格化された孔子」であり、神様なんだから崇めるしかない、という状態なんでしょう。そこを小説にするなんて、かなりのチャレンジだったはずです。
確かにあとがきで宮城谷さんは書いています。
「神格化された孔子は書けないが、失言もあり失敗もあった孔丘という人間を書くのであればなんとかなるのではないか、と思って書いた」
それだからなのでしょう。孔丘という人間の輪郭を明らかにするために、ほとんど知られていない弟子たちが多く描かれています。弟子たちはそれぞれに魅力的で、ある意味、孔丘よりも物語を鮮やかに彩っていたように感じました。
ちょっとは儒教のことを知ってからの再読決定です。
最終巻の発行まで待ちに待ったうえで一気に読んだ『三国志』以来、お久しぶりの宮城谷作品。今回の主人公は春秋時代に多くの若者たちを教えた、儒教の孔子です。私、孔子のこと、何も知らないままに読み始めてしまいました。
春秋時代後期。家族の情愛に恵まれずに育った孔丘が、30歳で官途を辞して教場を開く。そこには多くの若者たちが入門してきて、孔丘から礼をメインにした生き方についての多くのことを学んでいく。そして孔丘が40歳を迎えるときになって、さらに自身の学びを深めるため、弟子を伴って周への留学を決意する。
宮城谷さんの作品は、三国志以外中国の古代史に関しての予備知識がほぼないままに読み始めてしまいますが、物語としての魅力が勝っているので「全然わかんな~い」とはならないのです。しかし本書は手ごわかった。
そもそも孔子に関しては、現在でもその人生については謎だらけなままなのだそうです。あるのは「神格化された孔子」であり、神様なんだから崇めるしかない、という状態なんでしょう。そこを小説にするなんて、かなりのチャレンジだったはずです。
確かにあとがきで宮城谷さんは書いています。
「神格化された孔子は書けないが、失言もあり失敗もあった孔丘という人間を書くのであればなんとかなるのではないか、と思って書いた」
それだからなのでしょう。孔丘という人間の輪郭を明らかにするために、ほとんど知られていない弟子たちが多く描かれています。弟子たちはそれぞれに魅力的で、ある意味、孔丘よりも物語を鮮やかに彩っていたように感じました。
ちょっとは儒教のことを知ってからの再読決定です。